脳の検査は、2061年現在においても慎重を極める必要がある。
 それも、原因不明で倒れた患者となれば、尚更である。今は回復したにせよ脳の何処かにはまだ異変が残されているかもしれず、今後そこが致命的なトラブルを引き起こす可能性もあるからである。
 だから今回の波留真理の検査は、日を跨ぎつつも1日掛かりとなった。都市に辿り着くために数時間を要する事を考えたならば、相当な時間を費やした事になる。
 しかし波留はそれに文句を言うつもりはない。確実な検査をするに越した事はないのだから。
 それにしても、すっかり検査慣れしてしまった自分に苦笑を覚えざるを得ない。50年の眠りから覚めた直後の1月、歩けるようになった7月、そして超深海ダイブから若返って生還した7月末――そして今回なのだから、彼は今年に入って4回も大きな検査を受けている事になる。
 その都度「特に異常は発見されませんでした」で済まされているのが、彼の肉体だった。健康体である事を証明するには、なかなかに面倒な展開を経なければならない。「可能性がない」と証明するには、多くの反証を必要とするのだから。
 ともかく彼は、今回の4度目の検査においてもオールクリアの結果を得ていた。しかしそれは、倒れたものの脳には異常が発見されない、しかし早いうちに脳専門の機関で検査して貰った方がいい――と、半ば別機関に丸投げされたようなものだった。とは言え、この大陸における地方都市の病院では、そう扱われても仕方がないのかもしれない。それなりのレベルでの検査は行ったのだから、波留としても文句もなかった。
 それに、今回の医師側が、波留が日本人であり人工島からやってきたと認識しているのも、その決定に至る大きな一因だった。そんな、科学の最先端を往く場所に住んでいるのだ。どちらに帰郷するにせよ、そこで改めて検査を受けた方がいいと判断されて当然だった。
 11月14日の昼下がりには、波留は病院から解放されていた。しかし彼に行く当てはない。当初の目的のためにも、またあの小村に戻らなければならない身の上だった。
 その旨については、検査のために村を発つ前に秘書と相談をしている。
 検査日程は大体確定していたために、それが終了する頃にまたこの都市まで来て欲しい、そして僕を拾って欲しい――不躾な頼みだが波留にはそれしか交通手段がない。また秘書もそれを理解しており、了承していた。
 都市の城門にて兵士達にパスポートを提示し、事情を説明してその付近で待つ。またしても銃を担いだ兵士から胡散臭い視線を向けられつつも波留が立っていると、然程時間を経ずに見覚えのある車が地平線の向こうからやってきた。兵士と波留の元へと横付けされ、停止する。
 スモークガラス仕様の運転席の窓が開くと、そこには秘書が居た。今回の運転手は彼女自身が担ったらしい。
「――波留様。後ろの席へどうぞ」
 兵士に訊かれても妙な方向に勘繰られないためか、彼女はこの国の公用語たる北京語で、外国人の青年にそう話しかけていた。
 そして波留もその台詞そのものと背景事情とを理解し、頷く。秘書の後部座席になる左後ろの扉を開けた。ロックされていなかったらしく、彼の手によって素直に開く。何の気なしに身を屈め、乗り込もうとした。
「――どうぞ」
 そこから不意に男性の声がして、彼は一瞬身体を止めた。思わずその奥をまじまじと見つめる。
 彼の隣に位置する事となる、右後ろの座席には、黒コートの男性が腰掛けていた。
 彼は腕組みしたままで、波留に視線を寄越している。その義体の顔に僅かに笑みを浮かべつつ、自らの身体を右へ寄せていた。波留へと席を譲る素振りを見せている。
 それは波留にとって予想外の事態である。呆気に取られていた。
 しかし、すぐに立ち直る。笑みを浮かべ、その人物に頷いた。一言断りを入れ、身体を車内に滑り込ませる。彼の手に荷物はなく、そのまま扉を閉める。
 秘書が兵士に何らかの賄賂を手渡す所は先日同様のまま、新たな乗客をピックアップして何の問題もなく車は発進して行った。
 
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