右肩を押される感触がする。 それは強い力ではなく、手を置かれただけの軽い感触だった。その手がゆっくりと動き、肩を揺らされる。 今まで海中を漂っていた彼は、そこで自らの身体に伝わる感触の変化を覚えていた。背中と腰、太腿の辺りには座席のクッション地を感じる。そして足は靴に覆われ、その足の裏はしっかりと床につけられていた。 薄く開かれた瞼の向こうには、然程高くない天井がある。その視界には座席が並び、聴覚では人々のざわめきを感じ取っていた。そのように、徐々に彼の意識が現状を捉えてゆく。 「――…お客様」 耳元には女性の声が聴こえてきた。その声は落ち着いており、用いられる言語は英語だった。 その声に、彼は身じろぎした。顔を震わせ、彼女の方を見た。そこには航空会社の制服を纏ったアテンダントの姿があった。アジア系の容貌を持つ彼女は、接客のプロを名乗るに相応しい微笑みを彼に向けている。 肩に手を添える客が自らを見ている事を悟り、彼女はその微笑みを深める。その手をゆっくりと外し、彼女は両手を膝の前に合わせた。そして彼に対し、深々と頭を下げる。 「当機は目的地に到着致しました。またの御利用をお待ち申し上げております」 その声を耳にしつつ、彼は顔に右手をやった。航空機内は湿度が低く、乾いた肌を掌に感じる。その手を動かし、そのままぱさついた前髪を掻き上げた。後頭部には結び目があるはずだが、そこを下敷きにして眠ったためかずれてしまった感触がある。 ――こうして波留真理はまどろみから覚め、現実に帰還している。 現実の彼は航空機上の人となっており、傍には狭い窓があった。そこから覗くのは航空機の翼であり、更に遠くの光景は広い空港の滑走路と周辺の芝生だった。狭い窓からも地平線の光景は垣間見る事が出来、その境目から上は白い雲が流れる空が確認された。 ここは、人間としての彼が住まうべき地上だった。航空機は既に着陸しており、上空を漂ってはいない。ましてや内陸部に存在するこの空港には、海を思わせるような要素は何処にも存在しなかった。 |