それから波留は、外出するに当たり、服を着替えていた。
 これから向かう都市では検査を控えており、病院に到着次第また検査服にでも着替える羽目になるのは判っている。それでも人前に顔を見せる以上、最低限の身嗜みは果たしておきたかった。
 2日間寝ていた事もあり僅かに生えて来ていた髭を剃った後に、髪を梳いて整える。頭には相変わらずべとついた感覚がするが、水不足の地域に逗留している以上仕方ないのだろう。これから行く都市でもその水事情が劇的に変わっているとも思えず、身体を洗えるかどうか怪しいと彼は覚悟していた。
 そこに、ノックの音がした。
 波留はそれを秘書の来訪かと思った。そろそろ予定の時間が迫っており、呼びに来たのだろう――そう判断したのだ。だから普通に入室を呼び掛ける。
 すると、子供らしき甲高い歓声と共に賑やかな足音が室内に木霊した。何事かと波留が振り返ると、部屋の入り口の扉からは子供達が数名入ってきていた。
 彼には見覚えがある顔ばかりである。その子らは、先日彼が講堂で講義をした子供達だった。
 波留が倒れた事は彼らにも知れており、彼らは例外なく波留を心配していた。その波留が回復したとまた伝わってきたがために、こうして押し掛けてきたようだった。
 ともかく波留は想定外の大量の来客に一瞬呆気に取られたが、すぐに朗らかな笑みを浮かべる。四川語で心配かけた旨を謝罪し、もう大丈夫だと付け加えた。
 すると子供達は歓声を上げる。帰ってきたらまた外の世界の話を訊かせて欲しい――そんなリクエストを彼にしてきた。
 それに波留は頷く。微笑みを浮かべたまま、彼はやんわりと口を開いた。
「――僕もまた皆さんに伺いたい事があるのです」
 流暢な四川語で彼はそう語り掛けていた。暇だったこの一晩を用いて、喋りたい文章などを四川語に翻訳して練習したとおぼしき口調だった。
 ともかく、子供達は一斉に波留に群がる。好奇心で一杯の瞳を煌めかせ、黒髪の青年を見上げていた。口々にその先を促す。
 波留は笑顔を浮かべたまま、頷いた。滑らかに問いかける。
「――以前、皆さんが受けたと言う、ジェニー・円さんが手配した予防接種ですが…皆さん、身体の何処に打たれましたか?」
 
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