ミナモは介助士を志している中学3年生だが、実習ばかりを行っている立場でもない。今週に限っては、週始めから中学校に通っていた。ある意味日本人の15歳らしい生活を送っている事になる。 とは言え、電理研の最深部に侵入を果たす事が出来る15歳の少女は彼女を他に居ないだろう。 このミナモにはその手段が与えられている。彼女には電理研職員すら生半可な立場では立ち入る事が適わない区画へのパスが、部長代理権限で発給されていた。 そして今日、彼女はその区画へ立ち入るための用件も有していた。その階層に身を置く只独りから呼び出されたのだ。 ミナモはその人物から直々に届いたメールを自らのペーパーインターフェイスに発見した時、正直飛び上がらんばかりに驚いていた。丁度帰宅の徒に着こうとした際のチェックで受信したため、周辺に居たサヤカとユキノにもその驚き振りを見られてしまい、誤魔化すのに一苦労していた。 確かに、人工島の住民が差出人「久島永一朗」名義のメールを受信したならば、それは驚く事だろう。彼の地位はそれ程までに高く、また神格化されていた。特に現在の彼はブレインダウン症例にて加療中との建前であり、深い眠りに就いていると言う事になっているのだから。そんな彼からメールが届く訳もない。 しかし彼女が驚いたのはそれが原因ではない。もっと単純な事情――単に彼女はその「久島」のアドレスを知らず、彼女自身も彼に伝えていなかったからだ。 メタルの、ひいては人工島の神と謳われる久島である。一住民に過ぎないミナモのアドレスを知る手段などいくらでもあっただろう。しかし相手の同意を得ていない情報の取得は、人権を重んじるはずの人工島の流儀に反する行為である。それが判っていない久島ではない――もっとも今の「彼」は、実は「久島永一朗そのひと」ではないのだが。 ともかく色々と勘繰ってくる――「波留さんから返信来たの?」と早合点されたりもした――友人ふたりの相手もそこそこに、ミナモは彼女らと別れて電理研行きの水上バスへと飛び乗っていた。 電脳化していない彼女には、歩きながらメールをしたためるのは難しい。だから船上の席に落ち着いてから改めて携帯端末を起動してメールブラウザを立ち上げる。そこに件のメールを表示して眺めるに至った。 ――時間に余裕がある時でいいので、私の元へ来て欲しい。 そこに記されていたのは、それだけの日本語である。さらりとした1行メールだった。 以上の文章から読み取るに、ミナモは久島に全く急かされてはいないのだが、結果として彼女は速攻で電理研へと向かっていた。メールに記されていない部分に謎が多過ぎたからだ。それでどんな用件があるのか、何故ミナモのアドレスを知っているのか――それらを彼は一切書いていない。だから、ミナモは気になってしまい、放置出来なかった。 電理研とはそもそもコングロマリットであり営利企業に違いないのだが、人工島においては公共機関めいていた。だから電理研方面に向かう水上バスの本数も多く、どの時間帯でもそれなりに客が乗っている。 ミナモが結局返事を出す機会を逸したまま、そのバスは電理研の地上部分入り口へと到達していた。多くの客に紛れ、少女が慌てて席を立つ。乗車時の如く、勢い良く飛び降りていた。 人工島中学校の制服を纏った少女はまず、電理研のエントランスに姿を見せる。そこに常駐している、受付の任を担っているタイプ・ホロンに端末を差し出すと、そのアンドロイドはミナモを何も咎める事なく規定の通路へと導いていた。 そこから先は、端末の指示通りの道順を行くだけである。時折、通路の各所に設置されているコンソールに端末をかざしてパスを通せば、彼女はそのまま通過出来た。 徐々にその階層を深くして電理研の中枢を掠めるような通路に自らを導けば、通りすがりの専門職の職員が驚きの表情を浮かべたりもする。しかしその少女が紛う事なく通行パスを行使している姿を見れば、その正当性を疑う余地はなかった。結果、ミナモは誰にも誰何されない。 そのうちに通りすがる職員の姿もまばらになり、やがては彼女しか通らなくなった。通路のガラス壁に透過される海中の光景も光を通さない暗闇である。相当の深度に至っていた。 誰も通らない深海の通路は、何処か寒々しい雰囲気である。ミナモも少しばかり心細い心境になる。この道で本当に良かったっけ――そんな事を思いたくもなるが、彼女の端末がトレースしてくれている順路は間違っていない。 やがて突き当たりに扉を見出す。その扉に、彼女はようやく既視感を抱いた。何度か訪れた経験がある、その部屋の記憶と一致したのだ。 壁際にあるコンソールに端末をかざす。すると端末の画面にまた通行許可の表示が出た。そこまでは今まで何度ともなくこなしてきた行為である。 ――蒼井ミナモ。もう来てくれたのか。 不意に彼女の耳にその声が届いた。それに彼女は飛び上がって驚く。口から妙な声が出たりもした。 思わずきょろきょろと辺りを見回す。声がした場所を捜し当てようとした。 彼女の手元のコンソールの上部に、ホログラフ形式でダイアログが浮かび上がっていた。そこには久島の平面写真が表示されている。 それを認め、ミナモは画像を凝視する。何かを話しかけようとした。しかし、相手の声が彼女に先んじた。 ――入ってくれ。 その画像はアニメーションしない。声のみが再生されていた。その声が入室許可を与えた直後、スライド式の扉が圧搾空気の音を発していた。ゆっくりと扉がずれ、開いてゆく。その様子をミナモは呆然と見守っていた。 |