波留の眼前から、人工島中学校の制服のセーラーを揺らして少女が走り去ってゆく。
 珍しく伸ばされたままの褐色の髪が彼女の活発な動きに従い、大きく揺れていた。しかしその髪にあるべきリボンは、今は存在しない。
 隔離病棟の長い廊下を、ミナモは走り抜けてゆく。窓から差し込んでくる夕陽を身体の側面から浴びつつ、彼女は波留の視界から消えて行った。
 波留もまた、身体に夕陽を当てている。彼は自らの左頬にそっと手を伸ばす。夕陽が当たる事で僅かに熱を感じ、その頬が熱せられた感触がする。
 左頬に若干ひりひりとした痛みを感じ、彼は指でそこを撫でた。包帯に包まれた指の腹から体温を感じ、頬の痛みが伝わってくる。しかし酷い痛みではなく、指を離してもそこに血が付着してくるような事もなかった。
 彼は確かに火傷を負っている。そのために頬が痛むのも、理由のひとつである。
 しかし、先程、彼はミナモに頬を平手打ちにされていた。
 それはとても唐突な展開ではあったが、何処かで理解は出来ていた。自分はそれだけの行動を取っているのだろう。何処か、常軌を逸している自覚はあった。
 しかし、だからと言って、それを抑え切れたのか。彼にはその自信がまるでなかった。
 殴られた痕跡が残っているかのように、彼は自らの白い指先を見つめている。そして不意に溜息をつく。目を伏せ、肩を落とした。
 それから波留は、少女が消えて行った前方を見据える。その先にはメンテナンスルームが存在しており、彼女はあの義体が居るそこに戻っているはずだった。
 軽く息を吸う。何かを言いかけるが、結局彼はそれを実行しなかった。口を噤み、黙り込む。窓の向こうでは夕陽の先に、雲が流れて行っている。
 波留はその窓を一瞥した。ここからは外の眺めを一望出来ているが、外部からは黒色グラス状態になっているはずだった。隔離病棟の様子を悟らせないために、メタルを介してそのような操作を自動的に行っているからである。
 そしてそれは、この病棟の窓全てに共通した設定である。そんな場所だと言うのに、何故占拠組に久島の所在を暴かれてしまったのか――?
 そもそも久島の居場所を隠蔽する事自体、誰のためなのだろうか。あのAIの存在はそれ以上のトップシークレットとなっているが、それは久島の知識を人工島の支配者達が独占したいがためなのだろうか。
 嘘は社会に確実に蔓延し「誰かのために」との名目でそれは正当化され行使されてゆく。そしてその嘘を、今回の事件解決に向けて、波留自身がたくさん用いていた。
「――…大体、あなただって」
 唐突に、波留の口から、その言葉が漏れていた。
 そこに含まれた響きは言い訳がましくもあり、諦観すらも内包していた。
 
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