車窓の風景は、相変わらず代わり映えしない。
 荒涼とした広大な大地が続き、そこに傾き掛けた太陽が照りつけてきている。そこに陰を射すのは、立ち枯れた木々のみだった。都市から離れると、動くものが全く視界に入ってこない。
 波留はその車窓を眺めていた。窓を開ける事はしない。茶色の大地を瞳に映し続けている。
 発進して以来、この車内には会話ひとつ存在しない。ホスト側が検査の結果を尋ねてくる事もなければ、受けた当人がそれを語る事もなかった。
 走る道の路面状態は良くはないが、酷く悪くもない。たまに轍に乗り上げる事もあったが、基本的に平坦な大地をタイヤが捉える振動が伝わってくるのみだった。耐えられない揺れではない。
「――僕の頭痛の原因が何なのか、ずっと考えていました…」
 その車窓を眺めたまま、波留は口を開いた。静かな口調である。そして、それに誰も口を挟まない。とりあえず黙って聴いているのか、或いは聞き流しているのか――波留には判らなかった。
 しかし彼は、言いたい事をここで語り尽くすつもりだった。丁度、その「訊かせるべき相手」がここに居るのだから。その方が色々と後腐れがないと思った。
「あれは、メタルのノイズを拾ったものと酷似していました。僕には以前、その経験があります。だから判るんです」
 波留は淡々と語る。脳裏には、あの樹海の島での体験が思い浮かんでいる――あの時も、メタルのノイズを脳が拾い、同行者だったソウタ共々頭痛を覚えたものだった。対して未電脳化者たるパークレンジャーのウムランと蒼井ミナモは平然としたもので、彼らの異常が際立っていた。
 良く考えてみれば、その当時の頭痛と今回のそれとは、似通っていたのだ。
 しかし、背景事情は著しく異なった。だから、当初は関連性に全く気付かなかった。明晰なはずである彼の判断を誤らせる程に現在の世界にはメタルはかけがえのない存在であり、常識だったのだ。
「しかし、あの村の付近には、通信分子が存在しません。それは僕の携帯端末でも観測済みです。だから、メタルに接続出来る訳がない――そう言う建前だとは、僕にも良く判っています」
 語る彼の眼前に流れる荒涼とした大地には、廃棄されたとおぼしき多足式戦車が半壊して転がっていた。それを見ても、今の彼には特に感慨は浮かんでこない。
「ところが、メタルの歴史は40年間と長い。その40年間、アップデートを繰り返してきたと訊いています。歴史のログを紐解けば載ってもいますしね」
 それは、彼自らは眠りに就いていた時代の話ではある。しかしあまりに普遍的な事実のため、2061年に目覚めてメタルと言う新たな技術を知った時点で触れる事が可能な代物だった。返す返すも、メタルとは彼が目覚めたこの時代での常識なのだ。
「そして、大規模アップデートの際には、単なるソフトウェアの書き換えや散布する通信分子の切り替えだけではなく、人間に投与したナノマシンを物理的に入れ替える必要もあったようですね」
 それについても、彼が生きた前時代でのパソコンやそこでのネットワークに当てはめて考えれば、目覚めた当初から理解は可能だった。
 多少の技術の進歩ならばソフトウェアの入れ替えで対処は可能だが、何時かはパソコンと言うハードウェアそのものを換えなければ最先端の技術にはついていけない。それが前時代のネットワークの常識だった。
 その「ハードウェア」の枠が、現行のメタリアル・ネットワーク時代においては、人体に投与されるナノマシンにまで広がっているに過ぎない。そしてその投与とは「注射1本2時間」と言われるまでに気楽な代物だった。
「つまり――バージョンの差があまりに大きければ、その間のメタルに互換性はないのです」
 波留はその当たり前の前提を、改めて繰り返していた。ソフトウェアへの対応バージョンを固定しては流石に利用に不具合が存在する。だから、対応バージョンにはある程度の余裕を持たせるのが開発者の任務だ。しかし、その振り幅にも限度と言うものはある。
 利用者にあまりに古いバージョンにて用いられても、運用側にはそのサポートのしようがない。少数派に対処するためにリソースを振り分けるのは、あまりに非効率である。
 だから古いバージョンへの対応は順次切り捨てる――それもまた、前時代から継続している原則だった。
「しかしメタルの歴史は40年であり、電理研やその他の統轄機関を介さなくともメタルの展開は可能だ。こんな現状では、世界中にメタルの規格が分散していてもおかしくはない。だから、どの規格のメタルも、何処かで繋がり合う可能性はゼロではない。一旦何処かで繋がれば、別の規格のメタルを介し、その情報は世界中に繋がってゆく。それがメタルの開発理念だ」
 電理研が推奨するバージョンが最新であっても、世界中がそのメタルを用いているとは限らない。電理研は、彼らのお膝元たる人工島を開発のモデルケースとして、人工島で培われた最新バージョンを順次世界へと広げてゆくのが常だった。
 隣接する日本は人工島仕様の最新バージョンに近いだろうが、その先の国々は必ずしもそうではない。逆に、人工島から遥かに遠方に位置するアメリカ大陸やヨーロッパ大陸の各都市に、最新バージョンのメタルが点在していたりもする。最新バージョンの運用には、それに値する技術力とサポートが絶対に必要だからだ。
 そして世界中のメタルは、電理研が全て統括している訳ではない。メタルの技術そのものはフリーウェアであるが故に、世界中の誰でもが使用可能だからだ。それが、開発者たる久島永一朗が開発当初から掲げている理念だった。
 だから、世界に広がるメタルのバージョン情報を、電理研が全て把握出来る訳もない。その中には、今は推奨されていない古いバージョンのものが展開されている可能性も、否定は出来ない。
 そして低いバージョンが存在すれば、その低いバージョンを未だにサポートしているメタルが隣接している可能性もまた存在する。そして徐々に、隣接するメタルのバージョンが上がっていくとすれば、いずれは最新バージョンのメタルにも古いバージョンのメタルが抱える情報が流れてゆく――だから、世界中のメタルは繋がり合うのだ。
 ここで、波留は一旦言葉を切る。仕切り直すように、頷いた。そして、口を開く。
「――ところで、ここで何度も申し上げたように、メタリアル・ネットワークの歴史は40年です。それは歴史の教科書にも載っている、世界的事実です」
 彼はそれを改めて言い直していた。何度となく、ここで述べた事実だった。しかし、それに続ける言葉の内容は、今までとは違う。
「しかし、実は、それ以前にもメタルは存在した。今から50年前――2012年末に構築された、海洋シミュレータとしての原初のメタリアルが」
 その海洋シミュレータこそが、現行のメタルの始祖となった。その開発者も同一人物である。
 水温や海流、塩分濃度やそれらの分布深度、日光や隣接岸壁などがもたらす外的要因――その他多様な情報を流動的に処理するために生み出されたそのシミュレータは、後に情報処理ネットワークに流用されるに充分な装置だったのだ。
 現行のメタルも、名称同様にその流れを汲んでいる。だからこそ、メタリアル・ネットワークに「ダイブ」したなら、そこでのアバターイメージは海中モチーフとなるのである。それは、開発者の一貫した思想の賜物だった。
「そして、その時点でのナノマシンは、開発者たる久島の手によって、実験対象のダイバーたる僕に投与され、そしてあの事故が起こった――」
 波留は腕を組む。瞼を伏せた。事故に遭遇した彼自身にとってあまり触れたくはない過去ではある。そしてそれは、彼以外の当事者にとっても同様だろうと痛感していた。
 今でこそ波留の50年にも渡る意識喪失はそのナノマシンが原因ではなかったと証明されている。しかし当時の技術者達にはその確証がなかったはずだった。
 波留は、脳にあのナノマシンを投与しダイブを敢行したその当日に事故に遭遇し、結果的に深い眠りに落ちたのだ。それと波留の昏睡とを関連付けないような考え方は、むしろおかしいだろう。
 そして真っ先にその批判の矢面に立つ事になったのは、開発者たる久島だったはずだ。
 自らが開発したメタルアル・ネットワークとそのナノマシンが、ダイバーを遭難に追いやった。そうなれば、その安全性にも疑問符がついて回る。それを解消しない限り、他の誰にも使用出来なくなるだろう――。
「その後のメタル開発は、安全性の確保を最優先にしたと訊いています。その、10年間の歳月を経てようやく、現在のメタリアル・ネットワークの基礎が確立した。つまり、あの原初メタルのナノマシンは、僕以外の誰にも投与されていないはず――なんです。少なくとも、その当時には」
 その台詞を、波留はあくまでも淡々と、静かな口調で語った。彼は全ての感情を内心に押し込めていた。
 そして、彼は腕を解く。両膝の上に掌を乗せた。何処か力が篭ってゆく。
 波留は眉を寄せ、正面を向く。あくまでも、隣を見ない。その顔には、影が掛かる。
 本来話しかけるべき相手を一切見ないまま、彼は静かに、重々しく、確実な口調で、自ら導き出したその結論を述べた。
「――…あなた…ワクチンと称して、原初メタルのナノマシンを、あの村人達の脳に投与しましたね?」
 
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