その時、部屋の入り口を数度叩く音が聴こえた。ふたりが沈黙し、沈みゆく夕陽が射し込んでいる病室にその音は良く響き渡る。
 それはあたかも先程、この調査員が久島部長名義の病室を訪れた時の再現のようである。この部屋に訪問者など現れる訳もないと言う認識も同様だった。
 病室を借りているふたりの人間は、一斉にその扉の方を見やる。そしてミナモは調査員の顔に視線を移動させた。もしかしたら遅れて到着する人の予定でもあるのだろうかと、少女は思ったのだ。しかし調査員の顔に張り付いている怪訝そうな印象を鑑みるに、少女の予想は外れているようだった。
 唐突な事態に、調査員の女性は一瞬自失していた。しかし彼女は職業柄、様々な人間と事態に対応する立場である。すぐに自らを取り戻し、扉に意識を向けた。
 その視界に、扉の傍らに設置されているコンソールが入る。遠目からでも、コンソールのアクセスランプが明滅しているのが見て取れた。どうやら扉の向こうでは正規の開錠キーを用いて入室を試みている相手がいる様子だった。それを認め、調査員は声を上げた。言葉を用いて入室を許可する。
「――失礼致します」
 内部の人間に促された事で、開錠された引き戸が開かれる。それは滑らかに手動で引かれ、その隙間から人影を見出していた。
 そこに立っていたのは、電理研所属の秘書としての制服を纏っている黒髪の女性だった。
 その女性は、長い黒髪を結い上げて頭上に纏めている。耳元には大きな球形のイヤリングが目立つ。掛けた眼鏡のレンズは若干スモーク掛かっていて、彼女の瞳を僅かに隠していた。
 その容貌と衣装とは、電理研所有の公的アンドロイドとしてのそれである。電理研職員たる調査員の女性には、それはすぐに理解は出来た。
 それは同席しているミナモも同様である。しかし少女はそのアンドロイドが、更に特別な存在である事にも気付いていた。そのアンドロイドは、彼女が「ホロン」として個別に認識している存在だった。
 調査員にもそのアンドロイドの個体が特殊な存在である事は推測出来た。その他の一般的な秘書用アンドロイドとは、髪型や衣装などに若干の違いが見て取れたからだ。それは使役する立場の人間の趣味が反映されての事だろうし、それだけの手を加える立場の人間は、電理研にも限られていた。
 そのホロンは、病室の敷居を跨いで入室してくる。後ろ手で引き戸を閉めて再び扉をロックしてから、内部へと脚を進めた。ゆっくりとした歩みが靴音を伴ってやってくる。
 ふたりの人間の注目する視線を全身に受け止めつつも、ホロンは椅子に腰掛けたふたりの間となる位置に立った。そこで足を止め、ふたりに対して軽く会釈をした。
「――私は、統括部長代理付きの秘書用アンドロイドです」
 ホロンは調査員の女性に対し、微笑みかける。左手を膝に当て屈み込む姿勢を保ち、人間に対して右手を差し出した。
 それは人工島住民にとって自己紹介を表す素振りだった。掌を介した接触電通により自らの公開データを相手に渡す事により、身分証明を簡素に行うのである。
 仕事上その手の仕草には慣れている調査員の女性も、それを素直に受け止めた。アンドロイドの名乗りと共に差し出された手に、自らの手を重ねる。
 果たしてそのアンドロイドの掌からはデータが流れ込んできた。電理研が与える公式な認識コードや義体の登録番号などが彼女の電脳に投影される。
 電理研の認証の偽装を試みる人間は少なからず存在するが、それが成功を見せる事は殆どない。電理研所属の人間として彼女はその精査を行うプログラムを自動実行しており、それがこのアンドロイドの身分証明は本物だと認証していた。
 大体、そのアンドロイドはその口で「統括部長代理付きの秘書用アンドロイド」と名乗ったのである。偽るならば、もっと穏当かつ一般的な立場を名乗るはずだった。
 ひとまずその点においては納得し、調査員の女性はアンドロイドから手を解いた。無論彼女のデータもホロン側に送信されており、互いに電理研所属の人間であると立場を明確にしていた。
 調査員の女性は、その右手を軽く挙げた。整った眉が皺を寄せた。僅かに顔を顰めつつもアンドロイドを見据え、言う。
「――統括部長代理からの介入ですか?我々の調査に何か承服し難い点でも?」
 その不服そうな表情を、ミナモは見ていた。その台詞を耳にした少女ははっと気付く。電理研の状況に疎い部外者の少女であっても、ここまで情報を揃えられたならば何故目の前の女性がそのような顔をしているのかは推測がついた。
 統括部長代理とは蒼井ソウタと言う名であり、ミナモの実兄だった。彼も今回の一件には巻き込まれ、当事者のひとりとなっていた。
 その彼が、自らの部下であるホロンをこの場に差し向けたのだ。電理研調査部が彼の妹に聞き取り調査を行っていたこの場へと。
 事件の当事者にして電理研最高幹部であるソウタは、調査部が掴んでいる情報を既に独自のルートで得ていてもおかしくはない。そしてその情報は、明らかに妹を不利な立場へ追い込む代物だった。ならば、自らの権限を濫用してでも、妹を守りたくなるのは人情かもしれない。たとえそれが社会通念上からは若干許されざる行為であったにせよ。
 とは言え部長代理の行動原理は理解出来るにせよ、調査部としては自らの仕事を淡々と行っているだけなのである。そこで上から理不尽に介入されては文句のひとつも言いたくなるものだろう。それが、冷静であるはずの調査員の女性の表情に表れていると思われた。
 そのような視線を投げかけられつつも、ホロンは微笑みを絶やさない。人間に対して人好きのする表情を保ち続けるのが、秘書用アンドロイドとしての設定の根幹だった。そんなアンドロイドが口を開く。
「――いえ。ミナモさんへの調査は続行して頂いて構いません」
 その宣言は人間達には意外なものだった。思わず首を傾げる。それでは一体何のためにこのアンドロイドはこの場に寄越されたのだろうか――その疑問も調査員の大人と中学生の少女との間に一致していた。
 微笑むホロンは自らの胸に手を当てる。ふたりに対し話しかけるように続けた。
「未成年者であるミナモさんの聞き取り調査には、立会人が必要かと存じます。それには、自己の意見を持たないアンドロイドたる私が適当かと」
 その言葉が終わった頃には、調査員の表情は軽い驚きへと変化していた。――確かに、その権利は守られるべきかもしれない。彼女の脳裏にその想いがよぎった。人間の電脳をそのまま保存媒体とする人工島としての流儀に則ってこの聞き取り調査を行っていたが、島外のように第三者を交えるに越した事はない。それが少女の人権が有する正当な権利だった。
 しかしその第三者の選抜は非常に難しい。何しろ調査内容自体が人工島の機密情報に触れるために、話を耳に入れさせても良い人間が極端に少ないのだ。そしてそれが居るにせよ、それは調査部側かミナモ側か、どちらかの立場を利する人間と成り得た。完全なる第三者の発見などあり得ない――だから調査部としては、その人員を確保していなかったのだ。
 そこに、このアンドロイドの名乗りである。立場上はミナモ側にあるアンドロイドだったが、そこは所詮人間に仕える人工物である。調査員の電脳以上に単なる保存媒体として用いる事が可能だった。
 彼女は全くのニュートラルの立場でこの話のログを取る事が可能なばかりか、ミナモにとっては知り合いたるそのアンドロイドが傍に居たなら心情的に落ち着くだろう。それは彼女の人権を尊重していると言うポーズにもなるし、どうしても調査側が強い立場になり得るこう言うケースにおいて牽制ともなる。
 双方にとって、建前としても実利としても悪い話ではなかった。そこまで考えた末に、部長代理はこのアンドロイドを派遣したのだろうか。ならば、歳若く経験が浅い割に地位に似合ったバランス感覚を持ち合わせている――調査員は、遠い立場の若き上司にそんな思いを馳せていた。
「…判りました。あなたの同席を許可します」
「ありがとうございます」
 調査員は考慮の末、アンドロイドからの申し出を受け容れる。それに、ホロンは深く頭を下げた。
 そしてホロンは微笑みをミナモへと向ける。普段のように少女を安心させるかのような表情を浮かべていた。スモーク掛かったレンズの向こうから、僅かに瞳が覗く。
「宜しくお願い致します、ミナモさん」
 ミナモはそのアンドロイドの視線を受け止める。ついと視線を上げ、微笑むホロンを見上げた。少女の表情は何処となく不安に揺らいだままだった。
「…はい、ホロンさん」
 そしてミナモは躊躇いがちに僅かに微笑んで、そう頷く。しかしその微笑みは心から発せられたものではなく、その場を取り繕うとしているようなものだった。その態度は普段の快活なミナモとは明らかに違う。
 やはりミナモには、この場においても色々と引っ掛かる点があった。それはあの日以来抱えている奇妙なささくれだった。
 
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