ガラス壁の向こうから検査の様子を眺める立場にあったミナモだったが、食事を終えて数時間経過した昼下がりの時間帯にはそのガラス壁の向こうから来訪者がやってきた。
 アンドロイドを伴いその検査室から出てきて中学生の少女の元へ来たのは、蒼井衛と言う名のメタル技術者である。
 彼はその苗字が示す通り、ミナモの血縁者である。紹介に正確を期すならば、父親だった。彼がこのプロジェクトのリーダーと言う訳ではないのだが、その血縁上の立場がミナモへの説明を行うには適任と解釈されての起用だった。
 ともかく壮年の父がミナモに説明するには、検査は終了したとの事である。現状ではガラス壁は操作され、光を透過しない設定にされた。そのために、ミナモ達が居る側からは今では見通せない。
 検査が終わったのならば、名代たるミナモに見せる必要はない。ならば、たとえ残されているのが撤収作業だけであろうとも、隠してしまおう――その手の意図が働いているのだろう。
 ミナモはその現状を気にしていない。彼女にとっては父からの説明こそが重要である。そちらに意識を向けた。
 ――データを精査しなければ何とも言えない部分はあるが、急を要するような特筆すべき問題は見当たらない。だからとりあえず「部長」には自室にお戻りになって頂く――簡潔に述べれば、そんな父からの説明が彼女にもたらされた。
 その説明に、ミナモは顔を曇らせた。口を尖らせ、椅子から若干腰を浮かせて、父に質問を投げ掛ける。「検査担当者と名代」と言う関係ではなく「父と娘」と言う印象でこの様子を見ると、まるで食ってかかっているように感じられるだろう。
「――本当に大丈夫?AIさん、実際に記憶が飛んでるみたいだったよ?」
「…私は義体工学も脳理学も専門外だから良くは判らないが、部長の頭部に打撲の形跡はない。お前が言うように車椅子から落ちたのは本当なのだろうが、酷く身体を打ちつけるような事態には陥らなかったのだろう」
 対する衛も、娘からの質問には正直に答えていた。彼はメタル技術者であり、自らが述べたそのふたつの専門からは大きく外れている。しかしその専門家の同僚から訊いた通りの説明を、娘に対して繰り返していた。
 その説明に、ミナモは浮き上がっていた腰をすとんと落とした。
 専門外の人間からの説明は多少心許ない。介助士志望のミナモの方がまだ医学的見地からの知識は持ち合わせているだろう。
 しかし、頭を打っていないらしい。
 今回に限っては頼りない父ではなく、ちゃんとした専門家がそう判断を下しているはずである。頭部を打ちつけていないのならば、その内部に収まっている脳に衝撃は与えられておらず、ならば脳にダメージはないのだろう。そうなれば、ミナモの心配は解消される。
 頭を打っていないのならばどうして記憶が飛んでいるのか?――その新たな疑問は沸いてくるが、それは義体やAIには全く素人であるミナモの理解の範疇ではなかった。特にAIを構成するソフトウェアの専門家は、彼女の父である。その彼が問題ないと言うのなら、ミナモは信用するべきだった。
「じゃあ――久島さんも、AIさんも、本当に大丈夫なんだよね?」
 ミナモは指を突きつける勢いで、父に対してそう念を押す。AIさんと久島さんに何かあったら――彼女は、そこだけは譲れなかった。
「ああ。正式な検査結果が判るのは明日の朝になるだろうし、念のために今日一杯は部長には安静にして頂きたいが、ひとまずは大丈夫だろう」
「良かったー!」
 ミナモは満面の笑みを浮かべた。両手を打ち合わせ、椅子を蹴って席を立つ。勢い良く立ち上がった彼女の太股が椅子をずらし、危うく倒れそうになったが自力で持ちこたえる。その様子に、父は若干呆れ顔だった。
 
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