「――それで今回、君に来て貰った理由だが」
「あ、はい」
 思わずミナモは改まった。話を向けられるまで、自分が呼び出された理由をすっかり忘れていた。そして彼女はまだその理由を訊いていない。
 義体はデスクに両手をついた。そのまま腰を起こし、上体を曲げてから立ち上がる。自然な動作で彼はソファーを引いてその場に立った。ふらつく事もない。
 そのまま彼は背もたれを引き、ソファーをずらす。デスクから身体を引き剥がして合間から抜けた。席を立つ格好になる。
 デスクの後ろに存在している棚へと向かう。ミナモはそれを視線で追っていた。今までの姿のせいか、ついつい歩みは大丈夫かと注視してしまう。しかし彼女の心配には全く当たらない様子だった。
「――それと、君のアドレスは部長代理に訊いた」
 久島の義体は棚に手を伸ばしつつ、そんな事を言った。ミナモの方を振り向く事なく、棚の引き出しを開けている。
「…ソウタにですか?」
「ああ」
 ミナモの怪訝そうな問いに、淡々とした声が返る。確かにそれもミナモの疑問のひとつではあった。それに義体は答えてゆく。
「今回、私は君に連絡を取りたかったのだが、君のアドレスを知らない事実に気付いてな。だから君の兄たる部長代理に教えて貰うのが適当だろうと考えた」
 そこまで語った時点で、義体は引き出しを閉める。中から目的の何か見つけ出したらしく、右手を握り締めたまま振り返った。そんな中、台詞は続く。
「血縁関係であろうとも個人情報の横流しは好ましい行為ではない。しかしそれを敢えて君の兄に依頼したのは私だ。どうか彼を責めないでやって欲しい」
「いいえ、とんでもないです。私、全然気にしてません」
 ミナモは慌てて両手を胸の前で振りつつ、そう否定した。確かにこのAIの危惧は世間一般的には正しいのだが、例外は何にでも存在する。時と場合に拠ると言う奴である。
 不用意に彼の兄が誰かに自分のアドレスを教えたとすれば、ミナモは怒ってもいいだろう。しかし今回の場合、その相手はこの「AIさん」である。彼女が親しく思っている相手なのだから、ソウタの行為は不問に処すつもりだった。
 むしろ、あのまるで融通が利かない兄にしては、やけに気が利く処置だとすら思っていた。その気持ちをそのままに、彼女は口に出す。
「むしろこれで私もAIさんのアドレスが貰えて嬉しかったと言うか…何で今まで私、貰ってなかったんだろう。介助してたのに」
 ミナモの台詞の最後は自問だった。顎に手を当てて多少考え込んでみる。
 ――彼のアドレス自体は、メタル領域と脳核を共有している「久島永一朗」と同一らしい。実際に彼からミナモに送られて来たメールの差出人名義はそうなっていた。
 だからと言って、久島健在時にミナモが彼のアドレスを貰った事はなかった。その人工島の最高権力者を「お友達」と認識していた彼女だったが、彼女自身は別にメールのやり取りなどを重要視するような性格ではなかったからだ。
 電理研統括部長職が多忙なはずの久島は波留の事務所にたまに遊びに来ては紅茶を嗜んでいたし、ミナモも波留のバディの任務で電理研に顔を出す事も多かった。そこでふたりは当たり前に遭遇するものだった。だからミナモには、久島と個人的にやり取りした経験はない。
 それに仮に久島当人からアドレスを貰いメールのやり取りを行っていたにせよ、7月末のメタル初期化でその手のデータログは全て消失している。ミナモも一旦サヤカやユキノ達のアドレスを失い、メタル復旧後に改めて交換し直す手間を生じていた。
 その事前の状況は置いておくにせよ、何故このAIさんと知り合った当初にアドレスの交換を未だにしていなかったのだろう?――どういう事情があったのか、彼女は思惟に耽っていた。
 そんな少女を久島の義体はちらりと見た。彼は少女の前にその足でしっかりと立ち、彼女を見据えている。悩んでいるらしい少女に、淡々とした口調で回答らしき台詞を寄越してゆく。
「当時、私と君がメールでやり取りする必要がなかったからな。そもそも私の存在は秘密理だったのだから、メールの送受信の事実を当時の治療チームに知られては面倒な事になったろう」
「あ、そっか…」
 ミナモは頷く。彼の説明を訊けば、当然の話だと納得する。
 しかしその一方で、ミナモには何故かそれがやけに昔の事のように思えた。
 
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