中国大陸には縦横無尽に鉄道が敷設されている。中には植民地主義が台頭していた20世紀初頭から開通しているような路線もあり、古い歴史を内包していた。 この広大な大陸を移動するとなると、自力での陸路利用では限界が生じる。舗装された道路自体は大陸に張り巡らされているのだが、そこを個人で車なりで走り続けるとなると何日も掛かってしまうからである。 航空機を用いたなら格段に移動距離も伸びて時間も短縮されるが、その運用には空港の開発や航空機自体の確実なメンテナンスなど、かなりの費用を要する事となる。発展期だった半世紀前ならともかく、現在の疲弊したこの国ではその維持は不可能だった。 となると、やはり鉄道が自然に主要交通の地位を占めるようになっていた。それは21世紀も半ばを過ぎたこの時代でも、地球上の各地にて有力な手段だった。 この中国において、波留は「裕福な外国人」にカテゴライズされる立場である。それは厳然たる事実であり、身の安全を確保するためにもその立場を利用し尽くすつもりではあった。 だから彼が発券した席は、高級寝台だった。一般客は長距離夜行であっても硬い座席を利用し、多少楽をしたいならば横になるための寝台席を選択するものである。 しかし彼が今回利用するのは、寝台席の中でも設備が整えられた車輌だった。そのグレードに比例して価格帯も跳ね上がり、人民が利用する事はなかなかないし、チケットを持たない以上車輌内を通過する事すら許可されない。 その車輌付きの乗務員にも教育が行き届いており、彼らは鉄道公社におけるエリートコースを邁進する人材である。その車輌に乗車している限り、盗難などの心配もなさそうだった。そうやって外国人は、安全を金で買うのである。それが社会の常識だった。 高級席を購入した客に対しては会社側は態度を変えるのもまた、社会の常識である。それはこの2061年現在の中国に限った話ではない。 中国の鉄道事情としては伝統的にホームへの自由な出入りが禁じられており、乗車時間が来るまで客は路線ごとにいくつも用意されている待合室にて時間を潰すよう指示されている。しかし高級席の利用客に対しては、また別の待合室があてがわれていた。 そこではちゃんとした座席が用意され、有料ではあるがお茶のサービスも行われている。そして何より、高級席を購入出来るだけの財力を持つ人間のみが入れる待合室なのだから、彼らのマナーも一般人民よりは洗練されていた。 乗車時間が訪れたらそこから指定された改札を通ってホームに向かい、そのまま高級車輌に乗車するのである。極力、一般客と関わらないように鉄道の旅を楽しむ事が可能だった。 波留が乗車した寝台席とは、高級車輌の中でも先頭部分に位置するような1人用の個室だった。この、中国での鉄道における最高級の装備を持つ車輌は全ての列車に装備されている訳ではない。彼がそれを利用できたのは、決して偶然ではなかった。この車輌が接続されている列車を狙って予約した結果である。そしてそれは、彼の手柄ではない。 そのようなある種の隔離された空間に、現在の波留は居座っている。高級車輌とは言え、走るレールには若干の痛みがあるらしく、走行中にも軽い揺れが個室にも伝わってきていた。 しかし、彼は然程デリケートな人間でもない。そしてここには夜も更けた頃に乗車し、降りるのは明日の朝である。一晩明かせるだけの寝床があるだけ充分だった。 列車が走り出し次第すぐに眠ってしまうつもりだったので、食事も買ってきていない。ここは寝台車輌のために、早々に消灯時間を迎えるはずだった。防犯上の理由から真夜中でも車内を明るくしてひた走る一般車輌とは訳が違うのである。 それでも、現在はまだ消灯時間を迎えていない。車内の灯りに照らされた波留の姿を薄く映し出している窓の向こうでは、とっぷりとした夜闇の帳が下りている。 その黒の中には、様々な色を湛えた光が点在していた。北京市内とは現状においても世界基準に考えて栄えている都市であり、高層ビル群やその他の建築物の窓から漏れる光や繁華街のネオンサインが輝いているのだろう。高速走行に至っているこの車内からは、それらの光が瞬いて見えていた。 波留はしばしの間、その光景を瞳に映し出していた。表情を浮かべる事無く、只その光を見やっている。車窓の風景が織り成す微細な影が、彼の顔を彩ってゆく。 しかしやがて、彼は片手を伸ばす。窓の隅に備え付けられていた厚手のカーテンの縁を掴んだ。 そしてそれを一気に引く。カーテンレールに従い金属音を立て、紺色のカーテンが窓を覆い尽くしていた。彼が腰掛けている寝台の白いシーツに落ちる照明に、影が射した。 |