蒼井ソウタは、隔離病棟の一室を利用していた。 そこは病室のひとつであり、未使用状態のまま放置されていた。彼はその備え付けのソファーに腰掛け、腕を組んで背もたれに身体を預けている。楽な姿勢を取り、目を伏せていた。 現在の彼の意識は、このリアルには存在しない。メタル内に存在するアバターとしての会議室に飛んでいて、彼の対面には妙齢の女性が憮然とした表情で席に着いていた。 ――状況は良く判りました。 アバター通信であるために、ソウタの会話相手であるエリカ・パトリシア・タカナミ書記長は口を開かず電通状態としての動作を保っている。しかし表情はリアルの彼女そのものであり、両肘をテーブルにつきそこに顎を乗せていた。眼鏡に覆われた目許の印象からは、不満が表れている。 ――しかし、事後報告ですか。久島部長をターゲットとした事件ですよ?あなた独りの手に収まると思ったのならば、何て傲慢なのかしら。 ソウタは何も反論しなかった。彼はリアル同様に目を伏せている。確かにその一点において、自らは責められる立場であると彼は理解をしていた。いくら身内の危機だからと言っても、各機関に根回しを一切行わなかったのだ。 波留の尽力によってどうにか及第点をつけられる結末に至ったとは言え、一歩間違えば久島部長の脳核を破壊すると言う事態に陥ったのである。あの義体炎上を経ても彼の脳核が無事だったのは、ひとえに運の要素が大きかったと認めざるを得ない。彼らは、最後の最後で詰めを誤ったのだ。 反省しているのか、黙りこくっている年下の電理研部長代理に対し、評議会書記長はますます不機嫌な表情を深める。 その一方において、タカナミ書記長もソウタの事情は薄々理解している。肉親ふたりに尊敬する「先生」を人質とされては、まともな判断を下せなくなるのが人情である。ソウタはそのぎりぎりの精神状態の中で、どうにか最善の選択を下したとも言える。 電理研で情報を独占したのならば、電理研の権限の巨大化について評議会が指摘する事も出来る。しかしソウタは、解決手法をあくまでも個人的な範囲に留めたのだ。そこには、久島部長支配下の、部長の独断で動き続けた先の電理研とはまた別の問題が横たわっていた。 タカナミは肩に垂れる髪を指先で弄ぶ。そして、話を変える事にした。そこは確かに人工島運営における問題点ではあるが、今ここで追求し続けていても、話は発展しないと思ったからだ。 ――…まあ、それはいいでしょう。話をするべきは、今後についてです。部長代理、宜しいですか? ――…はい。 ソウタは目を開き、頷いた。そこに表情はない。平静を保ち続けている。そんな彼を対面から一瞥し、タカナミは話を続けた。 ――久島部長の脳核は守られ、実行犯グループは全員確保したと訊いています。事件自体は解決したかもしれませんが、これからは彼らの内情を探るための捜査を行わなければなりません。 タカナミの言葉にソウタは無言で頷いた。その先を促す。書記長も彼に目礼し、肘を突いている手を組み変えた。眼鏡を光らせつつ、申し入れる。 ――つきましては、我々評議会に捜査権を委譲して頂きます。これは人工島の重要人物をターゲットとした事件ですからね。容疑者と現在の捜査情報を全て、引き渡し願います。 書記長の指示は、当然の措置だった。人工島を政治的に運営しているのは電理研ではなく評議会なのである。評議会側に充分な建前が存在していた。 人工島のハードウェアとソフトウェアを管理するのが電理研とは言え、彼ら技術屋を支配するべきは政治家達であるべきだ――その理論により、評議会は電理研と人工島支配権のせめぎ合いを続けている。そこに、久島部長に対するテロが再度勃発したのである。その事件解決に向けての糸口をどちらが掴むかで、島民に対する心証は大きく変化するだろうとの計算も存在する。 タカナミからの申し入れに、ソウタは真っ直ぐに彼女を見つめていた。真剣な視線を送る。そして彼は口を結んだまま、アバターとしての電通で話し掛けてゆく。 ――その件についてですが、今暫くお待ち頂けますか? ――…何ですって? 思わず書記長はそう問い掛けていた。それは彼女にとって、予想外の申し入れだった。まさか電理研の部長代理が捜査権に固執するとは思わなかったのだ。 久島部長自身が首座に就いているならともかく、それ以外の人物が余計な波風を起こすような判断を下すとは意外で仕方ない。久島部長の独断が許されたのは、彼の実績とそれに伴う神の如きカリスマ性が支持されていたからに過ぎない。他の誰にもそれは真似出来ないと、人工島の誰もが理解しているはずだった。 身内が被害に遭った事で頭に血が上っている?確かにそれには同情するが、一時の興奮が何時までも覚めやらない、そこまで愚かな青年だったろうか――タカナミはそう考えつつ、一回り年下の青年幹部を値踏みするように見やっていた。 その無遠慮とも言える視線を、ソウタは真っ直ぐに受け止めている。人工島の支配者のひとりを目の当たりにしつつ、彼は自らの意見を電通に乗せてゆく。 ――現在、我々電理研の調査部が動いています。事件解決と同様に、捜査も極秘裏に進めるべきと考えます。久島部長の義体にAIが仕込まれていた――などと言う事実は出来得る限り知る人間を減らすべきですから。となると、それは我々の本分です。是非、お任せ頂ければと。 電理研はメタルを中心とした技術者集団であると同時に、それを用いる事に長けた人間達が集う世界有数の調査機関である。それを生かすフィールドがここにある以上、捜査を自分達の手で続けたい――ソウタは、そう言う論理を振りかざしていた。 タカナミはその言葉を訊き、顎に手を当てた。考え込むような仕草を見せる。口許に手をやり、電通を飛ばす。 ――…リーダーとおぼしき人物は、電脳自殺を図ったそうね。 ――はい。 ――その記憶のサルベージには、有能かつ口が硬いダイバーが必要と言う事かしら? ――そうなります。 ソウタの答えに、タカナミは溜息をついた。今彼女の脳裏に浮かんでいるダイバーの名は、おそらくソウタが想定しているダイバーと同一人物だろうと、彼女も理解していた。 ――二度手間は省くべきか。書記長の思考に、その結論が現れていた。 そのダイバーは正確には電理研の委託ダイバーに過ぎない。正式に電理研に所属しているとは言い難い立場であり、評議会から捜査依頼を回す事も可能だった。 しかし、現在既にソウタの指示でそのダイバーが動いている以上、そこに他者が割り込むのは捜査の機動力を失わせる事にもなり得る。縄張り争いや電理研が有する権限への釘刺しは確かに重要だが、それに拘泥していては単なる足の引っ張り合いに堕ちてしまう。 タカナミはそれを恐れた。或いは、他の評議員を説得する材料として、その論理を見出していた。 ――判りました。評議会はあなた方電理研の捜査を暫く静観しましょう。しかし進捗情報は逐次提供願いますし、それを元に早いうちに臨時の評議会を開催します。 ――それで結構です。 そこを落としどころとし、電理研の実質上のトップと評議会のトップとの会談はひとまず終わりを告げた。 彼らもまた、自らが属する組織と連携を取らずにトップ会談で話を進めてしまっている。迅速な対応のためとは言え、これもまた批判の対象になる可能性があった。 ――でも、厳しい事になりそうね…どうして久島部長の入院先を彼らが知る所となったのか、その情報漏洩の箇所を潰さなければなりません。ともすれば、人工島の危機管理の問題ともなり得ますから。 最後に、タカナミはその感想を口にしている。ソウタもそれについては同感だった。 |