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「――ところで、私はあなたにある程度の協力を申し出ているつもりです」 「…ええ。ありがたいと思っています」 話を打ち切るように発せられた円の台詞に、波留は頭を下げた。定型文めいた礼の言葉が口から突いて出る。 波留からは、そんな慇懃無礼とも表現出来る言葉が呼び起こされる。それを引き出すべく円が発したのは、何処か押し付けがましい口調だった。 しかし、円の台詞は事実である。波留は円に厄介事を持ち込みながら、それを解決して貰うに当たっての、何らか代償を一切払っていない。これでは対等な関係を築き上げてはいないだろう。 その交渉も行わなければならないとは、波留も理解していた。頼るだけの友誼は自分達の間には立脚していなかったし、そもそも友誼のみで解決出来る問題でもない。きちんとした契約を結ぶ事は、お互いにとっていい事だった。 とは言え、波留に払う事が出来る「見返り」は、然程多くはない。 確かに金銭面での補填はある程度は叶えられるだけの財産を保持してはいるが、そもそも円自身が資産家である。人工島における資産は没収されたにせよ、それが彼の全てではない。資産運用の安全のためにも、彼にとっての本国やその他各国に分散されていた。それらの合計はおそらくは莫大な金額であり、そこに波留が幾許かの金を払った所で、円にとってははした金扱いだろう。 それでは金銭的補填以外を求められた場合、波留に何が出来るのか。 人工島の公権力をバックにつけての調査だったならば、人工島での名誉回復などの司法取引もあり得た。しかし、現状の彼はあくまでも個人で動いているだけである。伝手を頼って多少は口利きを出来るかもしれないが、「社会の敵」と認定されている円の名誉回復は至難の業である。安請け合いは出来なかった。 波留の表情は硬い。空のコップを手にしたまま、手の中でそれを無意識に弄んでいる。 色々と思考を巡らせようとしてはいるのだが、なかなか上手く頭が回ってこない。酒を飲み過ぎたのかもしれないし、微かな頭痛も続いていた。それらの感覚が明晰なはずの彼の感覚を邪魔している。 そんな黒髪の青年の様子を、円は見やっている。不意に、口許に笑みが零れた。口を開く。 「…いえ、情報料については、おいおい考えて頂ければ結構です」 どうやら波留の思考は彼には推測出来ていたらしい。思考が漏れでもしているのかのように、波留の考えを言い当てている。しかしメタルに接続出来ないこの地においては、その可能性は一切ない。 「まあ、とりあえずは宿代程度に考えて頂きたい事がありまして」 「…と、仰いますと?」 続いて来る円の話に、波留は首を捻った。本来の見返りではなく、軽い求めであるようではある。しかしそうなら、一体何を求められているのだろう。 「あなたも先程御覧になったかもしれませんが、この村にも子供達が居ます」 コップを手元で傾けつつ、微笑んでいる円はそう話を向けてきた。 波留は酔った頭脳ではあるが、今日の記憶を手繰り寄せてゆく。すると大した苦労もなく、村を訪れた直後の頃の記憶に行き当たった。彼が乗った車を追ってくる子供達の姿が、脳裏に浮かんでくる。 あれだけの元気と好奇心を保持しているのだから、彼らの生活はそれなりに幸せなのだろう。そもそも子供を養う事が出来るだけの体力がある社会だと、彼らの存在そのものが示唆している。 確かに彼らも楽な生活を営んでいる訳もなく、家や畑の手伝いなどはしなければならないだろう。しかし本当に困窮した社会ならば、労働力目的として子供を養う事すら出来なくなるものだった。しかし、一見してこの小村はそのレベルまでは堕ちてはおらず、円の来訪以来には状況が徐々に好転して来ている様子でもある。 「あの子達は外の世界を知りません。何せ他の村や町に行くのも一苦労な環境ですし、メタルにも接続出来ないので情報をなかなか得られない」 円の話に波留は頷いた。それらの事象は、彼自身が身をもって知った事実である。 外国人である彼は、首都たる北京からこの村に至るまでに長い道程を必要とした。途中の地方都市からこの村の間に、生き残っている集落は全く見当たらなかった。そしてこの地域ではメタルに一切接続出来ず、外部の情報を一切取り入れる事も出来ない。物理的にも電脳ネットワークとしても、この村は「外」から隔絶されているのである。 「そんな村に、外の世界からあなたがいらっしゃったのです。子供達の興味を充分に惹いているようだ。大人達はどうしても余所者への防衛本能が働いてしまうものですが、子供はそうでもなさそうですからな」 円の話は続いてゆく。その説明も、波留が乗っていた車を追い駆ける子供達の様子が肯定していた。それに対しる大人達の態度も円が指摘したような状態だったのだから、比較すると際立つ。 「まあ…だから、あなたには、外の世界の事を彼らに教えてあげて欲しいのですよ」 微笑みつつも波留を真っ直ぐに見て円が告げたのが、その言葉だった。その口調からして、それこそが波留に対して彼が求める「とりあえずの宿代」らしかった。 求められた波留は、きょとんとする。酒が入っているから頭の回転速度が若干普段とは違っている自覚はある。とは言え、円が実際には何を求めているのか。あまりにも漠然とし過ぎている。今の彼は、ホストの意図を把握しかねていた。 怪訝そうな表情を浮かべている波留を向かいに見る円は、軽く頷いた。手の中のコップを傍らに置く。その両手をテーブルの上で組み、波留の方へと軽く乗り出した。 「外の世界に興味を持つのはいい事です。そうやって視野を広げ、意欲と能力がある子はいずれこの村から出て行くといい。そして、良い教育を受けさせたい」 現在の波留とは同年代の容貌と同年代の実年齢を擁しているこの人物は、そんな事を語っていた。 その語り口は相変わらず淡々としているが、波留はそこに僅かな熱を感じ取る。円は感情を表し辛い設定の義体を用いているのだろうが、それを操るのは人間でありAIではない。相対する人物が機微に敏感ならば、漂う雰囲気などから何らかの変化を受け止める事が出来るものだった。 そんな義体が、僅かながらも「熱意」を外部に振り撒いている。そして波留は、それに類似した現象を先に見出していた。この小村の開発計画の語り口が、それだった。ならば、円にとってはこの「宿代」程度の依頼も同様なのだろうか? 「私は彼らに、そのきっかけを作ってやりたい。彼らの今を救うだけではいけない。将来への礎を成さねば、何時まで経っても状況は変わりません」 ――どうやら、漠然とした話でもいいらしい。波留はそう考えた。こうして言葉を重ねて来られると、彼としても円の意図を理解出来てきたからだ。 つまりは、援助は援助として現状は与えるにせよ、遠くない未来には自助努力に拠り独立して貰わないと困るのだ。円当人にとってはこの村はテストケースであり、延々と関わるつもりはないのだから。ここでの成功を他の寒村へと広げて行きたいのだから。 自助努力のための技術は与えてゆこうとしている。後は、それを運営するための人材育成だろう。そのためには大人はともかく、子供の教育をも必要とする。彼らには、現在の円からの援助を当然のものとして成長して貰う訳にはいかない。将来にはもっと別の物を自力で掴むように仕向けないといけない。 その手助けを、円は波留に依頼して来ている。ならば、波留としては、この村に存在しない物の話を――「楽園」と謳われる人工島の生活を普通に語ればいいのだろう。今の子供達にとっては夢物語かもしれないが、それは現実に存在する世界なのだ。その楽園に手を伸ばし、何時かは届き掴み取る子が出てくるかもしれない。 「外の世界にはそう言ったものが普遍的に存在している」との事実が、子供達にささやかな欲望を植え付ける事が出来ればいいのだろう。 波留としては多少姑息だとは思わないでもないのだが、援助される事に慣れ切った発展途上国は何時まで経ってもその地位から抜け出せない。それは歴史が証明している。ならば、こちらとしては素直に「外」の現状を伝えればいい。大上段に構える事もない。「楽園」の話を身近に感じて貰えるように努力しようと思った。 |