明けて13日の早朝。未だベッドの人である波留の元には粥がもたらされた。
 朝食として秘書が届けに来たものであり、付け合わせには村で採れた野菜類で作られたとおぼしき数種の漬物であり、更に烏龍茶の湯呑みが付属している。見るからに病人向けの食事であり、アジア人としては馴染みの風景だった。
 11日早朝に倒れたと見られる波留が再び目覚めたのは、12日の夕暮れ時である。
 彼の覚醒に偶然立ち会ったジェニー・円が、打ち合わせのために村に残っていた医師にその事実を報告すると、その医師はまた慌てて波留を検査する羽目に陥っていた。何せ彼自身が「原因不明の昏睡」と診断を下した患者が、何の要因もなく唐突に目覚めたのだから。
 その再診察でも、医師は彼が昏倒した原因が掴めなければ、更にそこから回復した要因も全く判らずじまいだった。
 しかし、彼が倒れ意識を喪失した事実は歴然としている。だから、念のためにきちんとした医療施設で検査すべきだ――医師は患者にそう忠告し、患者はその申し出を快く受け入れた。
 だから波留は、医師の拠点たる病院のある都市――彼がこの村に到着するために、先日秘書に拾って貰ったあの都市である――に、この午前中から向かう予定になっていた。それまでの一晩、彼は病人扱いとして安静にしていた。そして今朝、検査の支障にならない程度の食事をようやく摂る事が出来ている――現在の波留の抱える事情とは、以上の通りである。
 そう言う訳で、彼は丸2日振りの食事となる粥をレンゲで掬い、口に運ぶ。漂う湯気は米の香りを存分に運んで来ており、それに空腹が刺激されていた。
 ――そのはずなのだが、粥を頂く彼は、妙な気分に陥っていた。必ずしもまずい訳ではないのだが、何かが足りない――口にしている粥がそう言う味だったからだ。
 そんな微妙な味付けの料理を彼が出されたのは、この村に招かれて以来初めてだった。それまでは日本人たる彼の口にも合う味付けの料理ばかりで、料理してる人間のセンスに内心舌を巻いていたものだった。
 それが、今回はこの体たらくである。「彼」でもミスをするものなのだろうか。波留はふとそう思う。
 或いは不興を買ったか――と考えれば、彼には身に覚えがいくらでもあった。かと言って「彼」がこんな子供じみた仕返しをするような人間かと問われれば、絶対に違うような気もする。
 それに、付け合わせの漬け物類の味は絶品だった。これと合わせて食べるならば、粥の味付けはこの程度に薄い方がいいのかもしれないと感じた。
 だから、粥の方は敢えて主張してこない味付けにしているのかもしれない――波留はそう深読みも出来ていた。しかし、そのマッチングは怪我の功名なのかもしれず、やはり真相は見抜けていなかった。





「――波留様、如何なされましたか?」
 そのように波留が釈然としない思いを抱えつつもレンゲを進めていた頃に、秘書が来訪した。
 彼女は波留にそう尋ねる。波留の前に置かれた盆の上の皿にはまだ粥が半ばまで残っていたのだから、見た目にも不思議に思われて当然の状況ではあった。
「体調がまだ優れませんか?」
「いえ、そう言う訳ではないのです」
 相変わらず表情を浮かべない秘書からの台詞上では心配しているらしき問いに、波留は苦笑をもって応えていた。彼の体調に自覚出来る不備はなかったからだ。
 答えを受けて、秘書はちらりと粥に視線を落とす。そして僅かに沈黙した後、口を開いた。
「――今回、それは私が調理したのですが…やはりお口に合いませんでしたか?」
 その言葉に、波留は口を噤んだ。思わず秘書を見上げ、まじまじと見つめてしまう。
 今までと調理人が違った――そう考えたなら、全ての事情に説明が付いた。ならばこの味付けが微妙だろうが、「彼」には何の責任もない。
 そこで、自分ではなく敢えて秘書に料理任せたとは何らかの意図を読み取る事も可能かもしれない。しかし、単に多忙が故の事かもしれないし、検査が待っている病人に凝った料理を出す必然性はないのだから自らの出陣を見送ったのかもしれない。
 しかし、ここにはまた別の問題が出現している。それを口にしていいものか、波留は迷った。それも彼女は、明らかに自らの料理の腕前を理解している節がある。彼女自身が今述べた台詞が正にそれを表していた。
 波留が発言のタイミングを逸しているうちに、秘書は無言で波留の前に手を伸ばす。その盆を取り上げ、食事を下げて行った。時間としてはそろそろ出立の準備に取りかからなくてはならず、これ以上食事の時間を取られても困るのだろう。
 そう言う事情も波留には汲む事が出来ていた。だから下げられてゆく盆を見送る。しかし何を言っていいものか、まだ言葉に迷う。慰めるのも違うだろうし、素直に指摘するのもやはり無礼に過ぎるだろう――。
「――ですから、ミスターは私を信用していないのです」
 立ち去り際に、秘書はそのような台詞を漏らしていた。
 それに、再び波留は顔を上げる。彼女を見やる。確か、先日も似たような会話に至った覚えがあった。それを受けての今回の発言かと思った。
 その頃には秘書は完璧な一礼を残し、彼の部屋から立ち去っていた。
 
[next][back]

[RD2ndS top] [RD top] [SITE top]