|
古い型番の車は、夕焼けに染まる荒野をひた走っている。その風景は、点在する立ち枯れた樹木と僅かに地面に見える茶褐色の草以外は、広い地平線のみだった。世界の果てを思わせる光景である。 波留は、自らの座席の傍らの窓を半ばまで開いている。心地いいと表現するには多少冷たい風に乗り、舞い散る土埃や排気ガスの臭いが車中に漂ってきていた。 風に前髪を軽くなびかせつつ、波留は膝の上にペーパーインターフェイスを乗せている。残っている充電池を用いて起動させ、その表面はディスプレイとして機能させていた。 波留がペーパーインターフェイスに起動させていたのは、周辺の通信分子の測定装置だった。自分が居る場所がメタルに無線接続出来る環境かを調べるための機能である。 「無線接続可能地域」とガイドブックなどに銘打たれていたとしても、人工島やその他先進国の主要都市のように高いレベルで整備がなされていない地域ならば、念のためにその環境をチェックしておくに越した事はない。そのためにこの測定装置は、携帯端末をモバイルとして使用する際のために、プリインストールされているものだった。 それが作動すると、端末の側面に設置されている測定口から空気中の通信分子を感知するようになっている。その空気中の割合と分子の稼働精度から、メタルへの接続の安全性を自動的に分析するのである。 現在表示されているその測定数値は、極めて低い。微弱ではあるが観測はされているものの、回線を保持するには程遠い濃度だった。 「散布から十数年経っているようですが、通信分子は多少は残留しています。しかし、現在ではこの付近のメタルを管理する組織もありません。ですから、メタルに接続出来るにせよ、その接続はあまりにも不安定です」 後部座席で観測作業を行う波留をバックミラーで確認しつつ、秘書はそう言った。それは表示されている観測結果から類推出来る現状である。 「接続可能だからと言って、人工島のように無線でメタルを利用するのはお勧めしません。分子の動作が制御されておらず、分子総数自体も少ないため、接続が不安定です。途中で回線が維持出来なくなりデータや電脳が破損する危険があります」 続く秘書の台詞に波留は頷きつつ、開け放たれた窓をゆっくりと締めてゆく。いくら古い型番の車とは言え、窓の開閉は電子制御となっていた。埃っぽい大地においてもそれは狂っていないらしく、普通に操作を受け容れている。 彼の手元では、用が済んだペーパーインターフェイスの電源を落としていた。このような環境では、不用意に充電池を消費するべきではない。これから逗留先に向かうとは言え、安定した電力が供給されているとは限らないのだ。 「あなたが頭痛を訴えてらっしゃる原因は、脳内のナノマシンにそれらの通信分子が干渉してきているからではないかと考えられます」 窓が閉まり風が収まった頃、秘書はそんな事を言っていた。それに波留は顔を上げる。手元の端末を鞄の中に滑り込ませた後に、垂れた前髪が鬱陶しく思えてきた。今まで風になびいていて多少は乱れたらしい。彼はその髪を整えるように掻き上げる。 「電脳化している人間は、通信分子からの微弱な作用をノイズとして拾ってしまうのです。我々も当初この地に足を踏み入れた際には陥った症例でした」 通信分子の不具合によって頭痛を引き起こす例は、人工島にも見られている。あの4月のアイランドでも似たような事例が勃発し、車椅子の老人であった波留も一瞬の頭痛を覚えたものだった。 それを思い返しつつ、波留は根本的な問題について質問していた。 「――どうすれば解消されますか?」 「まあ――慣れ、でしょうか」 僅かに口ごもった後に導き出されたそれは、とても身も蓋もない回答だった。つまりは直接的な解消法はないらしい。2061年の未来社会だと言うのに、上手く行かない事もまだまだあるようだ。 その回答を訊いて思わず、波留の中では高山病を連想していた。確かにそれも特殊な環境下に置かれた不慣れな人間が陥る症状なのだから、似たようなものかもしれない。 「それに、我々が携わっている村とその周辺ではメタルには一切接続出来ないはずです。あの辺りにはもうナノマシンが残っておらず、実際に観測装置に現れてきませんから」 つまり、村に着いてしまってそこで生活を営む限りは、この厄介な頭痛に悩まされる事はないらしい。彼らはそうやって乗り切っているのだろうかと波留は思った。 人工島とは色々と環境が違っている。それを痛感するような事ばかり、波留はこの地において体験していた。その大半は楽しめるレベルなのだが、若干厄介に感じる部分も確かにある。 そう思った途端、額に痛みが走る。彼は再び指を額に当て、眉を寄せた。 |