ミナモは溜息をついた。様々な想いが胸に去来するが、ひとまず置いておく事にする。
 確かに夜も更けたし、普段の日はこの病棟に泊まる訳にはいかない。ホロンの申し出もそれを判っての事なのだろう。ならば彼女の勧めに従って、早急に帰宅しようと思う。
 何せホロンはミナモのものではなく、部長代理たるソウタに仕えている存在なのだ。寄り道している現状から、早く通常任務に戻してあげたかった。ソウタはとても忙しいのだろうから――。
「――それにしても、そこまで聞き出してるのなら、犯人さん達も協力してくれてるのかな?」
 そんな中、ミナモはそう呟くように述懐していた。病室の中央に設置していた自らが利用した椅子を、壁際に戻してゆく最中に発言していた。その隣では、調査員が用いていた椅子をホロンが同様に移動させている。
 ミナモの疑問は彼女なりに正当性があった。あの調査員は「犯人グループからの証言」と述べたのである。隔離病棟には近接する建築物がない以上、偶然屋上を目撃されるにせよ何人もの人間に久島の存在を認識されたとは考え辛い。
 ならば、本当に犯人当人に尋ねたのだろうかと、ミナモは思う。その質問に応じているのならば、犯人達は意外に捜査に協力的なのだろうか――そんな思いに至っている。
 そんなミナモに、傍らのホロンは口を開いた。優しげな声色を保ったまま告げる。
「――マスターが犯人グループ所属のメタルダイバーから記憶を抜いたので、そこから報告が行っているのではないでしょうか?」
 その言葉にミナモは隣を見た。眼鏡の奥の瞳を細めているホロンの顔を見る。
 ミナモはメタル技術に疎く、ホロンのマスターにして一流のメタルダイバーである波留がどのような手法を取っているのかは全く判っていない。「記憶を抜く」と言う手段があり得る事すら、今まで認識の埒外だった。v  だから、余程凄い事をしているのだろうと感嘆の念を抱く。それが言動にも表れた。椅子を下ろして位置を整えた後にミナモは腕を組み、納得したように数度頷いていた。目を伏せて感心したような声を上げる。
「ふーん。流石は波留さんだねー…――」
 しかしその台詞は、中途半端な箇所で途切れていた。ミナモは口を半開きにしたまま、その場に硬直している。気付いたように瞼を開き、その視線を壁際に泳がせていた。
「…ねえ、ホロンさん」
「はい?」
 ミナモはホロンに極力平静を保ったまま呼びかけ、ホロンはそれに微笑んで応じる。ミナモには、ホロンに確かめたい事があった。それを尋ねる。
「波留さん、何時そんな事したの?」
 ミナモの台詞には明確さがない。しかしその意図を汲む事は出来た。それは、自律思考型AIたるホロンの成せる業だった。僅かな思考の後に、答えを導き出す。
「私がそのメタルダイバーの身柄を拘束した際には、マスターの作業は終了しておりました」
「じゃあ、あの日の事だったんだ」
「そうなりますね」
 この、ホロンに肯定された時点で、ミナモは気付いていた。そう思えば、合点が行く事があった。
 波留は、あの時点――リモート義体ではなく生身で占拠現場に現れた時点で、既にその真実を把握していたのだ。
 ミナモが久島を屋上に連れ出していた事実を。そしてそれを犯人が目撃したからこそ、この占拠事件が勃発したと言う事実を。
 それを知っていたから――AIを罵倒して去ろうとしていた波留は、ミナモに呼び止められた時にとてつもなく冷たい視線を送ったのだろう。
 あれは今まで、とばっちりと喰らったのだと、ミナモは思っていた。しかし、実は波留はミナモ自身に対しても怒りを感じていたのではないだろうか――そう考えれば、彼女にとってはあんな態度にも説明がつく。
 ――その怒りはとても正当なものだ。私は、彼の大切な久島さんを傷付けるような事態を引き起こしたのだから。
 そんな彼に、私は「嫌い」と言ってしまった。それだけではない。衝動に任せて頬を張ってしまった。本来ならば、そうされるべきなのは私だっただろうに――。
 ミナモは、先程の調査員の態度を思い起こす。そしてその女性の態度が、あの時の波留の冷たい視線と脳裏で被さった。
 波留さんは、私の事を嫌いになっただろうか。
 自分からは「嫌い」と口走っておいて、その相手側からは嫌われる事を恐れている。それはとても身勝手な考え方であるとは判っている。それでもミナモは、波留からあんな態度を取られたくはなかった。

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