代替輸送用のバスも、やがては終点に到着する。
 その都市は、先程乗り換えた都市程度には発展した様相を呈していた。やはり近代的なビル群と、歴史を思わせる建築物が都市内に相乗りしている。
 しかし、過去の建築物における様式は微妙に変化している。これは、広大な大陸における歴史文化の差異の表れなのだろう。一時期はひとつの国であったにせよ、歴史を遡れば別の民族が打ち立てた都市国家として存在していたケースもあるのだから。
 このバスは、そもそも列車の代わりである。線路の保守が出来ていないがために走行不可能な列車路線の代替バスなのだ。
 本来その列車に乗るはずだった乗客の大半は、途中の都市で降りてゆく。終点の都市まで居残っていたのは、波留を含めて乗車時の半数以下だった。
 更に西方に向かい大陸内部に入り込んできたからか、バスから降り立った波留は寒気を覚えた。太陽の縁は地平線に掛かりつつあり、徐々に空気は冷やされていた。
 実際に、北京到着時よりも気温は低い。波留やその周辺を歩く人々の口から吐かれる呼気も白くなっていた。湿度を殆ど含まない空気が、緩やかな風となって彼の頬を突く。
 バス停留所付近にはやはり国軍が控えていて、検問所を設置している。そこで下車した人々をチェックしていた。
 小脇に銃を携えている無愛想かつ高圧的な軍人にパスポートを提示する手順にも、波留はすっかり慣れつつあった。彼のような外国人ばかりか、この国の人民も軍人に対しては従順である。
 そんな物々しい雰囲気が、冷たい大気の温度を更に下げている印象もあった。しかしそれがこの国の現状なのだろう。
 輸送を終えたバスから下ろされた人々は、チェックを終えては散会してゆく。この都市に用があって訪れている者が大半だろうが、中には更に奥地へと個人で向かおうとする者も居た。
 大国だった頃には、その列車の路線はもっと先まで伸びていたのだ。なのに今、代替バス路線すら打ち切られているのは、この都市より先に居住する人間が格段に減少しているからだった。
 一定数の乗客が見込めないならば、路線は維持出来ない。それは世界共通の認識である。国としての制御を失いつつあるこの地域では、赤字覚悟で路線運用を続ける義理など誰にもなかった。
 軍からのチェックを受ける以上、バスの停留所は都市の外れに存在する。審査を経て波留は都市への滞在許可を得たものの、検問所付近でうろついていた。彼の目的は、この都市にはないからである。
 しかし、都市に入るでもなければ退出する訳でもない。都市の縁を手持ち無沙汰に歩いているだけの彼に、門番たる兵士が訝しげな視線を向けている。妙な外国人がそこに居る――そんな顔をして、隣の兵士を小突いて目配せしている風だった。
 胡散臭そうな視線を向けられている事は、波留も判っている。都市に入り込んで行かないにせよ、周辺で破壊工作でも行われては駐留軍もたまらないだろう。身分証としてパスポートを提示したにせよ、もしかしたら見破れない程の高いレベルでの偽造品なのかもしれない――そんな勘繰りすら受けてしまいかねないと思う。
 そして疑惑を持たれた挙句に因縁を吹っ掛けられ、逮捕拘留されては敵わない。紛争地域である以上、軍の力は強い。多少の横暴は阻止出来ないだろう。
 そうならないうちに、彼は目的を果たしたかった。しかし、それは彼だけでの問題ではなかった。そこがややこしい事態なのだ――と溜息をつく。その時だった。
 微かなエンジン音が、地平線の向こうから聞こえてくる。その方に視線を向けると、路面が全く舗装されていない奥地へと続く大地を、車が土煙を巻き上げつつ走ってきていた。
 その車は角張り古びた車体を持ち、道路に刻まれた轍に大きく揺れている。そしてのろのろと徐行運転で都市の門構えへと迫って来ていて、立っていた軍人が銃を構えつつもゆっくりと歩み寄って行った。
 停車せよとの単純かつ高圧的な文言が、兵士の口から投げつけられる。そして車体はそれに従い、検問所の前で停車した。
 途端に兵士が車体に数人張り付く。ひとりが助手席側に回り込み、もうひとりが運転席側へと立つ。
 各々が銃を構えて車に向けて突き付けつつ、検問を開始していた。それは、この地においては特別な光景ではない。外部から来た車輌に対する検問の一種だった。
 銃を突き付けようが、逆に突き付けられようが、この地の人間にとっては「大した事ではない」のだ。波留は足を止めてその光景を遠巻きにして見やりつつも、そんな状況に慣れていいものか迷っていた。
 その車は左ハンドルの普通車で、運転席に座っている人間が窓を開けて平静に身分証を提示している。それを兵士が受け取り、目視でチェックしていた。
 やがて、兵士のひとりが唐突に波留を見る。波留の方は、突然に合わせられた視線にきょとんとした。
 そんな場合には普段ならば反射的に微笑みを返すのが彼の性格だったが、都市防衛の最前線に立つ彼らにその対応は果たして正しいのか。その想いが脳裏をよぎった黒髪の青年は曖昧な笑みを浮かべる事すら思い留まり、軽く顎を引いていた。
 その胡散臭い外国人を見やった一兵士は、そんな想いを類推する事はしない。彼は軍人として横柄に対応した。無言で顎をしゃくり、自分の方へ来るように促したのだ。
 波留は小首を傾げる。しかし疑問を顔に表し続ける事はしない。軍人に呼び出しを受けたのだ。素直に応じるのが利口だった。
 彼は左肩に掛けていた鞄のベルトを掴み、ずり落ちないように支えつつ小走りに車の方へと向かう。履き慣れたスニーカーが硬くぼろぼろの大地を蹴り、土埃を巻き起こした。
 車体に走り寄った波留は、その傍らに立つ兵士に会釈する。
「――波留真理様ですね」
 その時、不意に波留は車の中から呼びかけられていた。それに波留は驚く。
 その驚きとは、突然自分の名を出された事が第一である。しかし何よりも、その台詞の言語は日本語だったのだ。しかもその発音は綺麗なものであり、日本人と遜色ない。少なくとも付け焼き刃レベルではなかった。
 思わず波留は、開いた窓から車内を覗き込んでいた。その際に傍らの兵士を半ば押し退ける格好になってしまっていたのだが、幸運にも兵士は何も言って来なかった。
 運転席に腰掛けているのは、白髪も目立つ中年男性である。ステアリングを握る彼は質素な色合いの薄汚れたコートを纏っており、波留を見るその視線は兵士同様に胡散臭そうな代物である。
 そしてその先、助手席にも人間が座っていた。カーキ色のコートに全身を包み、色の薄い髪は短いものの身嗜みを整えられている。
 そして何より、その人物はコートに包まれた身体のラインから見るに、女性だった。明らかになっている顔立ちからも、それは判る。
「長旅お疲れ様です。後部座席にお乗り下さい。この先を御案内致します」
 その女性は席に着いたまま会釈し、波留にそう告げる。彼女の口からはアクセントに何らおかしい点は見当たらない、流暢な日本語が紡がれていた。
 促されるままに、波留は一歩踏み出す。古びた車の後部に回り、そのドアを引いた。
 元々ロックは外れていたようで、彼の手の動きに従い、ドアは開く。途端に車特有の匂いが彼の鼻腔を突いた。窓は今まで締め切られていたのか、車内の温度は外気よりも高いようである。
 波留は兵士と車内の人々とにそれぞれ頭を下げ、自らの身体と付随する荷物とを後部座席のロングシートへと導いていた。靴底に付着していた土埃が白く舞い上がり土の臭いを醸し出すが、車内の人々はそれを咎める事はない。
 半ばまで姿勢を整えた時点で、波留は早々にドアを閉めた。ばたんと大きな音を立てドアはきちんと閉ざされ、外気を遮った。
 その前方では中国語で何事か会話が交わされている。波留の耳はそれを拾っていた。
 運転席の窓は開かれ、兵士と運転手が短くやり取りを行っていた。そして運転手が兵士に対して何かを差し出すと、兵士は無言でそれを受け取る。
 右手でいそいそと腰のポケットにそれを突っ込みつつも、左手は横柄な態度を保ったかのように、無造作に横に振られる。
 もう行っていい――それを連想させる仕草に運転手は頷き、サイドブレーキを下ろした。ギアを繋ぎ、アクセルを踏み込む。用はないと言わんばかりに、車は発進して行った。
 タイヤは土煙を巻き起こし、掻き分けてゆく。波留はその様子を閉ざされた窓の向こうにも充分に見る事が出来ていた。
 先程、運転手が兵士に渡したものを、彼は理解していた。
 それは幾許かの札束だった。
 良いように解釈すれば、それはあくまでも通行料なのだろう。しかし都市を掠めただけで中に入り込もうとしていない車に、一般常識として通行料が発生するとは思えない。言ってしまえばそれは、賄賂だったのだろうと思う。
 しかし行政が上手く機能していないであろう都市においては、金銭の授与は目的達成への円滑な手段になり得る行為とも言える。ある意味、必要な代物だろう。
 胡散臭い外国人を軍人の目の前でピックアップして行くにあたり、面倒事は起こしたくはないものだろう。小狡い話であり弱い立場に付け込まれているのだが、波留にはそれを咎める気は起こらなかった。
 
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