人工島の玄関先は、国際空港とフェリーターミナルと位置付けられている。 フェリーは隣接するアイランドとアジア諸国を中心とした近距離航路を主にしていた。その他、リタイヤした富裕層を当て込んだ世界一周するような豪華客船が来航する日もある。 それに対して国際空港からの空路は世界中に繋がっている。地球上の他の主要都市同様、空港こそが交通の大動脈を担っていた。 もっとも観光客に対しても入島条件が厳しい人工島への空路には、誰もが利用出来る訳ではない。逆に居住島民も5万人程度のため、島から旅立つ人間もその分少ない。だから空港の規模はそれ程大きいものではなかった。 更には「楽園」への密入国とテロへの対策も兼ね、個人所有のボートや航空機の運用も厳しく制限されている。それは今年7月の久島部長へのテロ以前からの慣例であり、テロ以後からは人工島当局は更に厳しい態度を取っていた。 四方を海に囲まれている人工島ではマリンリゾートを観光業の一部と組み込んでいる。だからボート自体は多く係留され利用されているが、人工島の領海ラインを越える許可はまず下りない。そしてそのライン上は監視されており、怪しい挙動を見せる船が発見されたならば、即座に何らかの処置が取られるのが常だった。 航空機に至っては、人工島一帯上空への侵入が基本的に禁止されている。故に一般人がプライベート機を所有する事は殆どない。富裕層や各主要組織が緊急時に運用するのみとの建前になっていた。 以上の前提を踏まえたならば、波留が人工島を離れるならば規定の空路を用いたと考えるのが自然である。仮にフェリー利用であったにせよ、空港の利用客は膨大とも言えない。まず空路の可能性を潰してからフェリーの利用客を調べたにせよ、遅くはない話だった。 結果的に、ホロンが波留の行き先を割り出すためには、1時間も要しなかった。 波留は今朝国際空港のカウンターを利用している。そこで中国大陸の北京行きのチケットを発券し、その航空便に搭乗していた――ホロンは早々にその事実に行き着き、それをソウタに伝えるに至った。 その事実は、ソウタの予想外だった。 何故北京などに波留が行かなければならないのか。若き部長代理はそれを全く想定していなかった。 もっとも、現状では「波留は北京行きの航空便に搭乗した」と言う記録が発見されたのみである。彼は本当に北京に向かったのか、或いは北京が最終目的地ではなくあくまでもトランジットなのではないか――その可能性も考慮しなければならない。 行き先を本気で偽装したいのならば、波留にはいくらでも手段はあったはずである。チケットを何種類も購入しておいて搭乗手続きを誤魔化すとの前時代的な手法もあるし、そもそも波留は世界レベルのメタルダイバーである。やろうと思えば航空会社サーバへのハッキングで自らの搭乗記録を消去する事も出来ただろう。 しかし、彼はそれをしていないようだった。紛れもない犯罪行為に手を染めたくはなかったのか、それとも偽装する気自体がないのか。ソウタにはどちらともつかない。或いは波留の腕前ならば、他者にはハッキングの事実を把握出来ない高度なレベルで情報を操作している可能性もある。 ともかく、ソウタにとっては、どの可能性であっても大した問題ではなかった。何故なら、どうあってもそれ以降の波留の足取りは掴めそうにないのだから。 人工島を脱出されては、人工島の住民たるソウタ達が波留を追う手段はなくなる。波留が他国に入国している場合、人工島から離れられないソウタ達にはどうしようもない。 確かに電理研は世界展開している企業である。政情不安ではあるが国家の首都の名目は保っている北京やその周辺都市、或いは隣国にも電理研の駐在員は居たかもしれない。波留が北京に到着したのが事実ならば、その伝手を頼って現地当局に協力を要請する事は可能だった。 しかし今のソウタにそれは出来ない。この「波留の失踪」を公には出来ないからだ。 どう贔屓目に見ても、現在の波留の状況では「人工島の機密を持ち逃げした」との評価を覆す事は出来ない。何せ彼は、10月末のテロの容疑者の記憶を復元していた唯一のメタルダイバーなのだ。そしてその調査を行っていた事実は、電理研・評議会の双方の上層部が知っている。ソウタを介して波留のレポートが上がっていたのだから、そのレポートの閲覧権利を持つ地位の人間達には伝わっていると解釈するのが自然だった。 だから電理研が誇る、世界的な調査機関の誉れを持つ調査部を動かす事は不可能だった。彼らを巻き込んでは、波留の失踪の事実自体が上層部にはどうしても漏れてしまうからである。ソウタ達がいくら隠そうとしようが、彼以外の上層部とて無能ではない。彼らの耳目もまた、調査部の何処かに存在するはずだった。ソウタはそれを警戒する必要があった。 せめて波留が人工島内において、北京以後のチケットを手配していたならば、まだ手は打てたかもしれない。しかし流石に波留はこれ以上の判り易いヒントを誰にも与えるつもりはなかったらしく、ソウタのその願いは絶たれていた。 だから、この調査には別のアプローチを加える必要がある。その観点から、ソウタはホロンに調査を一任した。彼女はそもそも波留に仕えていたアンドロイドである。波留が出没したとおぼしき近辺に姿を見せても、おかしな話ではない。 人工島の外を攻める事が出来ない以上、中から崩すべきである。北京行きの事実の発覚はひとまず置いておき、まず波留の人工島における拠点を調べ、旅先の手掛かりを見出す――そんな調査方針で確定した。 「――では、まずはマスターの御自宅に行って参ります」 「ああ、頼む」 決定事項を復唱するホロンに、ソウタは頷いた。方針は決した。その後は、そこで得られるであろう情報の選別である。彼はその覚悟を決める事とした。 そこに、ホロンは微笑みつつ付け加える。 「マスターの御自宅の捜索には、ミナモさんにもお付き合い頂いた方がいいかと存じます」 「――え?」 唐突に名指しされたミナモがぽかんとする。彼女は自らを指差しつつ、怪訝そうな声を上げた。 「何で私が?」 その疑問はソウタも同様であるらしい。眼前のアンドロイドからの勧めに首を傾げた。それから彼は、頭上に不可視のクエスチョンマークを浮かび上がらせているらしき妹に視線を送る。 そして彼の視線は室内を薙ぎ、ホロンへと至った。その無遠慮な視線を、公的アンドロイドは全く意に介していない。 「この調査は、マスターのプライバシーの侵害に当たりかねません。そのために、第三者の人間たるミナモさんの同席を確保しておいた方が後々禍根を残さないかと」 「そうだな…」 淡々としたホロンからの説明に、ソウタは顎に手を当てる。 「部長代理の身内」であるミナモが果たして「第三者」と一般に思われるのかは謎ではあるのだが、少なくともホロン単独で送り込むよりはマシな気はした。アンドロイド単独では、明らかに部長代理の意思がストレートに発現しているように思われるからだ。それは「アンドロイドには自由意志がなく、使役する人間の指示によって動く」と一般に認識されているが故の危惧だった。 考えがそこまで至ると、ソウタは顎から手を離す。ミナモをしっかりと見て、告げた。 「仕方ない。ミナモ、付き合ってやってくれ」 その台詞には明確な指示ではなく、半ば懇願めいた響きがあった。そこに彼の葛藤が漏れている。兄としては一般人に過ぎない未成年の妹を巻き込むのは本意ではない。しかし現状は、本当に彼が言うように「仕方ない」ものだった。これ以上の他者を巻き込んでは、その分失踪が発覚する危険性が増すのだから。 一方のミナモは兄からの頼みに無言で頷いていた。波留の不在にその自宅に足を踏み入れるのは、後ろめたい気分ではある。 しかしそうしなければ彼の居所が判らない。それを割り出さなければ、ソウタは迷惑を蒙る――そう言う事情ならば、やらなければならない。そしてそれが自分がやらなければならない事ならば、どうにかこなそうと思った。 でも。 自分なんかが、こんな事をやっていいのだろうか。波留さんに嫌われたかもしれない、この私が。 ――その一方で、そんな疑問も彼女の胸をよぎっている。 |