車体に伝わる振動が徐々に大きくなってきている。車窓越しの風景はますます荒れ果て、遠目に干からびた大地が広がっていた。車が行く道も舗装路ではなくなり、車輪の跡が穿たれただけの地面と化していた。
 その表面にある凹凸をタイヤが捉えると、サスペンションはその揺れを直結させて伝えてきた。クッションとして緩和させる役割は全く成していない。波留が乗車してきたバスよりも酷い乗り心地となっていた。
 彼はふと振り向き後部を視界に入れると、車体の背後から吐き出されている排気ガスが色濃く感じられた。どうも夕焼けの大地に黒い煙の筋が際立って見えるのだが、締め切られた窓だと言うのに何処か煙たい気もする。
 ――不完全燃焼でも起こしているのだろうか。しかし運転手も助手席の秘書も平然としたものだった。ならばこれは、彼らにとっては予想の範疇であり、日常的な事態なのだろう。敢えて気に留める程の事でもないと言う事だ。
 考えられる可能性と言えば、燃料であるガソリンが純正品ではない事だろうか。波留はそう思う。
 21世紀も半ばを過ぎ、運用エネルギーは太陽光や風力や水力など、自然を用いての割合が徐々に大きくなっている。しかしそれらを一般ベースで運用出来るのはやはり富んだ国や地域であり、枯渇しつつある化石燃料はそれ以外の地域で未だ現役だった。
 化石燃料で一般的に流通するのは、今も昔もガソリンである。そして混ぜ物が加えられたガソリンは古今東西を問わず販売されている。そうする事で安価になり、総量も増える。だから金銭や資源に貧しい地域や人間はそれに飛びつく。
 しかしその分エンジンなどの故障の遠因にもなり得る。結果的に修理して騙し騙し乗りこなさなければならなくなり、「安物買いの銭失い」の諺を地で行く展開が待っているものだった。
 が、そんなガソリンや車しか手に入らない地域では、それが通常の展開である。仕方のない話だった。
「――女性であるあなたがお迎えにいらっしゃるとは思ってもみませんでした」
 窓から降り注ぐ夕闇を頬に当て、波留は正面を見てそう告げた。ミラーに映っている秘書の顔に話し掛ける。
「何故ですか?会話こそなかったものの、私は人工島時代からあなたを存じ上げておりますし、あなたも私の事を御存知でしょう。全くの初対面の者を代理に立てるのは、余計な混乱を招きかねません。非効率です」
 相変わらず淡々とした返答が来た。前に座る秘書もやはり振り返る事なく、ミラー越しに応対している。
 冷静な指摘に波留は苦笑した。――「非効率」か。まるでホロンのような言い方だ。「秘書」と言う職種では、その言い回しが共通なのだろうか?
 その表現に、思わず彼は目の前の秘書が本当に人間なのか、AIを搭載されたアンドロイドなのではないかと疑いたくもなる。彼女は確かに有能なのだろうが、あまりにも人間味を見せない。だから、接する自分はそんな事を思ってしまうのだろう――彼はその考えに至っていた。
「…何故かと問われますと…」
 苦笑を深めつつ、波留は口ごもる。指摘したい点はあるのだが、それは外国人としての感想である。無遠慮に言ってしまってはならないだろうと思ったのだ。
 無論、この秘書とて「外国人」には違いないのだが、8月以来この地の人となっているはずだった。数ヶ月も滞在すれば、全くの異邦人ではなくなっているだろう。その地に愛着めいたものも沸いてきているならば、批判的な事を言われたくもないだろう――。
 そこに、秘書はさらりと告げた。
「危険なのは、男女を問いませんよ」
 その返答に、波留は口元から笑みを消した。秘書に彼の心中を言い当てられたからである。つまりは彼は、軍人が闊歩し戦争の爪痕が残され、辺境では戦闘が散発しているこの大陸に、一見無防備な女性が姿を現しても無事なのだろうかと思っていたのだ。
「しかし、この大陸にもそれなりの秩序が成り立っています。その秩序に則った行動を取れば、無闇に危険は迫ってきません」
 女性の口からは淡々とした解説が続く。つまりは彼女らが波留の眼前で取った行動こそが、それなのだろう。波留にもそれは理解出来た。
 不用意に車外に出ず、軍人から要求される賄賂は素直に払う。おそらくはその賄賂の相場も理解しており、不必要な金額は支出していないのだろう。だから、それ以上付け狙われていないのだ。
「それに、いざとなれば自分の身を守るだけの準備はしてあります」
 秘書はそのような台詞を口にする。その言葉に、波留は顔を上げた。ミラー越しのまま視線を下に向ける。映っているのは彼女の顔と、その下に位置する胸元だった。
 そこは厚手のコートに覆われているため、容姿は明らかではない。しかし波留には、類推出来る事柄があった。日本人には馴染みがない代物だが、治安に不安があるアジア諸国では50年前からもあり得る話だった。
「…護身用の銃をお持ちですか?」
「ええ。私も――そこの運転手も」
 躊躇いがちに発せられた波留からの問いに、秘書は即答していた。彼らが纏う厚手のコートの奥にはそれが隠されているのだろう。
 密かに携帯するのとあからさまにちらつかせるのとでは、果たしてどちらが効果的なのだろう。それとも彼らは場所に合わせてコートを脱ぎ、それを選択するのだろうか――波留はそんな事を思った。一般市民の銃の携帯はこの国で法的に認められていただろうか。その当然過ぎる疑問は、しかし現状のこの国では無意味だろう。
「ですから、仮にこの車が盗賊に襲撃されたら、あなたはそこで黙って縮こまっていて下さい。余計な動きを見せては付け入られますし、我々にもあなたを守る余裕がなくなりかねません」
 ――これは冗談のつもりなのだろうか。相も変わらず淡々かつ冷静な声でもたらされる秘書からの台詞に、波留はふとそう感じた。
 冗談にしてはあまり笑えない代物だったので、やはり本気の忠告なのかもしれない。しかし彼にはどちらとも判断が付かなかった。
 
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