波留の台詞は疑問系の形を取ってはいたが、彼にとっては事実の確認に過ぎなかった。彼にはその確信があり、そして現実もそれを追認してきている――そう認識していたからだ。
 メタリアル・ネットワークが掲げる唯一絶対の理念とは、オープンソースである。
 久島永一朗と言う人物は、自らが開発したその技術そのものには各国にて特許を申請しなかった。そして彼が実効支配していた電理研も、その思想を未だに追認している。それでも彼らはメタルに付随する様々な技術には所有権を主張しているがため、その特許料だけで莫大な利益を上げている。
 付随する利益を確保するために、彼らは基礎を敢えて放任した。だからこそ、メタルは世界中でここまで発展し広がり、社会に無くてはならないとの地位を確立し、結果彼らはその目論みを果たしたのだ――それが通説である。
 オープンソースである以上、メタルの全ての規格は誰にでも入手可能である。そしてそれには、メタルの原型たる「海洋シミュレータ」も含まれていた。
 しかし、それは現行のメタルとは違い、ネットワーク用ではない。だから敢えてそれを利用する人間は居ない。今の時代での海洋シミュレータは、現行メタル上にて運用可能なプログラムだからだ。
 現在公開されている原初メタルとしての海洋シミュレータは、これを基礎として現行方式のメタルが誕生した――その記念碑的存在として開示されているプログラムに過ぎなかった。
 が――それを、敢えて2061年に利用しようとするならば?
 そもそもの「海洋シミュレータ」と同様に、ネットワークに接続しないスタンドアロン環境において、起動させるならば?大きな処理能力を必要とするようなシミュレートを、誰にも知られないように、ごく内密に行う必要性に駆られたならば?
 そして、現行の「メタリアル・ネットワーク」の絶対的な利点とは、利用者の脳をもリソースをする以上、利用者が増えれば増える程解析能力も向上してゆくと言う1点に集約する。それすらを取り込むために考えられる手法とは――?
 ――その原初メタルの規格に合わせた通信分子を独自に開発して散布するか。或いは、2012年時代のサークルアンテナに類する機材を村の各所に配置したか――それらの手法により、村人達の脳に投与したナノマシン経由での「メタル」の構築は、理論的には可能だった。
 仮に前者の場合、その通信分子が端末で観測不可能だった理由とは、現行の規格とは大きく外れているからだろう。後者の場合ならば、観測のしようがない。現行のメタルとは手法そのものが違うのだから、現行メタル仕様の観測プログラムが対応する訳が無い――。
「――くれぐれも勘違いして頂きたくないのですが、彼らへのワクチン投与は事実ですよ。只、そこにほんの少し混合物が存在しただけです」
 波留の隣に腰掛けるその男は、何気ない口調でそう答えていた。そこに、全く後ろめたさは感じられない。
 しかしそれは、直接的な表現は用いていないとは言え、紛れも無い自白である。少なくとも、告発していた側である波留はそう捉えた。ますます眉を寄せる。腕を組み直した。視界が狭まる心地がする。
 「海洋シミュレータ」として開発された原初のメタリアルは2012年の事故を受け、その開発の方向性が変化した。それ故に、それ以降の「メタリアル・ネットワーク」とは一切互換性はない。
 だからこそ、「メタル」の特性を生かしつつ、スタンドアロン環境を構築出来る。その村に電脳化した人間が訪問してきたにせよ、その「メタル」の存在は気付かれないはずだった。
 しかし、波留真理と言う存在がその村に来訪した事で、事態は大きく変わってしまった。その変化は、誰も意図しての事ではない。波留自身にすら、予想外の事態だった。
 波留は50年前にその原初メタルに対応するナノマシンの投与を受けた唯一の人間である。
 その後、彼自身は眠りに就いている間の出来事ではあるが、ネットワークとしてのメタルに合わせて更に脳を電脳化され、その後のアップデートも着実に受け続けていた。その間には、安全性を確保するためにも原初メタル対応のナノマシンは除去されたはずだった。
 しかし、彼は7月末にその肉体を若返らせる事態に陥った。海の深層にて親友から「水の力」を与えられ、肉体が50年前に立ち戻ったのである。精神同様に32歳の身体を手に入れたのだ。
 戻されたのは単純な肉体ばかりではなかった。電脳化の水準も50年前に戻されたのである。つまり、脳に投与されたナノマシンも最新バージョンではなく、50年前の原初メタル対応のものとなっていた。
 しかし若返った直後に彼を検査した電理研付属メディカルセンターは、それを特に問題とはしなかった。それは、現行の最新バージョンメタルに干渉しないのである。わざわざ除去の措置を取らなくとも問題は生じないとの判断を下したのだ。そしてその判断は、1ヵ月後の再電脳化を行った技師も変化させていない。
 結果的に、現在の波留の脳には、最新バージョンのナノマシンと原初メタルのナノマシンとが混在している格好になっている。それは、何ら不具合をもたらさないはずだった。
 しかし、この村に秘密裏に展開されていた原初メタルが、彼の脳に潜んでいた50年前のナノマシンに徐々に干渉してきた。それがノイズとなり、彼に頭痛をもたらしたのだ。
 そして彼はその頭痛を契機とし、村の様々な事象を不審に思い始める。それを確かめるために彼が取った手段が「何らかのメタルへのダイブ」だった。
 この時点では、波留にはこの村に存在する「メタル」がどのようなものかは一切判っていなかった。只、ダイブ出来るとすれば、ジェニー・円が研究用に利用しているスタンドアロン端末だと直感しただけだった。
 だから間取りから考えて端末室の裏手にそびえていた古木の根元から、彼はダイブを敢行した。
 村に存在しているとおぼしき通信分子らしきものかそれに類する機材のサポートを、自分が得られる確証はない。しかし端末室の至近距離ならば通信分子を必要としない近接電通としてダイブ出来る可能性があり、彼はそれに賭けた。
 結果的に波留は「何らかのメタル」へダイブした。しかしそのメタルは現行のメタルとは違い、メタルダイブを想定してはいない状態だった。
 そのメタルの真相が判明した今ならば、その波留の行為は「2012年に開発された海洋シミュレータ」に「メタルダイブ」してしまった――そう表現するのが適当だろう。通常技能のメタルダイバーならば、たとえ対応ナノマシンを投与されたにせよログインすら出来ないと思われる。
 そして、含む情報形態が違う以上、「水」の構造も何処かが違っていた。そのスタンドアロン端末の情報は、粘性が高い液体としてのアバターとして構築されたのだ。そこに波留が通常メタルのようにダイブしてきても、彼は泳ぐにも一苦労だった。
 しかし広義的に考えるならば「水」は「水」であるが故に、やはり「メタル」は「メタル」だった。だからこそ彼はメタルダイブを可能とし、自らの推論が正しかったと確信し――その直後にリンクが切断され、意識を消失したのだった。
 リンクが切断された原因とは、そこが未知のメタルだったからではない。明らかに外部からの干渉が存在したのだ。その干渉により波留の自意識がそのメタルに解けてしまい、人格的に現世から葬られる事すら織り込んで。
 波留はそう確信している。そしてその干渉はおそらく、今、何食わぬ顔をして自分の隣に座っている人物がもたらしたのだろうとも。
 そこまで確信していて尚、波留真理はジェニー・円の隣に座り、腕を組んでいる。今度は彼の方が沈黙を護っていた。
 
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