――これでは話が続かない。AIを前にしたままそう思ったミナモは、話題を変える事にした。彼が答え易いような明確な質問を投げ掛ける。
「AIさん…その義体を使い続けるんですか?久島さんの義体はあんな風に壊れちゃったけど、何時までも波留さんの義体を使ってる訳にはいかないんじゃないですか?」
 それはミナモにしてみたら、当然の疑問だった。現状ではこうして普通に会話はしているが、その義体の容貌は波留そのものなのである。そして今までの容貌が久島だった以上、会話していてもやはり久島の姿の方がしっくりとくるのは事実だった。
 大体、このままでは波留自身もやり辛いだろう。何せ自分と同じ容貌を、別人が持っているのである。応対し辛い事この上ないだろうとミナモにも想像はつく。――果たしてあのような態度を取って尚、波留はAIの相手をしたいかどうかは考えないようにしていた。
 波留の義体はミナモの言葉を耳にしても、相変わらずその目を開く事はない。傍の少女に然程関心を抱いていないようだった。しかし人間から問われた以上、AIの設定として答えなくてはならない。淡々と口を開いた。
「私の義体換装を決定するのは人間達だ。私に義体選択の権限はない」
 彼が口にしたのは、AIとしての判断だった。彼は人間ではないのだから、義体の選択は人間に委ねる。それが当然だった。
 しかし抑揚がない口調でそう述べられると、ミナモは黙り込む。あくまでも目の前の彼は人間ではなくAIなのだと表明された心境になった。彼女は「AIさん」を「人」だと認識しているのに、当人は違うと言い切りたいらしい。
 AIは唇を湿らせた後に、再び開いた。述べた先の説明に補足を行う。
「現在、日常に生きている波留真理と同一の容貌の義体を継続使用しては、彼の肖像権を侵害し続ける事となる。それは彼の権利上、決して好ましくはない。いずれ私は別の義体に換装される事になるだろう」
 2061年現在において、個人の権利とは尊重されるべき扱いとなっている。義体黎明期には他者の容貌すら義体に転用して利用されたものだったが、現在ではそれは法的にも社会通念としても許されない。それを考慮すれば、そのAIはいずれ波留の義体を放棄する事となるだろう。
 AIはミナモの前でその可能性を表明する。それに、ミナモは顔を綻ばせていた。膝の上に両手をつき、椅子から身を乗り出す。笑顔で話し掛けていた。
「なら、また久島さんの義体に戻るんですね」
 ミナモはその姿を想像していた。今も声質は「久島」のままだったが、姿も久島とした方がしっくりくる。何より声帯の設定を義体の容貌である波留仕様からわざわざ久島へと変更しているのだから、誰もが「彼」を「久島」だと認識したがっているのだろう。そう思った。
 そこで、波留の義体はゆっくりと瞼を上げていた。そこに日本人然とした深いグレーの瞳が露わになる。それはあの日、彼が波留に罵倒されて以来初めて明らかにしたものだった。
 その瞳で彼は、ミナモを一瞥する。ベッドに横たわったままであり、視線のみを移動させて少女を見やっていた。その瞳には、顔同様に感情は表れていない。無感動な視線を向けられ、ミナモはびくりとする。
 今までも彼は感情に乏しく、人間味のある表情を浮かべた事はない。もっともオリジナルの久島自身も、顔にはあまり感情を露わにはしなかった性質だったので、外見上はある程度は見慣れている。
 それでもミナモは、オリジナルの久島にも実は感情が溢れていると知っていた。統括部長と言う立場を弁えての事なのか、或いは性格上の事なのかは判らないが、彼は何処か感情表現を抑制はしていた。しかしそこからも、たまに感情が垣間見える事があった。
 そして彼女は、それを微笑ましいと感じていた。大体当時82歳の老人が、親友を前にしては喜んでいたり、或いは自分に不利な事を眼前にしては拗ねたりするのである。それをどうにかして覆い隠そうとしても結局出来ておらず15歳の少女に見透かされているのだから、微笑ましいと思われても仕方がない。
 それに対し、今まで久島の義体を用いていたのはAIである。ミナモは設定の詳細までは知らないが、彼には人格プログラムはインストールされていない。例えばミナモが知る個人としてのホロンのように、高度な自律思考型のAIではなかった。そのために彼には感情と呼べるものは備わっておらず、それを模倣しようともしていなかった。
 だから表情に乏しいのは当然の話である。しかし、ミナモはその義体にも、何故か感情めいたものを見出していた。それは彼女が「AIさん」に人格を欲している事もあるかもしれない。それでも少女は確実に、AIに心があると思っていた。
 ところが、現在のその瞳は本当に無感動だと感じていた。今まで何処かに見出していた「感情」が一切見当たらない。それは今までになかった事だった。
 義体は淡々と言葉を連ねてゆく。あくまでも自らの設定を説明するかのような態度を崩さない。
「それは判らない。私は必ずしも久島永一朗の容貌を保たなくともいいからだ。私が彼の義体を使用し続けていたのは、知識と記憶と共に義体も彼から継承したからに過ぎない。その義体が破損した以上、そこに拘る必然性は存在しない」
「…なら、どうなるんでしょう」
 AIの冷静な言葉に、ミナモは勢いを削がれていた。椅子にすとんと腰を落とす。軽く首を捻りつつ、問い掛ける。
 ――前述の理由により波留の義体の継続使用は不可能である。ならば久島の義体に戻す他ないと思われたが、その必然性が薄いのならば彼はどうすると言うのだろう?――そんな疑問が少女の心に去来している。
 疑問符を浮かべている少女を、義体は無感動のまま横目で見ている。その唇からは問い掛けに対する答えが返された。
「久島永一朗の義体は彼個人の所有物たるオーダーメイドであり、新たに準備するならば莫大な金額を必要とする。そのような金銭的な無駄を省くならば、電理研に配備されている公的アンドロイドであるタイプ・ホロンに換装するのが適当だろう」
「……ホロンさんに、なるんですか?」
 その仮定に、ミナモはぎょっとした。想像すると、あまり楽しくはない。確かに若干の笑いを誘われはするが、それを通り過ぎたならば引く他ないような気がする。
 しかし、少女の気分はいざ知らず、その選択は理には適っている。義体が指摘したように金銭的な問題もあるが、他者の容貌の義体を無断で製作してしまっては人権問題に発展してしまう。法的には久島は生存状態にある以上、それは避けねばならなかった。久島の脳核を収めるならば久島の容貌を持つ義体を用いるのも当然とも言えるのだが、必ずしもそれを選択出来ない状況下にあるのだ。
 そんな彼女にも、義体は無感想なままだった。主観的に見るならば、少女の動揺をよそに涼しい顔をしているとも表現出来るだろう。しかし彼にそんなつもりはないはずだった。
「我々AIに性別は存在しないからな。あくまでもAIのソースコードに挿入された1文によって規定されているに過ぎない。それを、選択した義体の性別と合致させればいいだけだ」
 彼は人工知能としての設定を述べていた。それは全てのAIに当て嵌まる、一般的な仕様だった。例えばそれは、ホロンにも適応される。彼女が女性なのは、そう言う設定になっているからなのである。
 しかしミナモには納得出来ない部分がある。その思いを抱え、彼女は右頬に人差し指を当てた。首を傾ける。視線を中空にやり、疑問を呈した。
「でも久島さんの記憶を引き継いでいるんでしょ?なら、やっぱり久島さんの義体じゃないとしっくり来ないです」
 そこが彼と他のAI達とを隔てる点であるはずだった。ミナモはそれを指摘する。そもそも久島当人がマスターとシステム管理者を兼任した状態でリアルを去っている今、そのAIの性別設定の変更もままならないのだ。
「…さあな。ともかく、何もかも、私が決定する事ではない」
 すると、義体は話を打ち切るような素振りを見せた。投げ槍とも取れる口調でそう言い切り、瞼を伏せる。軽く身体を動かし、枕に乗せる頭の位置をずらした。
 波留も前髪はそれなりに長い状態であり、彼を模した義体でもそれは変わらない。動いた事でその前髪は彼の目許に掛かっていた。ミナモの視界にそれが入る。
 思わず、いつものようにそれを払ってあげようかと感じた。しかし彼女はそれを躊躇う。膝の上でリコーダーを支えて掴む両手は動こうとはしなかった。それを自覚し、ミナモは顔を伏せる。
 やはり、これまでとは何かが違う。違ってしまっている。それはこのAIの態度ばかりではない。彼女自身も何かを違えてしまっていた。
 地平に沈みかけた夕陽が窓から射し込み、少女のシルエットを扉側の壁に映し出している。
 
[next][back]

[RD2ndS top] [RD top] [SITE top]