この大陸において大規模な戦闘が消滅して行ったのは、この10年の事である。しかしそれ以降も各所に都市を基盤とする軍事組織が点在し、乏しい資源を確保するために散発的に戦闘を繰り返している。或いは「軍」の体を成していないゲリラが道なき道を往く車を襲撃して略奪する事例も見られる。
 そのような荒廃した大陸を一見して無防備な車でひた走っている彼らだったが、幸運にも今回は盗賊団に襲撃される事はなかった。無論、そんな組織の支配下にはないルートを選択し、まだ明るいうちに荒野を通り抜けた事が効を奏しているのは言うまでもない。
 GPSに拠ると、その車は基本的に西方を目指していた。沈む太陽を延々と追いかけてきた事になる。だから、なかなか夜闇に包まれる状況には陥らなかったのだ。
 やがて、荒野に僅かに道らしきものが刻まれてきている。それは簡単に踏み固められたような道だった。周辺の大地を比較して、均されている。その上を走る頃には、タイヤが轍に取られるような動きも見せなくなっていた。
 道が整備されてきて程なく、車窓の風景も変化してくる。地平線の向こうに、何らかの物陰が垣間見えるなってきていた。点在する木立は相変わらずの様相だが、太陽に照らされて影を落とす。
 車が徐々にスピードを落としてゆく。そしてその頃には、前方にいくつもの建物が見て取れるようになっていた。そしてそれらは廃墟ではない――道の終焉には門構えがあり、そこに人間が立っていたのだ。
 彼らふたりは古くくたびれた印象のシャツとズボンを身に着けている。一般人めいた格好なのだが、各々の肩から下げられた自動小銃がその印象を払拭していた。それでも漂わせる緊張感はあくまでも素人の域を越えていない。本格的な訓練を受けた兵士ではない様子だった。
 実際に彼らは低速で走り寄ってくる車体を一瞥すると、途端に笑顔になっていた。破顔し運転席に駆け寄り会釈する光景は、傍らに抱える銃には似つかわしくない。
 同様に運転手の緊張も弛緩に至っており、窓を半ばまで開けて僅かに顔を突き出し、親しげに何事かを会話している。その言語は中国語ではあるのだが、北京で話されていたようなものとはまた違う。長い歴史を抱える広い大陸では様々な方言が存在し、互いに同言語とは思えないまでにかけ離れた亜種と成り果てている事もあった。
 この検問所でやり取りされたものと言えば、言葉と笑顔のみだった。車内の人間は下ろされる事もなく、そのまま門構えを通過する。
 その先に広がる光景は、小さな村だった。石造りや木造の建物が混在し、そのどれもが質素な印象である。
 それらを両脇に見るように、車はどうにか2台が離合出来る程度の道幅を持つ簡素な道を徐行してゆく。この道が、この村のメインストリートと位置付けられている印象だった。
 その通りでは人が歩いていて、走ってくる車に視線を向けてくる。建物からも人の気配が感じられる。波留がここに至るまでにいくつも目撃してきた廃村とは明らかに違う。大陸の外れに位置するのに生活を営むレベルを保っている様子だった。
 道端には子供の姿も見られ、こちらは大人よりも反応が顕著だった。走る車を指差したり、時には後ろから追ってくる子供も居る。その誰もが好奇心旺盛な笑顔を浮かべており、車と言うものが物珍しい代物なのだろうと推察出来た。波留はその様子をちらりと見やるが、古今東西子供の興味と言う奴は変わらないものだと思う。
 道路脇に立つ細い木が彼の目に入る。樹木の表皮は灰色で、あたかもこれまで荒野で見てきた古木と同様に思えた。
 車はメインストリートを抜けてゆく。十数軒の建物が並ぶ区画を通った奥には、一段高い区画があった。夕陽を浴びるその大地では土が一定の間隔で盛られ、土に汚れた人々が各々の作業に勤しんでいる。彼らの手には鍬などの農具があった。
 それは、外の広大な荒野と比較してはあまりにちっぽけな区画である。しかしその大地は耕され整えられている。そして何より、道端に停められた車の窓からも遠目に見える光景として、土と人の合間には紛れもない緑があった。
 日が暮れてゆく時間帯と言う事もあり、彼らの農作業は区切りを迎えている様子だった。各々に道具類を片付けてゆき、畑の隅で立ち話に興じている者達も居る。気温が下がり冷たくなった風が吹き抜け、頼りなげに小さく生える緑の作物を強く揺らした。
 彼らの中の一部は、道路に停車しているくたびれた乗用車に気付く。独りがその方角を指差せば、傍らの人間にそれが伝播してゆく。口々に何かを囁き合うが、乗用車に対して怪訝そうな態度は見せていない。
 やがては親しげな言動を取り始める人間も居た。運転席のドアが内側から開き、そこに腰掛けていた人間がゆっくりと出てくると、投げかけられる言葉の明るさも一際増してゆく。
 彼が無造作にドアを音を立てて閉める頃には、その向かい側に位置するドアが静かに開かれた。そこから薄い色の髪が覗くと、そちらにも親しげな声が掛けられてゆく。
 しかし、彼女自身は耕作地の方に視線を向けようとはしない。あくまでも後方を見やっていて、更に言うならばその視線は車内へと向けられていた。
 その後部座席に位置するドアが、何処か躊躇いがちにゆっくりと開いてゆく。耕作地側からは向こう側に位置するドアなので、農民達からは良くは見えない事になる。
 そしてそのドアが開き始めた時点で、親しげな声が唐突に収まっていた。これは、彼らには想定外の事態だったようである。
 彼らにとって、運転手とその助手席に座っていた女性は知己だった。だからそのふたりが見慣れた車から出てきても不思議ではない。が、車上の人となるべき人間は、他には居なかったはずである。ならば一体、他に誰が乗っていると言うのか?――そんな疑問溢れる空気は、ドアの影から結ばれた黒髪が覗いた時点で最高潮に達していた。
 
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