私の眼前に、大きな手が迫ってくる。
 その手は私の顔にそのまま触れた。そしてその指を軽く曲げ、私の顔を掴む。強い力は込められていないが、その手は私の両眼を覆い隠してゆく。
 その間、私はそれに一切抵抗しなかった。その場に立ち尽くしたままで、迫り来るその手を見ているだけだった。まるでそれを待ち受け、受け容れるかのようである。
 すまないと言ったような気がする。
 しかし、それも明確ではない。自分が語ったかもしれない言葉だと言うのに、私はそれを思い出せなかった。大体何故、顔を掴まれている私の方が謝罪しなければならないのだろう。
 不意に私は左腕を持ち上げた。その時には私は視界を塞がれ、暗闇しか見えていない。
 見えてはいないが顔を掴まれているのだ。その腕がある場所は、目測が着く。手探りでそれを掴み、強い力を込めた。厚手の衣服とそれに覆われた腕の筋肉の感触を掌に覚えつつ、力を込めて握る。
 私は、顔を掴むその手を引き剥がそうとしたのだろうか。それを受け容れようとしていたが、やはり土壇場で抵抗したのだろうか。
 おそらく、違う。詳細を記憶していないと言うのに、その否定だけは明確に可能だった。
 私は別の何かを企んでいた。しかし、そこを全く記憶していない。それこそが肝心な事だろうと思うのに。
 視界は暗闇に覆われたままである。その中で、私は何かを考えていた。
 しかし、それもすぐに終わる。私は唐突に思考に衝撃を受けた。闇に包まれた視界に一瞬電光のようなものが走り、その瞬間に私の意識は途切れていた。





 私が最期に見たものとは、その大きな掌だった。
 そして、その掌が誰のものだったのか。その場で何が起こったのか。私はその時、何を思っていたのか。
 それら全てが、私の記憶から抜け落ちている。
 
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