人類はその歴史において幾度と無く大戦を経験している。その戦いは歴史を経るにつれて徐々に拡大してゆき、20世紀末には世界各国を巻き込む戦闘に突入していた。
 巻き込まれた各国政府はほぼ例外無く疲弊した。中には落とし所を見つけて講和に至り、つかの間の平和を享受している国家もある。人工島建設計画に携わったアジア各国などはその一例だった。
 しかし、人工島建設にアジアから唯一参加していない国家がある。それが中国だった。或いは、以前に「中国」と通称されていた国家である。
 20世紀末から勃発した大戦は中国大陸に拡大してゆき、広大な大陸の各都市が独立して戦線を保って行った。その結果、大戦は終結しても小競り合いは続き、散発的な戦闘は2061年の現在においても未だに収まる様子を見せない。こうなると首都たる北京の管制下に置かれていない都市も多くなってしまう。首都の努力の甲斐もなく、現在の中国大陸は政情不安な地として世界に扱われていた。
 それでも、首都北京や南部に点在する大都市圏においてはある程度の平和は保たれている。上海や香港に視点を移せば、その市民達は他国の経済都市と互するだけの豊かさを持ち得ていた。北京は彼らには劣るが、それでも世界の平均値よりはやや上の生活水準を保っている。
 しかしその都市群から離れた場合、中国人と言えども身の安全は保障されない。ましてや外国人は――である。現在の中国大陸とは、そう言う場所だった。
 波留が降り立った北京国際空港も、その内情は人工島のそれとは圧倒的に違う。内陸部に存在するだけあり、海の碧は一切垣間見られない。それだけではなく、空の蒼も工業地域からのスモッグに曇っていた。
 そして空港自体、何処か寒々しい雰囲気になっている。それは滑走路の光景からも判る。彼が搭乗していた民間機の隣には、地味なカーキ色に塗装された輸送機が停まっていた。その手の知識に疎い波留ですら、それは軍用機だろうと当たりをつける事が可能だった。
 空港施設内に徒歩で入った後の光景も人工島とはまるで違う。通りすがる人々は様々な制服に身を包んでいる。それらは国軍の軍服が大半だった。着崩れた軍服の色褪せた様子には歴戦の勇者を思わせる。
 或いは肩からは剥き出しにした銃を下げている人間も居た。それは空港警備員ばかりではなさそうだった。そしてそんな人間を誰も咎めようともしない。ちらりと視線を向けただけでそれ以上の興味を惹かれない。この都市の住民にとって、彼らは日常の一部なのだ。
 波留は、50年前から政情不安なアジアの国家で調査潜水に当たった事はある。だからそのような軍人や軍人紛いを見かけても恐怖心などは刺激されなかった。
 が、50年前と違うのは、彼らの中には目や四肢などの外見上目立つ箇所を機械化している人間が少なからず存在する点だった。
 それは戦いでの欠損を補うためなのか、或いは戦いを有利に進めるために敢えて生身を捨てて戦いに特化した身体に置き換えたのか。そこには各人に様々な事情があるだろう。しかし生身に馴染むような高価な義体を装備するだけの財力や組織のバックボーンを持つ軍人は、この中国ではごく限られているようだった。
 波留には、漂う空気が冷たい心地がする。それは実際に気温が低いせいもあるだろう。南国人工島と北部大陸の北京は緯度が相当に違うのだ。そう思い、彼は手に提げていたコートを羽織った。
 小綺麗な青いコートの背中に、解けかかった後ろ髪が掛かる。彼はそのまま、髪を留めていたゴムを取り去った。解れもなく、それなりに長い髪が肩を覆う。うっすらと光の輪すら見えるその髪を持つ青年は、やはりこの空港で浮いていた。
 ――あまり目立ちたくはないな。
 彼はそうは思うし実際に着飾ってきたつもりなどないのだが、もう少しくたびれた容貌をしてくるべきだったかと若干の後悔の念を抱いていた。
 もっとも常夏の人工島に住んでいては、冬服を着崩す機会などある訳がない。この現状は、仕方がない話だった。
 
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