この列車の本来の路線は、更に西方に延びている。以前には3日間かけて走破するような、この国を代表する超距離路線だったのだ。
 しかし、今は違う。その道程は途切れてしまっている。度重なる戦乱の末、線路の一部が破壊されていた。それは単に戦闘に巻き込まれた地点もあれば、交通インフラを断つ目的で能動的に攻撃された箇所も存在する。
 ともかく様々な要因により、内地では各所の線路が破壊され、その地域で戦闘状態が終結した後にも復旧の目処は全く立っていない。そのために都市部からの路線は途中折り返しとなっている現状である。
 今、波留達が下車した駅は、この地域では大規模な都市に存在していた。北京程ではないが、世界で言われる「大都市」の範疇には含めていい規模である。
 この都市も中国大陸に点在する都市の中でも、歴史ある場所だった。大戦後の現在においても、歴史的な建築物は都市の各所に遺されている。現代的なビル群と対比されるそれらは、佇むだけで歴史を感じさせた。
 しかし、現状においてはそれらを観光しようとする人間は殆ど見受けられない。
 都市に流入する道路の境目には国軍が配備され、人間の出入りを厳しく管理している。兵士に並ぶように稼働可能な多足戦車がその砲門を外の大地へと向けていた。物々しい雰囲気は、北京と変わらない。むしろこちらの方が内陸部だからか、厳しい情勢を感じさせる。
 それらが平和な地域出身の外国人にとっては物珍しい風景であったにせよ、興味本位で付近を歩き回っては国軍に誰何されるだろう。最悪、容疑をふっかけられて逮捕されてしまうかもしれない。
 波留としては、そんな危険を冒してまでこの都市を満喫するつもりはない。そもそも、彼にとってここはあくまでもトランジットとしての訪問である。観光目的ではないのだ。
 だから彼は、代替輸送のための長距離バスへの乗り換えを待つ間、停留所付近の屋台で朝粥などを貰う程度にその行動を控えている。
 それは中国人にとって伝統的な朝食ではあるが、それに慣れていない外国人にとっては物足りない印象はある。しかし車輌での移動が長いのだから、あまり腹に食事を入れておくのは危険だった。こういう場合には空腹を紛らわせる程度にしておくのが賢明だと、旅慣れている彼には身に染みて判っていた。
 そんな風に時間を潰していると、代替輸送用のバスが到着した旨がアナウンスされてくる。それを耳にした乗客は、次々と荷物を手に立ち上がり歩き始めていた。その頃には波留も軽く質素な朝食を終えており、いくばくかの金と謝礼の言葉を遺して移動を開始する。
 彼の姿は薄汚れてはいないコートにボストンバッグがひとつと、相変わらず他の乗客からは浮いている。しかし人々は自分の席を求め、周辺に荷物を置くスペースを確保するのに精一杯の様子で、彼に不審そうな視線を向ける事もない。バスに乗車して走り出してしまえばまた違う態度を取られるのかもしれないが、とりあえずはそう言う状況だった。
 列車同様に、このバスにおいても席自体は完全にチケットで指定されている。自由席と言うものは一切存在しない。それは中国の交通事情の伝統であり、そこには感謝しなければならないと外国人の波留は感じる。
 逆説的に言えば、乗車チケットを取れたなら必ず座席は確保されるのである。荷物が少ない彼は、ともかく自分が座れる席があれば充分だったからだ。
 長距離バスとは言え、座席は専用シートではない。この国の交通機関とは運搬量が第一であり、乗り心地は第二かそれ以下と言う扱いもまた、伝統だった。しかし波留は特に文句を付けるつもりもないし、我慢出来ない事態でもない。
 乗務員による乗客名簿と実際の乗客との照会も終わった頃に、バスのエンジンが掛けられる。歴史ある建築物と近代的な高層ビルを背景に、空の半ばに到達しつつある朝日を浴びて大型バスはアスファルト舗装の道路を走り始めていた。
 
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