様々な質問を経て、窓の向こうでは既に陽は沈んでいる。
 隔離病棟はメディカルセンターの敷地内に存在するとは言え、他の病棟は近接していない。そのために病棟周辺に設置されている街灯類が窓に向かって淡い光を醸し出しているのみだった。それらが夜闇を穿っている。
 遠い空では、月面からのマイクロウェーブを誘導するガイドビームが肉眼でも確認出来る状態となっていた。人工島のいつもの夜の光景がそこに広がっている。
 窓からの光量が減少しているのだから、室内の照明はそれを補うだけの光を放ち始めている。天井に設置された室内灯は自然にそれを調整しており、滑らかな明るさを保っていた。
 ミナモはその室内に立ち尽くしている。つい先程、今まで彼女から淡々と聞き取り調査を行っていた調査員の女性は、この部屋から出て行った。
 ミナモは席を立ち、その背中を見送っていた。あれほどまでに言葉を尽くして懸命に状況を説明したつもりだったが、最後にその調査員はミナモにとってとても気になる言葉を遺している。しかしそのフォローもなく、彼女は退出していた。調査員としてはそれは私見に過ぎず、あまりべらべらと喋るものではないと言う意志もあったのだろう。
 だが、ミナモ個人にしてみると、あの調査員からは嫌われてしまったのだろうと認識していた。だから何処か冷たく意地悪な部分があったのだろうと思った。しかしその原因を作り出したのは自分なのだと感じていたのだから、ミナモは何も言えない。
「――ミナモさん」
 不意に肩に手を置かれた。体温を保った暖かい掌が、少女の制服のセーラー越しに感触を伝えてくる。
 名を呼ばれたミナモは首を巡らせて隣を見る。頭ひとつ分は上に来ている黒髪の女性の顔がそこにあった。グレーに色付いた眼鏡の奥の瞳は柔和な笑みを作り出している。
「調査は終了しましたし、もう夜も更けました。私が御自宅までお送りします」
 初代人工島プリンセスの容貌を元に設計されているだけあり、形の良い唇がその申し出を紡ぎ出していた。
 ミナモはそれを見上げている。どんな反応を見せていいのか判らないらしい。そんな少女に、ホロンは更に微笑みを深めていた。目の前の中学生は様々な要因により戸惑っており、それを解消しようとアンドロイドは試みていた。
「マスターやソウタさんは、悪いようにはなさらないと思います。ミナモさんが心配するに至らないかと」
 その直球めいた台詞に、ミナモは軽く口を開けていた。ホロンの言葉は、ミナモが何を気に病んでいるのかを明確に射抜いていたからである。
 ――自分がとてもまずい事をしでかした事、そしてその責任の所在は自分ではなく他の人間へと丸投げされる事になりそうな事――それが今、調査員との会話で彼女にもたらされた不安要素である。そして責任を追及されそうな「然るべき人間」としてミナモが思い当たるのが、ホロンが挙げたその両名だった。
 更にホロンは、その両名に対してフォローを行ったのである。「悪いようにはしない」――あまり具体的な表現ではないが、あの両者の立ち回りの能力をミナモに対して保証しようとしていた。だから、大丈夫だと結論付けた。
 ミナモはそんな事を述べたホロンを見上げた。眼鏡の奥の瞳を見透かそうとする。そして、彼女は問い掛けていた。
「――…ホロンさん。あんな事言われても気にならない?」
「何がでしょうか?」
 ミナモからの質問の意図が掴めず、アンドロイドは改めて問い返していた。それは会話用のプログラムがなせる設定である。その問いに、ミナモは言葉を継ぎ足す。自然に身振り手振りを交えてのものとなっていた。
「だってホロンさんに自由意志がないとか言われてるんだよ?こんなに優しいのに」
「事実なのですから仕方がありません。私達は人間がもたらす設定変更により、その態度は一変するのですから」
 何処か必死そうに言い張るミナモを眼前にして、優しげな笑みを浮かべたまま、ホロンはそう答えていた。まるでミナモに対して諭すように言う。
 その態度に、ミナモは自らの勢いを削がれていた。広げた両手を丸め、両脚の横に落とす。
 人間はAI達に人格を認めず、そしてAI自身もその扱いを肯定する。それが社会の常識のようである。ミナモはそれを痛感していた。
 そのやり取りは、確かに今この部屋で行われた事である。人間の調査員とアンドロイドのホロンは、各々それを認めている。しかしこれは彼らに限定した話ではないと、ミナモは理解していたのだ。この部屋に至る前に、あのAIは今回のホロンと同様の事を述べていたのだから。
 そして、そのAIに対して実情として一切の人格を認めない罵倒を行った人間が居た。普段から虐待めいた言動を取る人間ではなくむしろ尊重していたように見えたのだが、事態によっては明らかに序列をつけて扱う。それだけならまだしも、彼にとって許し難い行為をAI達が取ったならば、それを決して許さない――ミナモはあの日、それを目の当たりにしてしまった。
 それはとても酷い言動だとミナモは思っていたが、こうして別の人間にも同様の行為をなされてみると、やはり「彼」の態度は特別ではなかったのだろう――そう思わざるを得ない。
 しかし、ミナモとしては、その波留にはAIを「人」として扱って欲しかった。あの優しさは普遍的なものであり、AI達人工物にも平等に降り注いでいたのだと信じたかったのだ。
 ――あんなにも優しいひとなのに、どうしてあんなに酷い事を言うのだろう。そこを認めたくなかった。
 とは言え――そこまで考えを巡らせた時点で、ミナモは自分の事を棚に上げているとも気付いている。
 久島の入院は一般に知られてはならない事だった。だからこそ隔離病棟を用いて彼の処置に当たっていたのだ。
 その取り決めは、アルバイト状態であったにせよミナモにも申し送りは行われていたはずだった。それを承知の上で彼女は電理研から久島の介助依頼を受けており、それに則って多少の不都合を日常的に体感していた。自らがトップシークレットに触れていると、ミナモは実感していたはずなのだ。
 だと言うのに、あの晩に、久島を屋上に連れ出してしまった。それも「流星を見せたい」と言う軽々しい気持ちで。
 あの時のミナモは、とても良い事を思いついたと自画自賛していた。それを成功させようと邁進して、周りが見えていなかった。その作業が完璧だったのならばまだしも、結局手落ちがいくつも存在し、そのフォローをAIに任せてしまう体たらくだった。
 AIは設定上、人間であるミナモの行動を制限出来ない。それでも電理研の利益やミナモが抱えかねない不利益を考慮して、やんわりと諭して止めさせようとはした。しかしそれがミナモに受け容れられないと判断した時点で、どうすれば発覚しないかと言う方向へとそのAIの思考は至っていた。それが、セキュリティシステムのハッキングだった。多少の法を犯してでも、人間の指示には従う――今思えば、AIの本分がそこに垣間見えていた。
 そしてふたりは屋上へと出た。その際に、夜空を直に久島に見せるために、他者に目撃されると言う大きな代償を人知れず払っていた。それが倍返しとなったのが、今回の占拠事件だった。
 しかし、それでも、ミナモは思っている。
 あの時AIさんは、夜空に喜んでくれた。流星を見て、風を感じる姿はとても感慨深そうだった。
 それに、流星の奇跡により、「久島さん」が戻ってきてくれた。
 それらは、あの夜空の元にAIさんを連れ出さなかったならば絶対に起こらなかった事だ。
 ならば、ミナモはあの行為の全てを否定する気にはなれなかった。大きな代償を払う羽目にはなったが、確かにそれだけの利を得たはずなのだ。――その感情を居直りと指摘されるのならば、確かにその通りだろう。だから口には出してはいない。
 
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