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この時点では、波留はその秘書が未だに円の元に居るとは思っていなかった。しかしその一方で、反タカナミ派かつ元円派の評議員からコンタクトを求められるような立場なのだから、完全に影響力が消失している訳でもなさそうだとは思っていた。 その上で、彼はその女性へとメールを送っていた。 彼女からの返信はすぐに来ていた。――私はあなたの事は以前から存じ上げておりますが、どのような経緯で私の今のアドレスを入手されたのでしょうか?――至極もっともな問いと共に。 その問いに対し、波留は全く悪びれずに応えていた。――あなたとコンタクトを取っていた評議員の通信を監視していました――と。 波留のその返信は、明らかに法に触れていると判る答えだったのだが、その女性は特に反応を見せなかった。事務的に用件を尋ね、更には自らがジェニー・円に未だに仕えている事実を告げた。 ――私はミスター円の命に従い、今も動いているに過ぎません。しかし、彼ならばあなたの疑問にお答え出来るかもしれません。 ――…ならば、彼との通信を、僕に許可して頂けませんか? これは、秘書を通じて、その主に面会を申し込むような台詞である。この時点で彼は特に面会自体を求めていた訳ではないのだが、礼儀としてはそれを踏襲しようとした。 ――現在、私共が滞在している地域には、有線メタルすら整備されていません。ですから、用件がある時にこの接続ポイントがある都市まで出向いて作業をこなしております。私共としても善処は致しますが、あなたの御希望に添えるかは、判りかねます。 しかし、秘書から返って来た文面は、このように素気無いものだった。有能な秘書らしく当たり障りのない表現に留めてはいるが「有線接続ポイントすら自分達の滞在地域には存在していない。あなたとの通信をするためだけに、私の主に接続ポイントまで遠出しろと要求するのか?」と、言い換える事が可能だろう。 確かに彼らの環境ではメタルへの接続状況が劣悪なのだから、波留の申し出は不躾に過ぎていた。彼もそれを理解し、返答に迷った。ここは謝罪して引き下がるのが筋だとは判っていたが、折角掴み掛けた手掛かりを前にこのままでいいのかとの忸怩たる思いもある。 しばし波留が返信に迷っていた頃に、秘書からメールが届いていた。 ――仮にあなたがこちらにいらっしゃるのならば、私共は歓迎致します。 その申し出に、波留は驚いた。予想外の返答だったからだ。もしかするとこれは、秘書からの助け舟だったのかもしれない。 通信手段が安定していないのならば、実際に面会をすればいい。険しい道程ではあるが、人里なのだから第三者が辿り着けない状況ではない。その訪問にあなたがそれだけの価値を見出すならば、来るといい――そう言う話だった。 理に適っている話ではある。しかし今まで波留は、その思考に至っていなかった。メタルでの通信で完結しようとしていた。が、やはり、お互いにリアルに生きる人間である。実際に面会する方が礼儀に適った行為だろう。 更に、秘書は条件を出してきた。――私共の滞在地域は、他の誰にも教えないで頂きたいのです。それで宜しければ、交通手段の手配を今から致します。 結果、波留はその申し出を快諾した。 滞在地域の秘匿の理由は、彼にも悟る事が出来ていた。それを誰かに嗅ぎ付けられてしまえば、取材を受ける羽目に陥るかもしれないだろう。そしてそれは今の円を取り巻く状況からして、好意的な取材になるとも思えない。おそらくは今は平穏に暮らしているのだろうから、それを乱されたくはない――波留は、秘書の言外にそう言うものを読み取っていた。 テロ調査の一環として、波留はひとまず人工島の外へと旅立つ事に決めた。 それが11月6日の夜であり、彼はレッドの記憶を分析してある人名を探り当てた日のうちにこの交渉に至っていた。 |