結局、波留は朝食を独りで摂った。
 身支度を整えた彼が食堂を訪れた時には、昨晩同様のテーブルに秘書が独り分の食事の配膳を終えていた。この地方に由来するとおぼしき料理が並ぶ食卓には、微かに湯気が上がっている。
 どうやらここの家主とその秘書は客人に冷めた食事を提供するつもりはさらさらないらしい。波留に提供した部屋を後にした秘書は、それから料理するなり既に調理済みだったそれらを温め直したりしたのだろう。
 未だ鍋に入っていた料理を温め直し、配膳した可能性が高い。そうでなくとも、いくらここが大陸の奥地とは言え、電力は自家発電装置などで賄えているようである。ならば現在の世界に普及している家電である電子レンジの力を用いる事も可能だろう――波留はそうは理解しているのだが、それにしてもその料理の温かさは絶妙だった。実に完璧なもてなしを行う秘書だと思う。もてなしとは、豪奢とは必ずしも比例しないものであるのだから。
 当の彼女は波留に椅子を勧めた後、退出して行った。――部屋の外に控えておりますので、何かございましたらお呼び下さい――そのような秘書としての定型文を言い残して。
 かくして波留は、狭くはない一室にてテーブルを広々と使い、独りきりで朝食を摂る事となる。しかし波留としてはその扱いは幸いだった。多忙と思われる朝に、自分のために何時までも彼女を留め置く訳にもいかない。客人へのもてなしは最低限で構わないので、早急に自分の仕事に戻って欲しかった。
 用意された食事の量は、成人男性たる波留にとっても腹八分目と評するに相応しいものだった。それはこの寒村における豊かではない財政を表すと同時に、食後に人間が活動するには適切な量を確保されているとも表現出来る代物だった。非常に理に適っている。
 その料理は、栄養補給を主目的としつつも味わいは素材を生かした素朴なものだった。それは昨晩の食事と変わらない。
 彼が世界各地の料理に対してある程度自分を合わせる事が出来る性質なのは、事実である。だが、この料理の味はそもそもが彼のナショナリティである日本人としての舌に良く合っていたように思えた。料理人が日本人向けにアレンジしているのか、それとも味付け自体が似通っているのか、波留自身にはその判断を下すだけの知識はなかった。
 ――そう言えば、結局誰がここの料理を作っているのだろう。
 波留は昨晩の会食でも感じたその疑問を、再び思い出していた。あの時は結局尋ねる事もなく会食が終了してしまった。ならば、食事を終えて退室する際に、扉に控えているはずの秘書に訊いてみるか――波留はそうも思いもした。
 しかし、彼は結局それを実行しなかった。完食して食卓を立ち、それを見計らっての秘書の来訪を受け入れつつも「美味しかったですよ」との通常の感想を残したのみであった。
 秘書も彼の言動には何ら心動かされる所もなかったようで、軽く一礼して、先に約束していた風邪の常備薬を手渡し、「片付けは私が行いますので、昼の講義まで御自由にお過ごし下さい」と告げたのみである。互いに穏やかながらも社交辞令の枠からはみ出す言動は取らない。
 波留の中には確かに疑問はあった。しかしそれは些細な問題である。敢えて訊いてどうするのだろう――そう言う一種の面倒臭いと表現出来る思考が彼の脳内において、最終的には好奇心に勝利していた。
 或いは、料理人を確定させない方が面白いような気もしていたのである。それは別の好奇心の表れでもあり、悪戯心にも似た感情だった。
 単純に考えるならば村人の好意に甘えて料理を分けて貰っていると言う可能性が、理に叶っている。しかし、あのジェニー・円と言う人物がそこまで村人の好意に甘えるだろうか。波留にはそのイメージが湧かない。
 となると、可能性は絞られる。つまりはこの家に住むふたりのどちらかとなる。が、それはそれで、その人物達の容貌や言動を鑑みるに、料理とはあまり結び付かない。厳つい風貌の生真面目な科学者の男と、冷たい美貌を持つ有能かつ平静な秘書――。
 これが非常に失礼な思考だとは、彼も認識している。勝手にイメージを先行させているのだから、ある意味下世話な考え方なのだ。
 ともかく、考えが良く纏まらない。波留はそれを、彼らをあまり理解していない事に拠るのだろうと自己判断していた。そしてその溝はこれから埋める事が出来るのかも判らないし、果たして自分はそれを望んでいるのかさえ良く判っていなかった。

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