隔離病棟は、それ自体でひとつの閉鎖社会を形成出来る程度の広さを有している。決して患者独りのために存在している建築物ではない。
 そのため、久島を受け容れている現状だが、彼の部屋や病棟スタッフが作業用としているいくつかの部屋以外は、空き部屋として管理されている。今回、その調査員はそのうちのひとつを借り受けていた。室内に備わったセキュリティを作動させ、ミナモとふたりきりで会話出来る環境を整えている。
 通常の聞き取り調査ならば、会話の録音機材などを必要とする。しかしメタルが普遍的に利用出来るこの人工島においては、人間自身の電脳を録音機材とする事が可能だった。彼女は自らの耳で捉えた言葉をそのまま記録してゆくのである。そのための補助プログラムも有していた。
 ミナモが案内された病室は、久島の病室と同様のレイアウトだった。只、未だ使用された痕跡がないベッドは真新しい皺もないシーツで綺麗にメイクされており、サイドテーブルの上には何も置かれていない。
 そして調査員は椅子をふたつ持ってきて、差し向かいに設置する。面と向かって会話するような状態にしていた。
 促され、ミナモはその席に付く。その表情には若干の緊張が見て取れた。膝の上に両手を乗せ、所在無げに椅子に腰掛けている。
 これから一体何を訊かれるのか、何を答えればいいのかと少女は思う。質問を前に記憶と辿り、あのレッドと名乗っていた犯人グループのリーダーの事を思い出すと、僅かに恐怖を覚えてしまう。何せあの時に当人は殴られそうになり、それ以上に眼前で久島の義体が相当に痛め付けられたのだから。15歳の普通の少女としては、心穏やかではいられようもない。
 調査員の指示により、まずミナモは名乗りを上げる事となる。その時点から電脳で記録を開始する。尋問して得た情報を法的に認められた証拠とするためにそう言った手法を用いるのは、人工島の内外を問わなかった。
 「人工島中学校3-A、出席番号1番」――それが現在の蒼井ミナモの所属である。そして「電理研に依頼されて久島部長の介助の仕事に当たっていた」旨も宣言する事となる。
 それを経て、一瞬の沈黙が落ちる。ミナモはこれ以降、何を語ればいいのか方針が見出せなかった。正面に座っている女性の調査官を不安げに見る。膝の上に置いた手に力を込めた。
「――えっと…あの犯人さん達が病室に来た時の事を思い出せばいいんですか?」
 自発的にそう話を持ちかけたミナモを、調査員は無遠慮に一瞥した。気遣う素振りを一切見せない相手に、少女はやはり何処か怯む。
「いいえ。我々はあなたにそれを求めてはいません」
「え?」
 冷たい表情のままに調査員はミナモにそう告げる。その言葉にミナモは首を傾げた。では一体どうして自分は呼ばれているのだろう――その疑問が、態度にも素直に現れていた。
 そんなミナモを眼前にしつつ、調査員は目を伏せた。右手をおもむろに胸元にやり、スーツの胸ポケットに指を滑り込ませる。そしてそこから、円筒状に丸められたペーパー型モニタを摘み上げていた。
 彼女はそのモニタを解いてゆく。伸ばして平らにしてゆくと丸まった型も矯正され、長方形の厚手の紙の形式となっていった。それがこのタイプのモニタの特性である。
 軽く会釈し、彼女はミナモにそれを差し出す。それに促され、ミナモはその一端に手を差し伸べた。
 少女が受け取った段階で、そのモニタには何らかのデータが表示されている。調査員の指がモニタに触れている状態だったので彼女は自らの電脳で操作し、そこに情報を投影していた。
 ミナモはモニタを自分の方へと引き寄せ、その画面を覗き込む。そこに表示された内容を把握しようとした。そんな中、調査員の説明が流れてゆく。
「――犯人グループから取得した証言に拠ると、彼らが久島部長の入院先を把握したのは、この病棟の屋上に出ていたあなたと部長の姿を目撃したからとの事でした」
 ミナモはモニタを眺めつつその説明に耳を傾けていたが、その内容を理解してゆくに従い、表情が変わる。――自分に思い当たる事が、確かにあった。
 それは、10月21日の夜の出来事だろうとミナモは直感した。その晩、ミナモは「AIさん」に流星群を見せたいと、彼を病室から外へと連れ出したのだった。
 まさかそれを、彼ら犯人グループに目撃されていたとは――当時の彼女は、誰かに目撃されると言う可能性を全く考慮していなかった。「久島部長の入院」は、人工島においてトップシークレットであると知っていたのにだ。考えなしの行動だったとの謗りを受けても、一切弁解出来ない。
 ミナモの顔を、調査員は黙って見ていた。彼女は、自らの揺さぶりがもたらした少女の表情の変化を見逃さなかった。少女のその態度が、今手元にあるこの情報の精度を増したと理解する。
「彼らがあなた方を目撃したと証言する日時の、この病棟のセキュリティシステムのログをチェックすると、確かに偽装の跡が発見されています」
 言いながら女性は、右手でモニタを指し示す。ミナモが見ているそのモニタには、該当するセキュリティログが表示されていた。未電脳化者でありメタルの知識は殆どないミナモにはそのログの詳細は理解出来ないが、女性が述べた通りの情報が表示されているのだろうと想像はついた。
 そこで調査員は口を閉ざす。ミナモを見据えた。厳しい視線を少女に向けた。そして、端的な問い掛けがなされた。
「――あなたが、やったんですか?」
 その言葉に、ミナモはぐっと詰まった。腰が引けてしまい、実際に顎を引いた。そんな中学生を一瞥し、調査員の言葉は続く。
「久島部長を外に連れ出すために、あなたがセキュリティシステムの改竄を行ったのですか?あなたは未電脳化者だそうですが、事前に該当するプログラムさえ用意していれば、あのレベルのハッキングは技術的には不可能ではないようですが?」
 調査員は相変わらず静かな口調を用いていたが、その内容は詰問になりつつあった。中学生の少女が相手であっても低く見る訳でもなく、対等の立場として聞き取り調査を行っている。
 そしてミナモはそれに怯んでいる。言い掛かりではなく、確かに自身に非があるのだ。それを思うと、彼女には反論は不可能だった。
 ――素直に話してしまうしかないのだろうか。
 ミナモは苦渋に満ちた心境の中、そんな風に思った。
 自分はあの日、流星群をAIさんに見せたかった。だから彼を病室から連れ出した――ここまでは特に話しても問題はない。咎められる行為である事には変わりはないが、やってしまった事を認める他はない。それは事実なのだから。
 問題は、その先にある誤解だった。そのセキュリティをクラックしたのはミナモだと、調査員は思っている。断片的な情報を収拾して積み上げたならば、その結論に至っても不思議ではない。だから当人に直接尋ねて、それが事実かどうか確認しようとしているのだろう。
 しかし真実は違う。あの晩、セキュリティシステムをクラックしたのはAIだった。ミナモに連れ出された彼だったが、結果的には様々な補助をしてくれて少女の目的達成を支援したのだ。全てはミナモのためにやってくれた事である。そのために、多少の問題を含んだ行動を起こしてくれたのだ。
 AIさんは、私の事を気に掛けてくれている。あの晩はそうやって助けてくれて、あの時も銃から庇ってくれたし、さっきだって助言をくれた。
 なのに、その私はAIさんを守れないのだろうか。ミナモの中に、そのような忸怩たる想いがよぎる。
 とは言え、仮に嘘をついてAIを庇っても何もいい事はない。ミナモにはメタルの知識は乏しい。あの時どのようなプログラムを流し込んだのかすら、彼女は知らなかった。
 だと言うのに、あのクラックを自分がやったとこの調査員の前で言い張ったとしても、早い段階でぼろを出すだろう。彼女はそれを自覚していた。
 そしてこの調査員は早急に結論を見出したがっているが、それはあくまでも慎重な判断を元に導き出そうとしているはずだった。ミナモの証言に矛盾点が見付かれば、今までの自らの考えに修正を加えて真実に行き着こうとするだろう。
 ――君が言いたくない事は言わなくてもいい。
 AIはミナモにそう助言していた。ならば、今がその時なのだろうか。しかし真実を覆い隠す行為は、嘘をつく事と同様にミナモの性には合わない。素直で快活な少女にとって、今の状況はあまりに不釣合いだった。
 
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