内心に決意を秘めた波留の成果は、半々と言った所だった。
 やはり元々「異邦人」に興味がある子供が最前列を陣取るものであり、その一角の子供達は波留の語りに食いつくように視線を送っていた。彼らの箸は時々止まり、食事もそこそこに波留の話に聞き入っている。
 一方、最前列以降の子供達については、関心が薄かった。あくまでもこの講堂には食事をしに来たのであり、その前列で何か喋ってる男については聞き流している。或いは北京語を理解していないのかもしれない。未知の言語を前にしては、脳が全く聞き取れてない可能性もあった。
 そんな風に温度差が激しい相手達だったが、波留が携帯端末を胸の前に指し示すと大抵の子供が興味を惹かれていた。途端に目を輝かせ、半ばまで食事が残っている丼から顔を上げる。
 未知のガジェットではあるが、その表面のモニタに映像が映し出されては身体全体で興味津々を表していた。口で世界最先端の科学技術がどうのと説明するよりも、その技術の塊を実演した方が理解が早いものである。
「――これは、人工島で撮影した海です」
 波留はそう言い、映っている画像を指で指し示した。その液晶モニタには、先程の準備中の際に表示していた海と空の画像が選択されている。
「…海?」
 最前列の子供の独りが、波留が発したその単語を繰り返す。波留はそれに頷いた。再度、その北京語の単語を口にした。
「はい、海です」
「海って、たくさん水がある所だっけ?」
「まあ…確かにたくさんありますね」
 子供らしい単純な表現に波留は顔を綻ばせる。その子供は、この村に住み一度も外の世界に出ていない以上、海も大量の水も目にした事がないだろう。そして他の子供も、村人達も、同様の状況のはずだった。
 波留の答えに、子供はますます目を輝かせる。その大きな瞳に浮かんでいるのは期待の色だった。波留はその理由が何であるか、理解はしていた。しかし、そこには大いなる誤解が内包されている可能性が高い。だから彼は先手を打った。そこを指摘する。
「でも、塩分が含まれていますので、普通の水ではありませんね」
「塩分?塩?」
「はい」
 波留は頷く。そこから説明しなければならないのかと思うが、煩雑さよりも微笑ましさが勝る。或いは年少者を前にして、教育者めいた感情も沸き上がっていたのかもしれない。
「じゃ、舐めたらしょっぱい?」
「そうですね」
「うわー…」
 笑顔で頷く波留に、質問した子供は顔を歪めて引いていた。味覚とは食に直結している以上、普通の人間ならば誰もが持ち合わせている感覚だろう。それ故に知識量が乏しい子供でも、味覚に置き換えれば身近なものとして理解出来るものである。
「それじゃ、たくさん水があるのに畑には使えないんだ」
 何処か沈んだ声が波留の耳に届く。そしてそれに同意するようにざわめきが周辺の席から発生していた。
 やはり農作業の補助に従事している子供達だからか、そう言う方向に知識は連想されてゆくらしい。ならば、その興味をフォローするような方向に話を向けて行こう――波留は話の方針を変更してゆく。幸いにも、波留はその方面についても一般論としての知識は保有していた。
「そのままでは使えませんね。農業用水や飲料水として使用するには、濾過と言って、塩分を除去する過程が必要です」
「じゃ、やっぱり何とかなるんだ」
 波留の説明に、勢い込む子供がいる。顔を上げて嬉しそうな表情を浮かべていた。判り易い反応が返ってきている。それに、波留は苦笑を深めていた。少々気が引けるが、やはり農作業が身近な身の上の彼らにはその現実を教えておくべきだろうと思った。
「しかし濾過装置は高額ですので、やはり難しいでしょうね」
 その返答に、最前列の子供達は落胆の声を上げた。北京語を理解していない子供達が彼らに説明を求めると、波留の言葉の概要を伝えられ、落胆が連鎖してゆく。まるで打ち寄せる波を目の当たりにするかのような状況に、波留は微笑んでいた。
「まあ、それだけの手段は確立しているのです。後はその技術が安価に使えるように開発されたならば、未来が拓けるのでしょうね」
 そうやって波留は一般論としての締めを行っていた。それではその「未来」を誰が創り出すのか――そこまでは触れなかった。
 海水の濾過装置については、水不足が叫ばれる現在も世界の何処かで誰かが開発に勤しんでいるのだろうし、これからの世代でも進歩してゆくのだろう――それこそ、この場にいる子供達から科学者が輩出される可能性もゼロではないし、それを願っているのが波留のこの講義の「依頼主」だろう。
 しかし、それを押し付けてはならない。波留はそう思う。あくまでも自分達の熱意から研究は進めていくものである。仮に別の研究の道に進んでも一向に問題はないし、或いはこの村から出ていく事なく一生を終えても何ら恥じる人生でもないのだ。
「――他の場所では、雨降るの?」
 最前列には拙い北京語を喋り、質問してくる子供がいる。波留はそれを微笑んで受け止めた。彼としても北京語を体系として学んだ訳ではなく、会話や筆談で身につけたに過ぎない。何処か怪しい部分を内包したまま会話を重ねているのだから、お互い様だと思う。
「ええ。纏まった雨が水源となります。現在のあなた方は、それを用いて農業を行っているのではないでしょうか」
「雨…降ったの見た事ある」
「それは良かったですね」
 脳内に単語を浮かべつつ懸命に文章を構築している様子の子供に、波留は微笑んだ。世間話の延長線上のように受け答える。
 意外ではあったが、どうやらこの枯れ果てた大地でも、それを湿らす程度に雨が降る事もあるのだろう。雨が山頂で降れば川となり、大地に染み込めば地下水の礎となる。そうやって蓄積された水で、どうにか耕作地を運用してゆこうとしているのだろう――波留はそう判断した。
「何時だっけ…最近?」
 最前列の独りが北京語でそう言った後、後方を振り返って四川語で何事かを呼びかける。自分の仲間達に降雨の時期を尋ねているのだろう。
 やがて、納得したように両手を打ち鳴らす。波留には理解出来ない言語で呟いた後、その子供は教壇へと身体を向けた。
「――それ、7月だった」
「凄かった。水が塊になって落ちてきた」
「地面に水が溢れたの、初めて見た」
「でも、あれから全然降らない。元通り」
 どうにか北京語を解している子供達が、口々に波留に告げてゆく。流暢に喋る子供は居なかったが、その表情は信じ難い光景を説明するが如くのものである。彼らにとってその事件は奇跡に等しいものだったのだろう。
「………そうですか」
 一方の波留は、軽く俯いていた。沈黙の後に、それだけを口にした。
 実際に体験した子供達には奇跡であったとしても、それを伝え聞いた波留には、思い当たる事があった。そして、それがあったからこそ、現在のこの村の改善しつつある状況にも、説明が付くものだと気付かされていた。
 今年の一時期に記録的な大雨が降り、大地や河川にその蓄積が未だ残されているからこそ、現在において農耕が可能なのだ。
 その、残されている水源を導くだけの知識と技術を持つ人物が現在、この村を来訪し開発を行っている。今までの政府やその他の機関が何ら手を打てなかったのは、その水源が全くなかったからだ。技術レベルの高低差はあろうとも、水が涸れていてはどうしようもない。
 それは、まだいい。
 肝心なのは――現在、この村で農耕地開発を行うその人物こそが、7月の奇跡の豪雨を降らせた張本人だとすれば?
 今年の7月21日に気象分子プラントが稼働し、気象分子の散布が開始された。そしてプラントが「燃える海」に飲み込まれて破壊されるまでの1週間、気象分子は人工島遠洋から世界中に行き渡ったのだ。世界各地から降雨のニュースが発信され、渇水地域の人々はその奇跡に酔いしれた。
 その気象分子が7月の散布中に、はるばるこの地域にも到達し、大気中の水分子に作用して降雨現象を引き起こしたと仮定すれば、全ての事象に説明が付く。
 気象分子は、次世代の人工島の産業を担うはずだった。図らずもこの地域にも、世界最先端の技術の恩恵がもたらされていた事になる。そして散布が中断しなければ、再びの干魃には見舞われなかったのだろうか――?
 そしてその仮定は、この地域のみの話ではない。現在、世界の各所に水不足に悩む地域が点在している。住民の生存すら脅かされた末に、水源地を有する隣国との戦争に発展する国家も存在する情勢である。
 気象分子とはその危機を回避するための技術であったはずだった。人工島に更なる富をもたらす「次世代産業」ではあったが、同時に人類の至高の宝足り得る技術でもあったはずだった。
 それは、今まで人工島の産業を牽引してきたメタリアル・ネットワークと同等の立場と言える。そして、メタルの開発責任者たる久島永一朗と彼が率いる電理研も、気象分子の開発に協力していたのだ。
 残念ながら、気象分子は取り返しのつかない欠陥を内包していた。大地に纏まった水をもたらし潤すが、それ故に既に存在する大いなる水の集まり――海との相性が最悪だったのだ。海は気象分子を異物と認識し、排除し浄化しようとする。それが顕在したのが「海が燃える現象」であり、「地球律」の暴走だった。
 だからもう、気象分子の地球上での運用は不可能だった。世界中の誰もが、あの一夜のメッセージに拠りそれを知っているはずである。
 しかし、あの1週間でもたらされた降雨は、確実に地球の水源となり得たのかもしれない。後はそれを上手く採掘し、利用出来ればいい。その環境と技術を、各地に整えたらいい。
 もしかしたら、あの人物はそれを成そうとしているのだろうか。
 気象分子の運用に失敗した今、その失敗の躓きから起き上がろうとしているのだろうか。失敗の中から糧を見出し、別のやり方を見出そうとしているのだろうか――?

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