荒野にぽつりと出現したようなそれなりの規模の都市から、申し訳程度の舗装路が延びている。 そして波留をピックアップした車は、その路面をひた走っていた。検問所の軍人達は相変わらず物々しく視線を都市の外へと向けてはいるが、走り去る車には最早興味はないらしい。只単に視線の方向が一致しているに過ぎない様子であり、その場に立ち尽くしたまま通常任務をこなしていた。 後部座席に荷物ごと収まった波留は、車窓越しに外を眺めた。荒れ果てた大地から漂う土埃は濃い様相を呈していて、地平線から空へと向かって何重もの層を作り出していた。 そこに傾いた太陽が差し掛かり、その層ごとに陽光はぼやけ、赤やオレンジなど様々な色彩を見せている。傍目にはこれもまた美しい自然の風景のようにも見えるのだが、砂漠化してもおかしくないまでに極端に水分が少ない状況を思うと素直に目を楽しませてもいられなかった。 そうやって外部に思いを馳せた後、波留は車内に視線を転じる。前方の座席のうちの左側に位置する運転席にてハンドル操作を行っているのは、中年男性だった。短く刈り込まれた白髪交じりの黒髪と日に焼けて浅黒くなった顔の肌を、窓から差し込む強い陽光に晒している。しかしそれ以外の箇所は厚手のコートに身を包んでいるため、明らかではない。11月の内陸部なのだから、防寒対策もしっかりとしているのだろう。 顔立ちはアジア人のそれとは言え、波留ともまた違う。かと言って、波留がこの地に降り立ち北京で関わった職員達とも微妙に違う感じがした。先程の兵士達には類似した雰囲気がある。おそらくはこの周辺地域の民族であり、北京周辺とはまた違う人々なのだろうと思われた。 運転手はあくまでもその任務に集中している様子だった。バックミラー越しに波留に垣間見えるその顔つきは、正面を見据えている。後部座席に居る客人に興味を示してはいなかった。心中はどうかは判らないが、少なくとも表面上はそんな雰囲気を保っている。 波留はそのミラーに映る、助手席の人物を見やる。鏡越しに見えるその人物は、先程車内から波留に声を掛けた女性だった。色の薄いショートヘアに、やはり防寒対策らしい厚手のコートを羽織っている。 そして、助手席の彼女は、隣の運転手とは違い、波留の記憶に存在する人物だった。その記憶では厚手のコートではなく、折り目正しいスーツを纏っていたものだった。 その思考に至り、波留は表情にはにかみを見せる。長旅でぱさついてきている前髪に手をやり、掻き上げつつミラー越しに声を掛けた。 それはこの地で殆ど交わされる事がないはずの日本語である。しかし波留は先程、彼女からその言語で呼びかけられていた。 「――あなたも人工島から出て行っていたのですね。連絡をお取りするまで全く存じ上げていませんでした」 波留のその声を耳にしたらしき女性は、伏し目がちにしていたその瞼をふと開いていった。徐々に視線を上に向け、やはりミラー越しに波留を見る。 「ミスター円との契約を更新しない理由は、私にはございませんでしたものですから」 バックミラーに映るその顔は、全く笑っていなかった。淡々とした声が、美しいと表現出来るその顔から静かに発せられている。用いられた日本語の発音は綺麗なもので、まるでこの車内を人工島の一部のように思わせた。 その女性が述懐した言葉は簡潔なものである。しかし波留はそこから様々なものを勝手に汲み取っていた。――色々な苦労があっただろうに。彼はそう思い、瞼を伏せ、軽く頷く。 この女性が人工島に在住していた頃。彼女は有能な秘書としての任に就き、影ながら人工島の発展に寄与していた。彼女が仕える人物は人工島の重鎮だった。彼女はその人物に付き従っており、波留は彼女自身と言葉を交わした事はなくとも、姿は何度も見かけていた。 しかし、彼女の雇い主は、8月中に人工島を追われる身となった。世界的規模となった災厄の責任を取ったのである。 刑事や民事で訴追された訳ではない。しかしそれに類する司法取引が行われ、彼は人工島における全てを失った。財産は勿論の事、在留許可すら剥奪された以上、島に留まる事も許されない。しかし、彼はその条件を飲み、抗う事無く従った。 それが在りし日の人工島3巨頭のひとりに数えられた、諮問委員長にして気象分子協会の長を務めたジェニー・円である。 気象分子が引き起こした大災厄は世界を巻き込んでいる。そしてそれを生み出したのは誰なのか、世界中の人間は理解している。気象分子に携わった人間は糾弾の対象となり、最も重い役職を担っていた円を表向き弁護出来る人間は居なかった。 そう言う状況なのである。だから波留としては、以前からの秘書である彼女が中国大陸まで円に付き従っているとは思ってもみなかったのだ。 何せ、世界中から「社会の敵」とまで見做されかねない相手である。どんな忠誠心の元に、契約を更新するだろうか?むしろ状況が激変した以上、秘書側から契約の破棄を申し入れても充当だろう。 しかも、彼女はアンドロイドではなく正真正銘の人間である。他の重鎮たる電理研統括部長や評議会書記長が秘書型のタイプ・ホロンを用いる中、その諮問委員長は人間の秘書を雇っていたのだ。人間なのだから、AIのように忠誠心を強要される事はない。人間である以上人権は尊重されるべきであり、正当な理由の元に離職を申し出たならば、雇い主たる円は認めなければならなかっただろう。 しかし、この秘書はその権利を放棄したらしい。或いは、権利を行使する意志が全くなかったらしい。 彼女は雇い主と共に楽園を去り、荒野の住民となっている。円の他の仲間――例えば気象分子協会の構成員がそれぞれの道を歩んでいるのとは、あまりにも対照的だと波留は思わざるを得なかった。 |