生身の脳核へのメディカルチェックと人工物のAIへのハードウェアソフトウェア双方へのチェック――それぞれは2061年の人工島においては通常の施術なのだが、脳核とAIとのハイブリットなど、特殊に過ぎる事例である。
 そのために検査に費やされる時間は長くなる。人間たる技師の集中力にも限界はあり、数時間に1回、10分程度の休憩は挾まれる。軽食を摂る時間も与えられた。
 だから蒼井ミナモにも部屋から退出する暇はあった。しかし彼女には、長時間の外出をするつもりはない。
 名目上の名代であるにせよ、その役目は最低限果たしたかったからだった。たとえ、眼前の作業の内容が殆ど理解出来ないにせよ、或いは検査に当たっている人々が父を始めとして馴染みであり信頼に足りると判っていようとも――それが自分のやるべき仕事なのだから。
 昼の休憩時間にて、ミナモは食事を摂るとの名目で部屋を退出した。しかし向かった先はリラクゼーションルームだった。
 確かにその区画は休息のために用意されており、飲食物の持ち込みも常識の範囲では自由である。テイクアウト用の飲食店も周辺区画に設置されている。しかしミナモはそれらに目もくれず、一直線にリラクゼーションルームへと向かっていた。
 半ば駆け込むように少女は休憩用の区画へと足を踏み入れる。その区画は空中庭園を模している、電理研内に複数整備されているリラクゼーションルームの中では一般的なものだった。それ故に利用する人間も多く、昼夜を問わず白衣の人間がベンチに腰掛けている情景が存在している。
 やってきたミナモの眼前に広がるのは、天井にメタルによって投影された青空である。その空の下には木々や緑の茂みが程良く並び、合間に鳥が羽ばたき地上ではリスのような小動物が駆け回っている。青空以外のそれらは紛れもなく生きており、環境を自然へ限りなく近付けようとの設計者の思想が見て取れる。
 それらはミナモにとって見慣れた光景だった。電理研内部は、職員以外の一般島民には普通馴染みがない。
 電理研は、利益を追求する私企業である。だが、人工島においては実質的にメタルやその他の科学技術を統括する公的機関と位置付けられていた。
 そんな存在なのだから、一般島民への情報公開と広報の一環として、電理研内部にも開放区画は存在する。しかしそれは電理研のごく一部に過ぎないし、基本的に入場者もその区画もフリーではなく、防犯の都合上管理されているものだった。
 職員のたまり場と化しているリラクゼーションルームも普通の女子中学生が見慣れているはずがない代物である。しかし蒼井ミナモはこの件においては普通ではなく、事情が違った。
 だから現在の彼女は、電理研周遊ツアーの参加者のように、眼前の風景に目を奪われる事もない。彼女が辺りを見回して求めているのは、もっと他の存在だった。
 頭のリボンが揺れ、制服のセーラーが翻る。大人と比較すれば身長はそれ程高くはない女子中学生は、周辺をきょろきょろと見回しつつ歩いていた。その分進行方向への注意が散漫になりがちで、白衣の職員にぶつかりそうになっては慌てて頭を下げたりもしていた。
 流石の不夜城とは言え、現在は昼食時である。休憩を摂る人間は多い。点在する白衣の群れの合間に目を凝らし、彼女は探し回った。
 時には白衣ではなく、青いツナギを着ている人間達もベンチに座っている。服装は違えど彼らは部外者ではない。電理研と契約しているメタルダイバー達だった。そしてミナモはその一種の制服めいた青いツナギが視界によぎる毎に、視線を止めた。そこを凝視し、その人物の顔を見やるのだった。
 そしてその度に、彼女の表情は曇る。あからさまに落胆している。
 たまには、自らに向けられたその視線に気付き、怪訝そうな表情を浮かべるダイバーも居る。場違いに女子中学生がこの部屋にやってきて、自分の顔を見てがっかりされるのだ。疑問に思うのは、人情として当然だった。
 しかしそれ以上に彼女と関わろうとするダイバーは居ない。女子中学生も同様である。お互いに顔見知りだった相手は現在ここには居なかった。
 そうこうしているうちに、肩から提げている小型鞄の内部から小さな電子音が鳴り響いた。その音は鞄を身に付けているミナモに聞こえる程度の大きさであり、人が多く談笑の声がさざめいているこの部屋では全く他者の注意を惹かない。少女が鞄を開けて中から取り出した携帯端末のディスプレイ部には、アラーム表示がなされていた。
 それは、検査チームの休憩時間が残り少ない事を意味する。その検査を見守る任務を受けているミナモも、早急に戻らないといけなかった。
 ミナモは端末を手にしたまま、早足で出口へと向かう。時折通りすがりの職員が物珍しげな視線を送るが、彼女は通り過ぎる人々には申し訳なさそうな会釈を送るばかりだった。
 出口に辿り着き、ふと振り返った。
 彼女の視界に広がるのは、天井のスクリーン形式の端末に投影された青い空だった。その空の下では、人々がそれぞれに休息を摂っている。電理研ではいつも繰り広げられている、日常の光景である。
 その風景を、ミナモは後ろ髪を引かれるような気分で見ていた。彼女が求めている光景はそれではない。
 望む人物を見付け切れていない。しかし、リラクゼーションルームの全域を見渡すには、今のミナモには時間が足りなかった。
 
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