殺風景な大地の果てに、唐突に僅かに輝く光が垣間見えてくる。それがビル群からの太陽の照り返しだと気付く頃には、建築物が乱立する都市が視界の彼方に流れてきていた。 そんな都市の姿が見えてくるに従い、ひた走る車輌も何処か滑らかな印象を受けるようになる。線路の別の方向からは車が何台か走ってきており、そのうちに列を成すようになった。そしてその車群が走っている道路も、つい先程までは土煙立つ大地だったのに、何時しか舗装路へと変化していた。 時折、列車は警笛を鳴り響かせ、線路を横切る道路を通ろうとしている車列に牽制を加える。早朝の風景にしてはなかなかやかましい代物だが、そもそも周辺に動くものが何もなかった昨晩よりはまともな光景かもしれなかった。 そのような状況を車窓の外に置きつつも、波留は解けていた髪を結い上げ、ある程度身支度を整えていた。そしてその後には、部屋備え付けのポットで大陸特有のジャスミンティーを淹れて落ち着いている。 ベッドに腰を下ろして強い香りを漂わせる茶を味わいつつも沈黙していると、扉の向こうの通路側から話し声が聞こえてくる。彼だけではなく、徐々に乗客が起き出しているのが感じ取れた。 そのうちに、波留が滞在している部屋の扉がノックされて、女性の声で中に呼び掛けてきた。英語で自らが乗務員であると名乗る。 波留はそれを促し、ベッドから立って扉へ向かい、中から施錠していた鍵を開ける。すると、艶やかな黒髪を後ろに上げ、不釣り合いなまでに整った制服を纏っている女性がそこに立っていた。 彼女は柔らかい微笑みを浮かべて「1時間以内には終点に到着するので、下車の準備をお願いします」と波留に告げてきた。 その言語は、最初には北京語を用い、同じ内容を英語で繰り返していた。どちらもかなり綺麗な発音であり、かなりの教育を受けている事を伺わせる。外国人向けの高級寝台車の乗務員とはそれだけの立場なのだろう。 ともかく、波留は微笑み返して頷いていた。彼女の任務に思いを馳せ、その告知を了承した旨を英語で告げる。すると乗務員は会釈を行い、すぐに立ち去っていった。余計な会話は差し挟まない。他国のサービス業とは違い、そこまで気を回さないお国柄なのだろう。それに波留は別に不満はない。 「1時間前」との結構早い段階で終点の告知を行うとは、かなり気が早い話である。無論、この先頭車両から順に全車巡回してゆくうちには相応な時間を費やすだろうから、そのタイムラグを計算しての事かもしれない。 それに、この国の長距離列車の乗客とは、一様に荷物が多い。となると荷造りにも時間が掛かるのだろうと予想もついた。 しかし、波留はそんなケースには当てはまらない。彼が人工島から抱えてきたものと言えば、肩提げのボストンバッグ1個のみである。強いて言えば人工島時点ではコートも手に提げていたものだったが、本格的な寒さが到来しているこの大陸では羽織っているために荷物の範疇から外れていた。 そのボストンバッグも、彼はこの一室に入ってから一切手を着けていない。人工島から持ち出した着替えが入っていない訳ではなかったが、昨晩は着替えずに着の身着のままこの部屋で落ち着いていた。そしてすぐに就寝したために、中身を取り出してどうこうしていた訳でもない。 だから乗務員からの告知後の彼の荷造りとは、そのバッグの存在を確認しただけだった。 そもそもここは鍵付き個室なのだから、一般車輌を比較しても誰かが侵入する恐れはない。各個室を管理している乗務員を信用出来るかどうかと言う問題もあるが、この一晩の接客を鑑みるに、充分だった。 大体、今の自分は、両替済みの紙幣類を含めて、盗まれて困るようなものも持ち合わせてはいない――。 そこまで考えが至った時だった。 波留は不意に顎に手を当てた。視線を中空に向け、僅かに何かを考え込むような仕草を見せる。 その後に、彼は隣に鎮座していたバッグにゆっくりと腕を伸ばす。上面に大きく位置するファスナーの隅に指を向け、その先端を摘み上げた。 慌てる様子もなく、彼はそのファスナーを引いてゆく。どこかに引っかかる事もなく、ファスナーはすんなりと開いて行った。彼は半ばまで開けた段階で、その隙間を両脇に開く。その合間に手を突っ込んだ。 そこから、彼は紙の束を引き出していた。それは二つ折りにされた紙の束であり、厚みは片手で握る事が出来る程度だった。それでもぴったりと折り畳めるような枚数ではなく、そこには結構な枚数が保持されている事になる。 彼はそれを手に取り、膝の上に載せた。曲げられた束を伸ばすと、その一端はクリップで留められていた。 それを支点に、彼は紙をめくってゆく。そしてそこに書かれているものに、目を通していった。それを映し出す瞳の色は、真剣そのものだった。 滑らかだったレールにも隙間があったのか、乗り越える際に大きな音を立てて一際激しく揺れた。その時、波留の髪が頭ごと揺さぶられた。膝の上の紙の束も、ずり落ちそうになる。彼は反射的にそれを受け止めていた。 それと同時に、瞳にやんわりとした色が戻る。ふっと気付いたように顔を上げた。疾走する列車の窓からは、白む空を彩る陽光が徐々に強まってゆく光景が流れている。それを彼は、ぼんやりと眺めていた。 |