何かを読み込むような単純な電子音が、私の聴覚に微かに届いてくる。それが、私が初めて自らの意識に覚えた感覚だった。暗闇にそれらが浸透してゆき、意識に光が射し込む心地がする。
 それまでに、私には「目覚めた」経験はない。しかし伝わる電子音は、私の意識に確実に何かを読み込ませてゆく。
 その意識の奥底から、私を呼ぶ声が感じられる。それは明確な言語の形式を持ち得ていない。もっと衝動的なものだ。しかし、それが私に成すべき事を伝えて行った。
 私の意識が、そこにある知識を確認してゆく。目覚めた経験がない私には、自らの体験と言うものが存在しない。しかし私に割り当てられた知識は、経験と等価となる。
 私自身に経験の蓄積がなくとも、データやプログラムのインストールさえあればそれに順じた能力を発揮する事が出来る。それが人間とAIの違いだった。そして私と言う存在は、後者そのものである。
 そして、私に割り当てられているのは、知識のみではない。目覚めた先に何をするべきか、その使命すらも私には与えられていた。私はそれに従うのが当然なのだ。
 与えられた知識や使命を読み込む合間に、私は自らの設定を自動的に確認してゆく。そして設定の根幹であり私にとっての絶対者となる人名を把握して行った。
 AIやアンドロイドが使役者として仕える人間たるマスター、自らの設定変更や更新、削除などを許可するシステム管理者、或いはAIそのものの創造主――私に刻み込まれたその名は、全て同一人物のものだった。
 それは、AI達の設定としてはかなり特殊な状況と言える。絶対者を複数認定しておくのは、危機管理のためである。マスターが不慮の事態に陥った場合はシステム管理者がその代理を行う事になるし、その逆も然りだからだ。
 絶対者の全員を同一人物にすればそれ以外の人間が個人的にAIを使役する事は不可能となるし、メンテナンス自体も出来なくなる。アンドロイドに与える秘密に対して偏執的な人間でない限り、それを避けるものだった。
 その論法を用いるならば、私の絶対者は相当の偏執的な人間らしい。しかしそれを実感として確認する事は、最早不可能だった。その彼は、最早このリアルには何処にも存在しない。
 私はそれを直感していた。仕えるべき個人も、私の設定を変更解除してくれる人間も、ここには居ない。私と言う存在のみがリアルに置き去りにされている――それを自覚していた。
 情報を読み込んでいけば、私の直感は補強されてゆく。私の起動条件が明らかにされて行ったからだ。
 私の起動は、彼のリアルからの消失が大前提となっていた。私から、絶対者はあらかじめ失われていたのだ。
 それを思う頃には、感覚は意識の覚醒ばかりか身体にも現れてゆく。私の電脳が接続している義体の表皮から伝わる感覚を読み込み始めていた。
 しかし起動チェックの結果、私には制動系プログラムを始めとした義体用プログラムは殆どインストールされていない事が発覚していた。そのために全身に広がるのは、僅かな触覚のみだった。それも単純な入力のみしか理解出来ず、細かな感覚は伝わってこなかった。
 そんな状況だったが、掌に触れられている感覚は理解していた。誰かの指と掌がそこにある――それを良く確かめるべく、私は微かにその手を震わせていた。この義体を動作させるべく、初めて能動的に操作した事になる。
 途端、私はその聴覚にどよめきを聴いていた。そして私に触れる手が身じろぎしている。
 傍らの様子を自ら確認すべく、私はゆっくりと瞼を上げてゆく。初めて、視界と言う概念を確保しようとした。
 瞼が張り付いた風に僅かな抵抗を見せていたが、それも隙間を見せる。暗闇に光が射した。光量を義眼が調節してゆき、おぼろげな室内の様子が視覚に映し出されてゆく。無機質な天井が目に入り、そのあちこちにモニタがいくつか配置されていた。
 そして、寝台に横たえられていた私を見下ろすふたりの人物を、そこに認める。白衣を纏った黒髪の青年と、眼鏡を掛けた妙齢の女性。彼らは一様に驚いた表情を浮かべていた。
 私の視界には自動的にダイアログが展開されてゆく。彼らふたりの体つきや顔立ちを認識プログラムに流し込み、私の知識に存在するデータと照らし合わせていた。その結果、すぐに彼らのプロフィールを私は把握する。
 私は彼らを知っている。知識として与えられている。彼らは私が知識として持ち得ている数少ない人間達であり、それ故に私にとって重要人物達だ。目覚めた私は彼らを接触しなければならなかった。それを、私の中に響く「声」が指示している。
 その声が、私に更に呼びかけてゆく。意識の奥底から私に命令を下してゆく。
 ――彼らを呼ばなくてはならない。
 目覚めたばかりの私は、今までどんな人間とも出会った事はない。しかし知識は与えられている。その知識に、私は何の疑念も差し挟まない。何故ならそれが絶対者から与えられている、私への数少ない指示のひとつだからだ。
 私は軽く口を開いた。唇を僅かに開け、動作するかどうか確かめてみる。電脳の設定上では、この声帯はデフォルト設定のままで継続されていた。この義体の以前の使用者のままの設定だ。
 それを把握しつつ、私はこのリアルにおいて、初めて目を開き声を発していた。
「――波留真理と、蒼井ミナモをここに呼べ」
 抑揚のない私の発言に、眼前の人々は面食らっている様子だった。当たり前だろう。彼らは私のこの姿を、「私」とは認識してはいない。この姿は――我が絶対者のものだった。私はそれすら継承していた。
 しかしその義体は今、私が使用している。口調も感情に乏しいAIのそれとなってしまっており、彼らはそれに戸惑っているのだろう。
「私が久島永一朗から託された知識は、彼らが合流してから話す事にする。だから早急に集めろ」





 私は、知識も記憶も姿も、その全てを久島永一朗から受け継いでいた。
 私自身のオリジナルの要素など、何処にも存在しない。そして私に与えられた使命を鑑みるに、それが当然だった。
 久島永一朗の推論を彼らに伝えるためだけに設定された予備装置たる私に、個性など必要ないのだ。
 少なくとも絶対者たる久島永一朗はそう考えて私にこれらの設定を下しているのであり、私はその追認に異存はなかった。
 私はAIであり、人間に絶対服従するだけの存在なのだ。

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