現在、蒼井ミナモが沈黙しているこの一角は、電理研の一施設の一室である。 電理研とは人工島を支配する機関のひとつだが、その本質はメタルやその他の科学技術の最前線をひた走る技術者集団だった。その所属職員は、人工島住民においても選ばれし人材と評される。彼らは人工島の繁栄を成す財産を開発研究してゆく存在なのだから、当然の話だった。 そんな職場において、中学校の制服を纏っている年頃の少女の存在は、あまりに場違いである。しかし彼女の存在は誰にも咎められていない。と言うよりも、中学生の少女を気にかける人間は、この場には誰独りとして存在していなかった。 ミナモはその一室にて、独りで椅子に座っている。その椅子の向かい側、彼女の視線が向けられるべき方向にも壁面がそびえ立っていた。その壁面はガラス状であり、彼女の側からもその向こう側からも、お互いを透過して見やる事が可能な状態である。 この壁面もメタル端末の一種である。オペレーターの操作により光の屈折度を変化させ、完全に光を遮断して壁と化す事も可能であるし、マジックミラー化して一方の側からのみの視界を確保する事も可能である。無論、単純にガラス面に文字情報や動画を表示する機能も実装されている。人工島には有り触れた形式の端末だった。 ともかくミナモの方からも見通す事が可能な壁の向こうでは、白衣を着た技師達が何人か揃っている。彼らは様々な機材を前に、自分達の作業を行っていた。 彼らの傍らには別の制服を纏った女性達が随行している。顔から体型まで、彼女らは一様に同じ容貌をしており、制服とその容貌そのものが電理研所属の公的アンドロイドとの身分を明らかにしていた。彼女らはその任務たる、人間の技師達のサポート業務を行っている。 人間とアンドロイド達は、部屋の中心に位置する装置を見定めるように動いている。中央に備え付けられた装置はソファー形式であり、そこには人間が腰掛けて背もたれに身体を預けるように収まっていた。ソファーのあちこちからコード類が延び、それらは部屋の各所に位置する端末類へと接続されている。 ソファーに収まった状態の人間にも、コード類は接続されている。水色の病院服に身を包んだ彼の首筋には接続端子が存在し、そこにコードのプラグが差し込まれていた。機械的な端子を肉体に持つ「人間」は、2061年において一般的ではない。つまりは彼は機械体であり、それは全身義体と呼ばれる類のものだった。 彼の周りに立っていた技師が、アンドロイド達に指示を送っている。指で指し示しつつ言葉細かに喋っている様子が、ガラス壁の向こうからも伺い知る事が出来た。 人間からの指示に従い、アンドロイドがふたり、瞼を伏せて沈黙している「患者」の傍らに立って、彼の前に台を引き寄せた。それから慎重そうな手つきでそれぞれに彼の両肩に手をやる。 ソファー形態の装置に背中を預けている彼を支え、ゆっくりと上体を引き剥がしていった。首筋に接続されているコードがその動きに合わせてたわみ流れてゆくが、端子から抜けるような事はない。そのままアンドロイド達は彼の胸を、手前に準備しておいた台の上に押し当てる。そこに寄りかからせた。 その台からはみ出した格好になっている頭部が力なく垂れているが、ひとまずは体勢は安定した。肩から落ちて垂れ下がっている両腕を、アンドロイド達はソファーへと引き戻して落ち着かせた。 その作業を行っている中、人間の技師が患者の傍らに立つ。彼の両手には今まで存在しなかった白手袋が填められていた。慎重そうな面持ちで、彼は患者の後頭部に触れる。隣の端末にてモニタリングしている別の技師を一瞥した後に、頭部を覆う茶褐色の人工頭髪を一部、指で払った。そこに人差し指を押し当てる。 何秒かの沈黙が室内を通り抜ける。おそらくはメタルを介して何らかの処理が成されたのだろうと、門外漢にも推測が可能ではあった。ともかく微かな機械音がその沈黙を破り、直後には茶褐色の髪が不自然に浮き上がる。 頭部に触れている技師の瞳には緊張の色が走る。彼は注意深く手を動かし、その全身義体の頭部に両手を伸ばした。支えるように持ち、引くと、その頭部がずれて動く。義体の頭部フレームの外殻が開いていった。 フレームの隙間から垣間見えるのは、更に金属の外観に包まれた物体である。それが頭部フレームに隙間なく納められていた。天井のライトがそれを照らし出し、殻のような形状の金属がその光を弾き、鈍く輝く。 それは脳核であり、全身義体の施術を選んだ人間が唯一遺している「生身」の自分そのものである。その外殻にもいくつかの接続端子は存在しており、白手袋を装着した技師が注意深くコードを接続してゆく。アンドロイドや他の技師が覗き込むモニタには、その都度観測データが増えていった。 人間の技師に身体と脳核を任せてされるがままになっているその患者は、電理研統括部長である久島永一朗の容貌を持っている。そしてその様子は、ガラス壁越しに蒼井ミナモにも垣間見えるようになっていた。 電理研のみならず人工島の最高幹部のひとりに位置付けられている人物のメンテナンスの様子を、電脳化もしていない一介の女子中学生の眼前に晒している。 それは第三者が見たなら、奇異かつ許し難い状況と言われてしまいかねない所業だろう。しかし、少なくとも関わっている人々にとっては、この1ヶ月程度の期間においてこれは日常と呼べる作業だった。 だから、ガラス壁の向こうのミナモも、技師達の作業内容にどぎまぎする事はない。それこそ当初は頭部フレームを開いて脳核を露わにするような作業には「酷い事をしている」ようにも思えてしまったのだが、1ヶ月程度を経た現在ではそれが通常作業の一環であると理解出来ていた。 少女の前に横たわる問題は、現状では別に存在している。それが彼女の心を支配していた。 このメンテナンス兼検査に同席しなければならない事情はミナモにも判っているが、それに必ずしも心は向いていない。自分の心を持て余し、手一杯になってしまっている。そんな自分は勝手過ぎると思う。しかし、だからと言って、その動揺を収める事は出来そうになかった。 |