講義を終え、遅い昼食をまたしても独りきりで摂った後、波留は遺された半日を無為に過ごした。
 逗留先の家屋に残っていたのは彼独りだった。村人達を相手に農業指導に当たっているジェニー・円は勿論、秘書も何処か別の場所で作業に出ているようだった。
 だから波留は特に誰に断るでもなく、家を後にしていた。着替えとして持ち込んでいた洗い晒しのジーンズのポケットにペーパーインターフェイスを突っ込み、履き慣れたスニーカーでメインストリートの地面を踏みしめてゆく。
 空からは確かな太陽の光が降り注いでいるが、11月の空気は冷たい。結ばれた長髪に覆われていない首筋に当たる風は冷え切っていて、若干の寒気を彼にもたらしていた。思わず、羽織っていた青いコートの襟元を立てる。
 村には人の姿は少ないが、午前中よりは戻ってきている人間が見受けられた。その彼らも今日の仕事を終えて休息しているのではなく、村で行う作業に充てられた人員と思われる。
 その彼らは、未舗装の歩道を行く波留を認めると、途端に胡散臭そうな視線を向けていた。波留が自らに向けられた視線に気付き、顔を上げてその方角を見やると、すぐにその村人は彼から顔を背ける。波留は笑みを浮かべて会釈をしてみせるのだが、それに対する反応は一切返って来なかった。
 剥き出しの土の合間からは雑草の芽が生えている。波留はそれを避けるでもなく、踏みつけて歩いてゆく。彼だけではない人間によって踏み固められた大地においても、雑草は枯れずにその緑を残していた。その脇には灰色の幹を有する木々が立ち並んでいる。
 そんな風に村を散策する波留だったが、耕作地までは足を踏み入れなかった。そこは村人や彼らを援助する人物にとっては重要な場所であり、部外者である自分が興味本位に見物に訪れるべきではないと自重したからだった。
 それでも一部の畑は、家屋が並ぶ場所から遠目に眺める事が出来た。広い盛り土の上で様々な人々が様々な作業を分担している様子が、波留の視界に認められていた。その中には、つい先程まで波留と会話していた子供達も含まれている。
 土の茶褐色に人々の黒い頭が見え隠れする。それでも、そこに僅かながらの背の低い緑が垣間見えた。そこに冷たい風が一陣、吹きつける。
 波留の元にも風が到達する。それは結ばれた後ろ髪と、伸ばされた前髪を大きく揺らし、なびかせた。しかし草や木の葉が揺れるような音は彼の耳には一切届かない。それを成せるだけの自然は、そこには存在していなかった。彼が普段過ごしてきた環境では、それらは風の音と共に在るはずだった。
 徐々に風が治まってゆく。波留は自らの視界に揺れる髪を感じつつ、右手をジーンズのポケットにやった。そこに刺さっている携帯端末を掴む。
 彼は取り出した端末を顔の前にやる。待機状態だったそれを起動し、操作した。メタルに接続していない状態であっても、使用出来るプログラムは多々存在している。
 彼はそれらのリストから、カメラ機能を選択した。途端に端末の面の一部がカメラのレンズの役目を担い、起動する。
 波留はカメラを扱うように端末を眼前に掲げ、彼の方を向いている面に映っている画像を見やった。それはレンズが切り取ろうとしている光景であり、彼がシャッターボタンを押す事で静止画像として端末に保存される風景の一部だった。
 そこには、畑の遠景が映し出されている。端末に実装されているカメラプログラムは本格的なものではないが、それでも望遠機能は搭載されていた。しかし波留はそれを使用せず、あくまで自らの目で見えるままの風景をそこに投影している。
 端末に添えられた波留の人差し指が、シャッターボタンに当てられる。彼の眼前では端末は固定されていた。人体の構造としてどうしても手ぶれは発生しているが、画面上においては自動的に補正される。
 そのままシャッターを押そうとしたが、波留はその指を止めていた。その顔には、僅かに眉を寄せている。唇が動き、何事かを言い掛けた。それは独り言であり、誰かに聞かせようとはしていない。彼の周辺には誰も居ないのだから、当然だった。
 やがて、そこに立ち尽くしている黒髪の青年は口を結ぶ。彼の視界と、その眼前の画面に映し出されている遠景では、人々が忙しそうに動き回っている。
 そしてその場に、機械的に合成されたシャッター音が響いた。

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