レッドは、自らの電脳に初期化プログラムを仕込んでいたらしい。
 現在の彼はジャマーデバイスによりメタルへの接続を遮断していたが、初期化プログラムはスタンドアロンでも使用可能である。だから波留の監視下でもそれを阻止出来なかった。
 それは、まさか相手がそんなプログラムを本気で用いる訳がないと思い、波留が一切警戒していなかった事も一因である。自らの命と抱える情報を天秤に掛け、後者に重きを置く人間の存在を彼は認めたくはなかった。信じたくなかったと言い換えるべきかもしれない。
 彼自身は空のメモリースティックを用いてはったりを仕掛けた立場だったが、あくまで健全な考えの持ち主だった。逆に言えば、レッドは自分がそのプログラムを用いる事を厭わないからこそ、波留もそれを使用すると信じて騙されたのだろう。
 ともかくレッドは技術者達の目の前で、自らの脳核を初期化しようとしていた。しかしそれを阻止すべく、技術者達は動く。幸いここはメンテナンスルームである。処置のしようはいくらでもあった。
 初期化プログラムは波留が作動を停止させたが、それまでには脳に収まっている情報の一部は確実に消去されていた。その復旧に技師達が当たろうと、彼を処置室へと引き摺り込んで行った。
 波留もメタルダイバーとして、データのサルベージを手伝おうと名乗り出ていた。しかしそれはソウタ達に止められていた。彼はここに至るまでに長時間のダイブを行っている。これ以上の連続ダイブは波留自身の電脳に掛かる負担が大きくなり、危険なのが理由である。
 ひとまずはレッドの電脳を安定させ、情報のメタル領域を固定する事が先決である。そして何処まで復旧が可能なのか把握した上で、メタルダイバーを投入すべきだった。仮に大幅な復旧が望めるならば、敢えて波留に依頼する必然性は薄れる。彼を温存し、別のダイバーを起用する考えもあった。
 その意見を波留は素直に受け容れた。全てを自分の手で行う必要もないのだと納得していた。人質達の前から危険は去り、犯人は確保された。
 後はその全容を明らかにする作業に移行する。そうなると、秘密裏とは言え電理研の調査部の派遣を考慮する段階に来ていた。実際にシルバーを確保したホロン、そしてつい先程狙撃主を確保したと連絡を寄越してきた波留を模した義体の元には、ソウタの権限でそれぞれに調査部の人間を送り込んでいる。その犯人を回収し、拘禁する役目を与えていた。
 処置室にレッドの電脳の復旧に向かう衛を始めとしたスタッフを見送り、ソウタと波留は室内を振り返る。その視線の先にはミナモと久島の義体が存在していた。
 少女は車椅子の傍らに屈み込んでいたが、不意に笑顔で立ち上がる。何事かを義体に告げた後に、軽やかに歩みを入口へと向けていた。
 波留はその姿を遠目で見ている。手の中にあるピンク色のペーパーインターフェイスに視線を落とした。起動していない板状の端末と、少女の顔を見比べる。波留としては彼女に声を掛けたいのはやまやまだが、彼女はやるべき仕事を見出している様子だった。
 ならばその邪魔をするべきではないだろう。そう思いつつ微笑み、少女の背中を視線で追った。
 その視線の先で、ミナモは足を止めていた。そこまで軽快に小走りに向かっていたと言うのに、唐突だと波留は思う。何事かと視線を遠くへと向けた。
 メンテナンスルームへ至るたったひとつの入口に、ひとりの覆面の人物が立っていた。そしてその両手にはショットガンが抱えられている。
 彼はショットガンを胸の前で水平に構える。それは、見ている者にはやけに緩慢な動きに感じられた。そしてその射線の先には、ぼんやりとした表情で立ち尽くす中学生の少女の姿があった。
 その状況を悟った瞬間、波留の表情が変わった。壁際付近に立っていた彼は、一気に大股に走り込む。姿勢を低くして床を蹴り、両腕を大きく伸ばした。
 体当たりでも掛けるかのような勢いで、彼はミナモを抱き留める。その時には、彼は確かに轟音を聴いていた。それは紛れもなく発砲音だと、彼は理解する。
 飛び退って交わすには間に合わない事を悟り、彼は身体を捻った。入口方面にして弾丸が射出されてくる方角に背中を向ける。
 自らの胸にはしっかりとミナモの顔を押し付けた。腕を彼女の背に回し、未成熟ではあるがそれなりに柔らかな身体を抱き締める。自らの顔に、翻る少女の髪を感じつつ、来たるべき衝撃に備えて瞼を伏せた。
 しかし、彼らの前に、遮る影が躍り込んで来ていた。それは車椅子の車輪の音を伴って出現する。
 久島の義体が自らの車椅子を電脳制御して波留達より更に入口側に回り込み、その射線に立ち塞がっていた。
 そのAIが操る車輪を空転させその場に居座った時には、義体の両腕を制御下に置き、真っ直ぐに伸ばして横に振り上げている。あたかも射線に対して標的を大きく見せるかのように。
 その一瞬後、光と轟音が、室内に弾けた。
 
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