扉が完全に開き切った時点で、ミナモはようやく我を取り戻していた。そこで彼女は首を巡らせ、扉の奥を見やった。
 室内にはぼんやりとした照明が点灯しているらしいが廊下よりも光量は落とされている。だからミナモの目には暗く写った。
「――失礼しまーす…」
 ミナモは小さくお辞儀をした後に、一言告げて一歩踏み込んだ。途端、彼女の頭上の灯りが輝いた。外部からの客感知する事で光度を増したらしい。少女の目が一瞬眩み、その場に立ち尽くしていた。
 そこに、先程と同様の声色が届いた。
「――蒼井ミナモ。忙しいだろうに、呼びつけて悪かった」
「――AIさん!」
 呼び掛けられたミナモの声が弾む。その声のした方角――部屋の奥に視線を向けた。
 そこには重厚な雰囲気を醸し出す高級デスクがしつらえられていた。そのデスクの盤面は黒色で広い。
 そして、そのデスクには壮年の男性が着いていた。彼は訪問してきたミナモをじっと見据えている。その表情に感情らしきものは映し出されていない。只、淡々とした声を発していた。
「何分私は自由に出歩けない身分なのでな。君に来て貰うしか、今回の用件を果たせなかった」
「いいえ、私は全然構いませんよー」
 ミナモは笑顔を浮かべていた。その表情のまま、両手を胸の前で左右に振る。台詞の通り、眼前の男性の気遣いを交わしていた。それは彼女の本心のままの行動である。
 少女は歩みを進めた。久島の容貌をしているその義体が着いているデスクへと向かう。
 近付くにつれ、彼が腰掛けている椅子の状態が彼女にも目視出来るようになっていた。それはデスクと合わせた重厚な雰囲気を持つ黒い革張りのソファーである。座り心地が良さそうな高級感を漂わせているそのソファーが彼の腰を沈め上体を受け止めていた。
 ミナモはその光景を認めると、ますます微笑みが深まっていった。それは、以前から彼女が見慣れた光景とはまた違う。しかしその変化は明らかに好ましいものだった。車椅子が手放せなかった環境から、彼は回復したのだ。その足で立ち、歩ける状態へと。
 義体に笑いかけた後、彼女はふと視線を落とした。何気なくデスクの盤面を見やった。すると、怪訝そうな表情に変化する。彼女の口からその疑問が突いて出た。
「――AIさん…何してるんですか?」
 問われた義体は無言を保っていた。只、ミナモの視線を追うように、彼も視線を盤面へと落とした。両肘を盤面に突き両手を顔の前に組んでいたのだが、その組んだ拳を避けるように下を見た。
 その黒い盤面の上には、小さな紙が何枚も散らばっていた。
 それらの紙は、無造作にデスクのあちこちに散っていた。まるでこの部屋の主が散らかしたかのようである。
 その紙はまっさらではなく、折り目がつけられている。その折り目も不規則な印象だった。ある紙は小さく折り畳まれた状態だが、別の紙は若干解けている。また別の紙は折り目と言うよりも皺くちゃと表現すべき状態だった。
 紙の大きさは一定のように見える。それも折られた状態は一定ではないために、ミナモの推測に過ぎなかった。ともかく広がっている紙を見るに、正方形で掌大の大きさだった。
 そして注意して見下ろすと、折られてデスクから浮き上がっている紙の裏面はどうやら白ではないらしい。紙によって赤や青や黄色やその他様々な原色が彩っており――。
 ミナモは、そこまで認めた時点で、ようやくそれが何なのか悟っていた。しかし、どうしてそれがこの部屋にあるのか。彼が散らかしているのか。全く似つかわしくない。
 少女の右手がそっとデスクに伸びる。散らかる紙のひとつを摘み上げた。
「――AIさん…これ、折り紙?」
「そうだ」
 ミナモが疑問系で用いたその単語を、久島の義体は見事に肯定していた。それにミナモは口をぽかんと開けた。思考が何処かに飛んでいきそうになるが、何とか繋ぎ止めた。
「…これで一体…何してるんですか?」
「鶴を折ろうとしている」
 疑問で頭を一杯にしているらしいミナモを見据え、義体は事も無げに答えた。
「鶴?」
 ミナモはその単語を口の中で繰り返した。この人は一体、何を言い出しているのだろう。
 少女は摘み上げた紙片を凝視するが、その折られ様からは全くそんな片鱗は感じられなかった。思わず彼女は、脳裏で「鶴の折り方」を再現しようと試みる。と言うか――その行動はやはり彼には似つかわしくないと、少女はますます感じ入っていた。
 久島の義体は再び視線を落とす。デスクの上に転がる紙切れの一群をざっと見通した。それから手を解き、右手を盤面に伸ばす。ミナモのように、折られたひとつを摘み上げた。
 彼はそれを自らの元へと引き寄せる。中途半端に折り畳まれて小さくなっていたその紙の一端を指で擦った。
 義体は眉を寄せ、その一点を凝視する。左手を紙に添え、その指を折られた合間に割り込ませようと試み始めていた。
 その最中、彼はぼそりと言った。
「鶴を折ろうとする行為が、指先を動作させる訓練になるそうだ」

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