統括部長代理を担っている現在のソウタの仕事場は、部長オフィスである。彼はその部屋もまた、役職同様に久島部長から引き継いでいる。
 このオフィスへの入室パスを与えられた職員の数は少ない。もっとも、この部屋の主に用件がある職員は、専用アドレスにメールを送信すればその陳情なりは受け容れて貰える事となっていた。リアルの物品を手渡したいのならば、秘書業務を務める公的アンドロイドを介せば良い。
 それらの対処は、前任者とほぼ同等である。しかし電理研内を歩き回ったり安息義務を果たすためにリラクゼーションルームを訪問してきた前任者を職員が捕まえ直訴したような企業風土は、今は存在しない。そもそも現在の部長代理は職員の大半よりも歳若い。それ故に「電理研生え抜き」を称するには経歴も短く、職員達は新たな上司に対して距離を測ろうとしている様子だった。
 以上の事情から、ソウタは現在の電理研において「人間」と顔を突き合わせる機会があまりない。メタルを主幹とした人工島ではそれでも充分に通常業務をこなせるのだから、彼としては構わない現状だった。
 彼は自らに仕える秘書たるアンドロイド「ホロン」を使いこなしている。この公的アンドロイドは必要に応じてオフィスを退出し、各部署への折衝や報告を行い、データや素材を受け取ってソウタの元へと送り届ける日常を送っていた。
 ソウタがミナモを伴って、自らのオフィスに戻った時には、ホロンは既に在室していた。彼女はオフィスの傍らに存在するデスクで作業に当たっていたが、主達の帰還に席を立ち、柔らかな微笑を浮かべて一礼する。
「――お帰りなさいませ。ソウタさん、ミナモさん」
 彼女は「タイプ・ホロン」と呼称されるアンドロイドシリーズの一員である。彼女らの容貌は均一規格化されており、このホロンが纏う制服も電理研所属の秘書タイプのものである。
 彼女には、他のホロン達と違う点もある。タイプ・ホロン達は一様に眼鏡を掛けているものなのだが、彼女には人間から独自にスーマランと言うブランドグラスが与えられていた。そして左手の袖口からは、銀色の腕輪が微かに覗いている。これもまた人間から寄越された装身具だった。
 オフィスを不在にしていたソウタは、留守番を頼んでいたホロンからそのデータを受け取るべく、掌を向けようとした。
 彼は右脚を負傷しているため、右手に杖を抱えている。そのため、右利きであっても相手に差し出すのは左手にならざるを得ない。その際、同様に挙げられたホロンの左手元に弾かれている僅かな光が眼に入る。彼にはそれが眩しかったのかそれとも別の理由からか、微かに眉を寄せた。
 しかし、それ以降には何もない。ふたりは無言で掌を重ねてデータのやり取りを行い、数秒後にはその手を引き剥がしていた。
 情報交換が終わり、ホロンはソウタに黙礼し、一歩引き下がる。ソウタは自らの電脳内に受け取ったデータ類を展開しざっと眺めるが、通常業務の文書が並ぶばかりだった。電理研においては日常が保たれている――例えば、上層部や評議会側から何かを勘繰られたとか、彼が危惧していたような問題は起こっていない様子だった。その現状には、彼はとりあえず安堵している。
「それでは、おふたりには紅茶をお淹れ致しましょう」
 ホロンは傍らのミナモも視界に収め、優しい微笑みを浮かべて言った。それにミナモは顔を明るくする。目に見えた変化だった。
 少女は来客スペースのソファーの上に肩提げ鞄を乗せていた。が、ホロンの声に満面の笑顔で頷き、隣に並ぶ。秘書用アンドロイドと共にオフィスの奥にある給湯室へと向かおうとしていた。そこに来客の際に出されるお茶類が揃っている。有能な秘書として設定されているホロンは、それらを何時でも淹れられるように常時セッティングしているものだった。
 ミナモはその手伝いをしようと思った。無論、美味しいお茶を淹れるのはホロンだからこそである。ならば、せめて淹れられたティーセットをテーブルまで持って行くだけの役目は仰せ付かりたかった。
 その頃にはソウタは黒色のモノリス状のデスクに戻り、ソファーに腰掛けていた。傍らの壁に杖を立て掛け、妹と秘書の背中を眺め、見送っている。
「――あ、そうだ」
「どうかなさいましたか?」
 ソウタの前に並んだ状態のまま、ミナモが何かを思い出したような声を上げていた。その場に足を止める。ホロンも立ち止まり、少女へと声を掛ける。その先を促した。
 ミナモはホロンに向き直った。兄程度の背の高さを有するアンドロイドを見上げた。軽く首を傾げつつ、問い掛ける。
「ホロンさん…波留さんから何か連絡貰ってない?」
 その問いに真っ先に反応したのは、同じ室内とは言え距離があったソウタだった。耳に届いたミナモの声に、反射的にモノリスに両手を突いていた。身じろぎする音が静かな室内に響く。
 対して、問い掛けられた張本人は、質問者をじっと見つめていた。眼鏡越しに義眼が少女を見やる。そのアンドロイドは、何処か不思議そうな表情を浮かべていた。
 そんな表情を向けられている事に、ミナモも気付く。慌てて取り繕うように笑った。困ったような笑顔を浮かべ、右手を顔の前で横に何度も振って見せる。
「――ごめん、ホロンさん。気にしないで」
 ――色々あった自分はともかく、仕事上のメールを寄越したソウタにも連絡を寄越していないのだ。なら、ホロンさんにも連絡はなかっただろう。そもそも連絡があったのなら、ソウタに伝えているはずだ。何せホロンさんはソウタの秘書なのだから――ミナモはそう結論付けていた。
 実際に、ミナモの向こう側ではソウタも苦虫を噛み潰したような顔をしていた。彼女は横目でちらりとそれを見やる。その表情こそが、ホロン経由であっても波留からの連絡があったかどうかを物語っている。少なくとも彼女はそう思い、自分の推測が当たっていると理解していた。
 そんな人間達の様相は、ホロンの視界に入っている。彼女はすっと目を細めた。秘書としての微笑みをプログラムによって作り出し、形の良い唇を開き、言葉を発した。
「マスターからは、朝にメールを頂いています」

[next][back]

[RD2ndS top] [RD top] [SITE top]