朝食を摂った波留は、一旦自らに割り当てられた一室に戻った。
 カーテン越しに射し込む11月の陽光は眩しさよりも暖かな印象を与える。彼はそのカーテンをさっと引き、無骨なガラス窓を露わにした。真冬の冷気を遮るだけあって、その外観からもその厚みが感じられる。
 その窓からは、外の様子が垣間見える。敷地を区切る壁と、庭にそびえ立つ大木が波留の視界に入ってきていた。庭の大地は茶褐色の土で、風が吹くと若干土埃が達昇る。しかし色に乏しい大地の合間に、僅かながら緑がちらついていた。確かにそれは変哲もない雑草ではあるが、新芽が顔を出しているのである。生命力が強い植物ならば、特に育成しようとしなくても自然発生的に生えてくるだけの環境が整いつつあるようだった。
 波留がこの村に到達するまでに散々見せつけられてきた、あの荒廃した大地とは比較にもならない土壌である。この村には、細々としたものとは言え、水路が引かれている。それが耕作地のみならず、この庭にもおこぼれが届いているのだろうか。
 しかし雨など降りそうにない環境だと言うのに、何処から水が来ているのだろう。地下水を掘り当てた可能性が一番濃厚なのだろうが、いくら科学の最先端を往く人工島の元有力者が助力したからと言って、只それだけで掘削工事などが大きな成果を見せる程度ならば、長年旱魃に悩まされる事などなかったのではなかろうか――?
 そこまで思考が至った時点で、波留は首を横に振った。所詮彼は、この村の開発や旱魃対策に対しては門外漢である。素人には計り知れない可能性や手段は確実に存在するのだろう――そう自らを捻じ伏せていた。
 それに、現実にこの村は救われつつある。ならば、それでいいではないか。
 現実が理論を凌駕する。それは、この現代社会においてもたまに見られる事実だ。彼は人工島のメタルにて、それを身をもって体験している――再起動後の初期化されたメタルに、何故か再起動前のデータの一部が漂っていると言う、紛れもない事実を目の当たりにして。それを思えば、世界に奇跡と呼ばれかねない現象は、いくらでも発生するものなのだろう。
 ひとまず考えを置いた波留は、卑近的な事に手を染めていた。これから外出するためにも身支度を整え始める。「外の世界の人間」として、子供達の前に姿を現すのである。着飾る必要性はないが、それなりにきちんとした格好を保っておかなければ「憧れ」足り得ないだろう。
 彼は手持ちの着替えに袖を通し、髪をきちんと結び直す。そしてこの家屋共用の洗面所を利用させて貰う。水が貴重な場所なのだから、顔は軽く洗う程度である。快適な寝台ではなかったが、鏡に映る自らの顔を見る限りでは、疲れはある程度取れていると自己判断する。
 実際に彼は、眠気は感じていない。寒気は覚えたものの、ぐっすりと寝てはいたのだろう。身体のあちこちには気だるさが残ってはいるのだが、それは長旅故だろうと思う。実際にたまに頭痛を覚える程度には風邪気味なのだろうから、それは仕方ない。薬を貰って飲んだのだから、これ以上悪化しない事を祈るのみだった。
 最後に、事前に秘書に勧められていた通り洗濯物を出して、とりあえずは波留の今朝の作業は完了した。この村の基準では遅く起きてしまった格好になっている彼ではあるが、それらの作業を終えても未だ午前中の範疇で収まってしまっている。
 約束では、講義は「昼」と言う話だった。どの時間を「昼」と見なすかは、一般的に考えても諸説あるだろう。そこできっちり時間を取り決めていないのは、おそらくは子供達が手伝っている農作業の進捗に左右されるからだろうと波留は思う。優先されるべきは彼ら村人の日常であり、外部の人間の講話ではない。
 確かに長い目で見れば波留の話も彼らに役立つ事になるのかもしれないし、円もそれを願って波留に講義の依頼をしている。波留もそう在りたいと願っていた。しかし、この冬を無事越して春へ繋ぐ事が出来るかと言う問題を抱えるこの村では、そのような長期的な視点は二の次だろう。
 となると、この状況における「昼」とは、彼らの昼食後ないしは昼食中と考えるのが自然である。それが客観的には何時になるか、波留はそれを見極めて動かなければならないようだった。
 そう言う訳で、波留はベッドの上に腰掛けた。カーテンを引いてガラス窓を露わにして、そこから外の風景が垣間見えるようにしている。
 その窓を僅かに引き、隙間程度に窓を開けてみると途端に冷たい空気が流れ込んできた。室内で稼動するラジエーターの暖気が吸い寄せられ、室内に空気の流れを発生させた。そして暖気と寒気とが中和する。
 暖房が稼動しているのに窓を開けるとは非効率の極みであり、資源の浪費かもしれない。しかしそうする事で、外からの音がガラスに遮断されず、波留の元へと届くようになる。そうして彼は、外の様子を感じ取る手助けとしようとした。
 遠くから微かに機械音が響いてくる。それは遠くに位置する耕作地で稼動しているのだろうし、そこに時折馬や牛など耕作用家畜の鳴き声が舞う。それに混じり、土の香りを風が含み室内に至る。波留はそれらを自らの身体の感覚を用いて感じ取っていた。
 彼の手元では、青色のペーパーインターフェイスが起動している。夜のうちに充電させて貰った事もあり、暫くの稼動に支障はなさそうだった。特に、メタルに接続するような使用方法を取らないのだから、更に節電される事となる。全く問題はない。
 波留はその携帯端末の一面に画像データを展開していた。ページ方式で1枚1枚捲っていく。
 それは、彼の電脳から落とし込んだデータのごく一部である。人工島においてはメタルを満喫している彼なのだから、この携帯端末は休眠状態だった。そこにわざわざコピーしたデータ類は、端末再起動時のテスト目的などで何の気なしに移していた代物だった。
 或いは、未電脳化状態だった1ヶ月程度の間に、この端末に保存したデータ類も残っている。再電脳化した時点でそれらは自らの電脳にコピーしておいたのだが、元データを消去していなかった。どうせもう使わないのであり、返却も求められなかったのだから、敢えて消す理由もなかった。
 しかし、この状況において、これらは上手く活用するべきである。波留はそう考えた。
 端末の画面には、波打つ紺碧の海が映し出されている。海の上には蒼穹の空があり、そこに白い雲が点在している。天頂に位置する太陽は光り輝き、波間にその威光を誇っている。
 それは何の変哲もない、人工島にて撮影された光景だった。
 しかし、この村には一切存在しないものだった。

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