流石に国際空港となると、不用意に外国人に絡む人間は見当たらない。遠巻きに何かを囁き合う現地人は居ても、波留がちらりと視線を向けるとさっと顔を背けてゆく。 異邦人たる波留には警備兵から視線を注がれており、仮にその彼に何かしようとする人間が居たなら、まず兵士が止めに掛かるからだろう。政情不安な国家の首都は、そうして上から押さえつけてでも外国人には良い面を見せようとするものである。そこが前時代における大国の首都だったなら、尚更である。 そんな状況下、波留は誰にも見咎められる事なく、粛々と入国手続きをこなしていた。入国ゲートにて待ち受ける職員に、手荷物を提出する。手元にはパスポートを開き、いくつかの質問を受けているうちに荷物は別の職員に開かれて覗き込まれた挙句、X線を通過してゆくのである。 「――入国の目的は?」 入国管理官は簡潔な英語でそう問いかけて来た。これは定型句であり、他の国でも同じ問答が繰り広げられる。人工島でもそのはずだった。 だから、波留は滑らかに答えていた。50年前から旅慣れていた彼には、何も詰まる要素がない。 「観光と、知人に会うためです」 黒髪の青年の口から放たれた綺麗な英語に、管理官は顔を上げる。アジア系ならば英語を母国語としている人間も多いが、各国にローカライズされるに従い独自の訛りを作り出しているものである。しかしこの青年は、イギリス人が話すような英語を繰り出してきていた。 彼は手にしたパスポートに視線を落とす。記載されている文言を声に出し、確認してゆく。 「…人工島から入国。人工島に入植許可を持ち、国籍は日本ですか」 「ええ」 波留は微笑んで頷いた。それは人好きのする、いつもの彼の表情である。管理官はその顔を眺めている。 ――管理官としては、パスポートに記載されている年齢とその容貌とがあまりにもかけ離れている点が気に掛かるのである。確かに全身義体化すらを考慮する時代ではあるが、その場合はパスポートにその旨が記載されているはずだった。しかしこのパスポートには、その事実がない。 が、管理官が今、声に出して確認したふたつの項目は、その疑念を払拭するには充分過ぎた。目の前の人間は、楽園人工島の入植者であり、前時代から一貫して世界随一の地位を保っている日本国籍なのである。 偽造パスポートの可能性もない訳ではないのだが、このふたつの国家――厳密には人工島は国家ではないが――が作成と管理に関わるパスポートには最新の技術が使用されている。偽造の可能性は相当に低い。その可能性は無視して良いと思われた。 目の前の人間は、科学技術の粋を凝らした人工島の住民である。もしかしたら義体以外にも何らかの若返りの手段があるのかもしれない。そしてそれが仮に「パスポートに記載する」旨を法整備されていない手段ならば、実際にここに書かれていなくても全く問題はない――彼はその結論に至る。 管理官は波留を見据え、頷いた。手元のスタンプを取り上げ、パスポートの最新ページにしっかりと押し付ける。それでもインク台のせいか、押されたスタンプは線が掠れていた。文字などが読めない訳ではないので、それはそのままにして閉じられ、波留の手に返却されてゆく。 「――知人に会うとの事ですが、その方は北京在住ですか?」 一段高い位置から管理官はパスポートを渡しつつ、波留にそう質問を続けていた。それに、波留は微笑んだまま首を横に振る。 「いいえ。僕には土地勘がありませんが、訊く所によるとここから少々遠いようです」 その答えに、管理官は眉を寄せた。現地人として、少々聞き捨てならない台詞だったからである。職務のひとつとして、注意を喚起しておく事とする。 「内陸部は危険ですが、その方から出迎えはあるんですか?」 「はい」 相変わらずの笑顔と共に、簡潔な返答が異国人から寄越された。彼にそう言われると、管理官はそれ以上何も言えなくなる。あまりプライベートに突っ込むのも下世話であり、管理官は引き下がる事とした。彼は彼なりに職務は果たしたのだから。 「…ならば、お気をつけて。良い旅を」 「ありがとうございます」 その頃には手荷物の検査も終了しており、波留はそこにパスポートを戻していた。 「――ああそうだ。ひとつお尋ねしたいのですが」 と、そこに気付いたように波留は顔を上げる。今度は彼から管理官に質問していた。 「何でしょう?」 「この辺りに、メタルに繋げるポイントはあるんですか?どうやら無線接続は出来ないようですが」 「ああ――」 管理官は納得し頷いた。メタリアル・ネットワークの最前線を往く人工島からやってきた人間である。向こうでは常時無線接続で生活の一部を担っていたメタルに、この北京ではなかなか接続出来ないのだ。その確保を考えたくもなるだろうと、彼は解釈した。 実際にその問いはこの波留からに限らず、外国人に良くなされる事である。メタルを謳歌するのは発展した国家なら当然であり、何も人工島のみの特権ではないからである。だからこれもまた、定型句を用いる。 「北京にもメタルは普及していますが、有線接続です。有線接続のための準備はなさってますか?」 「はい、携帯端末があります」 「なら、あちらに接続ポイントがありますので、ケーブルを用いて接続して下さい」 まるで観光ガイドブック掲載の例文のような会話が交わされた後に、管理間は片手である方向を指し示す。その天井には中国語に英語が併記された看板が掲げられていた。 |