「あ…――」
 義体の弁に、ミナモは納得の声を上げていた。大きく頷く。
 そう言われると、この少女にも思い当たる節があった。彼女は介助士志望なのだから、その手の知識も中学3年生なりに蓄えつつある。
 そんな少女の態度には義体は目もくれない。自らの手元に意識を集中している様子だった。実際、彼の手元はそうしなければならないらしい状態だった。折り目の合間になかなか指を差し込めないのだから。
「君も知っての通り、私は四肢を動作出来るようになったばかりだ。だからなのか、細かい作業は不得手でな。そんな人形遣いにとっては、折り紙で鶴を折る行為が難易度として適当らしい」
 意識は手元にやりつつも、義体はぼそぼそと状況の説明を加えていた。
 ミナモもそれに倣うように、手元の紙切れを弄ぶ。皺が寄り捻じくれたそれを爪先で開いて行った。丁寧な作業で正方形へと整形してゆく。
「手先に障害を負った生身の人は、確かにそう言うリハビリをしますね。でも、義体の人もそんな事するんだ」
 そんな感想めいた言葉を漏らした頃には、彼女はデスクにその紙を広げていた。両手で紙を盤面に押しつけ、延ばす。くしゃくしゃに折り目がついてしまっていたが、どうにか広げる事は出来ていた。
 義体は、その復元整形された折り紙をちらりと見た。無表情の最中、僅かに口許が歪む。
 その瞬間、微かな音が彼の手元から発せられた。同時にもたらされた感触に、彼はそこを見る。
 彼の手元の折り紙の折られた袋部分から、彼の爪先が覗いていた。どうやら紙を解こうとして、指先に力を込め過ぎたらしい。勢い余り、折り紙を突き破ってしまっていた。
 その様子を目の当たりにした義体は、軽く首を傾げる。ミナモはそこに、僅かながらの不満げな表情を感じ取っていた。しかし、ミナモにとってそれは微笑ましいもののように感じる。
 義体はゆっくりと両手を引き剥がす。すると、折り紙を貫いた爪先を有する左手に、その折り紙がついて行った。それを見据え、言う。
「私に限らず、全身義体に換装したばかりの人間からは手先の器用さが失われがちだ。だからこれは正規の訓練課程だ。私はそれを今更行っているに過ぎない」
 ミナモは頷いた。そっと両手を久島の義体へと伸ばす。左手に引っかかったままの折り紙の残骸に指を添えた。丁寧にそれを取り去ってゆく。
 義体は少女の行為を特に咎めなかった。微笑みを湛えたまま指先を折り紙に絡めてくる少女の横顔に視線を送り、次いでその細かな作業の舞台を見た。
「…じゃあ、久島さんも昔こんな事やったのかな?」
「おそらくはそうだろう」
「そっか…」
 ミナモの声は感慨深そうなものとなっていた。その頃には久島の指先から折り紙の残骸を取り去り、デスクの上へと広げていた。一部に小さく空いていた穴の部分にも、紙を延ばす。
「実際、なかなか上手くいかない。連日何十枚と費やしているが、未だにまともに折れた試しがない。紙屑ばかり量産してしまい、全く困ったものだ」
「リハビリは気長にやるもんです。そんなにすぐに成果を求めちゃいけません。決して焦っちゃ駄目なんです」
 淡々としているようでいてぼやくような義体の言葉を耳にし、ミナモは人差し指を立てる。そして義体に言い聞かせるように告げ、得心したような表情で頷いていた。
 彼女の弁は、介助士としての知識に基づいている。生身の人間が行うリハビリの原則を、全身義体の彼にそのまま当てはめて告げた格好になる。
 それは果たして正しいのか、謎だった。しかも、全身義体の人間と言えどもその脳は生身でありれっきとした人間である。しかしこの「彼」は違う。動作はAIにインストールされた制動系プログラムに準拠しているはずだった。
 久島の義体はミナモを見た。その表情は、何処か素の彼のようだった。きょとんとして少女を見上げている印象すらある。
「…そう言うものなのか」
 やがて、彼の口からその述懐が漏れた。声色は相変わらず淡々とした調子を保っていたが、含む印象は何処か違っていた。
「そう言うものなんです」
 ミナモはその久島の言葉を繰り返す。再び強く頷いていた。
 義体は口を噤む。瞼を半ばまで伏せた。盤面に散らばる折り紙を眺めた。口許から僅かな呼気が漏れる。それは溜息だった。
 沈黙の後、彼は口を開いた。小さな声で、心中を明かす。
「…判った。気長にやろう」
「その意気です!」
 満面の笑顔で少女は言った。彼女は本気で心からその義体を励ましていた。
 
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