それから波留は、空港から発着するバスにて、北京市内に存在する鉄道駅に向かっている。
 空港とは何時の時代も離着陸時の事故の危険性から逃れられないものである。だから北京においても、国際空港は都市部から外れた位置に存在していた。そのために移動手段のバスを用いても、彼が駅に辿り着く頃には太陽は西の地平線へと傾いていた。
 現在は落日の時代とは言え、仮にも1世紀にも満たない過去においては世界を代表する大都市のひとつとして数えられた場所である。戦乱を経ても尚残されている高層ビルはまだまだ多く、太陽の光を浴びつつも地上には影を落としている。海底に都市群を持つ人工島では地上にこの手の景色は見られないが、前時代の都市としては良くある眺めだった。それこそ波留には、日本の各都市を思い起こさせる。
 どうにか舗装されたままの道路を走り、北京の都市部に侵入してゆくバスの中ではあるが、やはりどう試行してもメタルには接続出来ていない。空港職員が言った通り、この地域では有線接続ポイントを用いなければメタルを利用出来ないらしかった。
 しかし、波留はそれを特別に不便とは思わない。繋げない環境のままに生活が成り立っている地域なのである。それならば、異邦人もそれを受け容れて過ごせばいいだけだった。
 前世紀に建築された駅舎は中華風の楼閣を模しており、大戦を経ても立派な風貌を保っている。巨大な建築物はバスの車窓からも既に目立っており、駅舎の入り口には人々が列を成していた。
 そもそもの人口が莫大であり鉄道が一般的な交通手段である中国においては、単純に鉄道の利用者が多い。そのために、前時代から一貫して駅舎への自由な出入りは許されていない。その入り口では手荷物検査が行われ、空港同様の警備体制が敷かれていた。
 それを遠巻きにするように道路を走っていたバスは、終点である駅前の停留所に停車し、波留は鞄を片手にそこに降り立つ。バスの硬い座席に背中の筋肉が硬くなったか、軽く首を振っていた。
 バスから降車した人々の流れから少し離れた波留は、鞄をちらりと見やる。その中に収まっているはずの財布の存在を思い起こしていた。
 人工島においては電子マネーで金銭のやり取りは行われていたが、現在の北京においてはそんなものは流通していない。クレジットでの支払いすら無理な現状があった。そうなると、この地で流通している紙幣や硬貨で支払う他なく、波留もそれを理解していた。
 だから、先程の空港にて、彼は自らの資産のごく一部を換金していた。それは彼が所有する羽目に陥っている莫大な資産からすればささやかな金額ではあるが、この大陸を旅するには充分な金額だった。
 外国にて金がある様を不用意に見せては厄介事を招くだけだが、外国人自体を鴨と見る風潮があるなら最早それまでである。そもそも金で解決出来る不条理な事態と言うものも確実に存在するのだから、彼は色々と諦めていた。
 ともかく波留はその手持ちの金額を携え、駅の場外にも存在する発券窓口に向かう。大規模な主要駅には駅内以外にも窓口がいくつか設けられており、構内同様に駅員が何人も勤務していた。どうせ駅舎入り口で駅員や公安に検査を受けなければ中に入れないのだから、その外部窓口にて先に乗車券を入手しておこうと思ったのだ。
 波留がこれから乗車する予定の電車の乗車券自体は事前に予約手配されており、彼もそれを確認している。だから後は彼が運賃を支払い、乗車券を引き取るだけだった。
 仮にその予約リストに手落ちがあった場合は改めて自力で乗車券を当日に求める必要があっただろうが、幸いにもそう言う事態には陥っていなかった。彼の運が良かったのか、それともいくら落日の都市とは言えそこまで堕ちてはいなかったのか。この1件のみでは、評価は下せない。
 「外国人用」との看板が掲げられた窓口ではあったが、駅員の態度は無愛想そのものであり、英語すら交えていない。波留が準備していたメモを眺め、そこに書かれていた発券パスを端末に入力し、発券されたチケットを料金と引き換えに手渡したのみだった。そのやり取りは、機械相手と大して変わらない。むしろお釣りをまるで投げるように客に渡して来た分、自動発券機の方がまだマシかもしれなかった。
 波留が提示したそのメモは、先程空港にて書き上げたものである。そしてそのチケットが指定する電車は夜間便だった。日が暮れて暗闇に包まれた頃にようやく運行する便である。車輌の到着にもまだ時間の余裕があった。
 もっとも、時刻表通りの運行が期待出来るのは、20世紀の頃からごく僅かの国のみだった。それは高い運行精度が求められる事以上に、国民性と言う奴に依存するものである。だからダイヤの乱れは1時間程度に収めてくれたら充分だと、彼は認識していた。
 ともかく、波留は手荷物検査を無事通過して駅構内へと足を踏み入れる。すると、少なくない人間達が広い通路を歩き回っていた。駅入り口にてあれだけの列を成していただけの事はある。
 構内には弁当や飲物を販売している店舗がいくつも存在し、その店員が声を上げて客引きを行っている。メタルが発達していないからか、そのスタンドには紙媒体の新聞が何紙も突き刺さっていた。そんな店舗街の向こうには、様々な飲食店が立ち並ぶ。国営の堅いイメージを漂わせた店構えもあれば、人工島でも見かけるような海外資本のチェーン店も存在している。これもまた、在りし日の大都市の駅ならでわの光景かもしれなかった。
 通路の床にはゴミがまばらに散らばっていて、歩いていく波留はたまにそれを蹴り付けたりしている。ゴミ箱は設置されているのだが、その中も既に満杯だった。そしてそんなゴミの類を、やはり駅員は気に留めていない。
 ――まあ、こんなものか。
 波留は苦笑気味にそんな事を思っていた。彼には昔から、中国人相手の仕事の経験がある。
 人工島建設時には肉体労働者としてアジア各国から様々な人々が流れてきて、アイランドの滞在区画ではかなりの喧噪となっていたものだった。或いは中国系の技術者と出会った際も、日本人の常識に当てはめると少々公衆道徳がなっていなかった記憶がある。彼らは相当に高い水準の教育を受けているはずなのに、だ。
 それらを懐かしさと共に思い出すだけで、彼としては特に眉を顰めるとかそう言う思いは抱いていなかった。それが国民性の違いと言う奴であり、その違いを受け容れるのが楽しいのだと認識していた。郷に入れば郷に従えとは良くも言ったものである。
 
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