メディカルセンターの本棟と隔離病棟とは、同じ敷地内に存在する。そのため、棟間の移動には然程時間は掛からない。
 ソウタは杖を突いている立場のため、それに付き合うならばゆっくりとした歩みにはなる。しかし、慌てて向かうような状況でもなかった。
 現在では互いに電通能力が回復しているため、ソウタがその場に居る父に対して申し送りを行い、情報交換を行っている。そうする事で互いの情報を擦り合わせ、それぞれに安心を得ていた。
 現場では占拠組は無力化されて拘束されており、外部から接続していたクラッカーも無力化し確保されている。セキュリティシステムも波留の手に落ち、狙撃主も無力化し確保に向かっていた。全てが平穏へと向かいつつある。後は現場での詳細を把握し、ハードウェアとソフトウェアの双方で、ダメージを負った箇所を復旧させるばかりであった。
「――ミナモ、父さん」
 現場たる隔離病棟メンテナンスルームに到着したソウタが発した言葉は、まずはそれだった。統括部長代理としての任ではなく、独りの肉親としての態度が先行している事となる。
 しかしそれは責められるべき行動ではないと、その場の誰もが理解していた。彼は未だ21歳の若者であり、この場に居る殆どの人々よりも年少である。そんな彼の、父と妹が危険に晒されたのだ。動揺がない方が異常だった。
 かくしてソウタは父の元に足早に歩み寄る。杖を突く速度が逸り、躓きそうにもなる。それに慌ててミナモが駆け寄るが、彼はどうにか踏み留まった。心配そうに覗き込むミナモに軽く頷く。そして蒼井家の3人は何事かを話し合う。それぞれを心配し合い、状況を確認していた。
 そんな家族を、ソウタと共にこの場を訪れた波留は微笑を浮かべて遠巻きに見やっていた。その他の病棟スタッフ達に会釈をし、いくらかの会話を行う。
 それから彼は視線を巡らせ、誰も傍に居る事もなく独りで佇んでいる親友の姿を模した義体に行き当たっていた。微笑みを深め、彼はその元へと歩いてゆく。
 義体は軽く俯き、沈黙したまま膝の上を注視している。無感動な目許に前髪が僅かに垂れてきていた。確かな足音が近付いてきて、顔に影が射した事に義体はふと気付く。ゆっくりと視線を上げた。
 その先には、少しだけ屈み込んだ黒髪の青年が微笑んでいる。義体には、彼が背後に光を背負っているように見えた。狙撃によりひびが入りメタル端末としての用を成さなくなっている壁の窓から差し込む昼下がりの陽光が彼の身体に当たっているせいだと義体は理解し、その義眼が補正を行う。
「――良く頑張りましたね。ありがとうございます」
 波留は久島の義体に視線の高さを合わせる。優しい笑顔を浮かべ、柔らかな口調でそう語りかけていた。
 そんな彼の態度にも、義体は表情を緩めない。視界を補正しているために眉を寄せつつ、その青年を見上げていた。肘掛けに置かれた両手の指を僅かに曲げる。そして口を開いた。
「…私は私の務めを果たしただけだ」
「あなたにとってはそうでしょうね」
 一見して冷淡な義体の言葉にも、波留は微笑みを絶やさない。視線を合わせ、軽く会釈した。
 それを受けつつ、義体は軽く視線を落とす。左手首を見やり、その袖口から垣間見える黒い古ぼけたダイバーウォッチを視界に入れた。それから右手に視線を移動させる。曲げられた指の先にささくれ立った感触を覚えた。彼は爪がひび割れている事を思い出す。
 それを確認するつもりで、義体はゆっくりと義手を肘掛けから持ち上げた。電脳に受けたダメージは回復しているが、それでもぎこちない動きなのは日常と変わらない。震える腕を膝の上に固定し、視線を落とした。
 彼は拳を作るように指を曲げ、掌を顔の方に向けて割れた爪を只見ていた。染み出していた循環液は既に乾燥し、白色から透明へと変化している。その液体はひび割れを埋めており、やがては傷を再生させるだろうと義体は判断した。
 その手を静かに眺めているが、不意に彼はその指を更に曲げてゆく。爪を持つ指先を掌の中に収めて行った。右手に拳を作り出す。
 ふと、その義体は前を見据えた。その先には波留が立っているはずだった。彼はそれを期待していた。
 しかし、その時には波留は、家族の再会に一区切りをつけていたソウタに声を掛けられていた。黒髪の青年は呼び掛けられた方に微笑を浮かべた顔を向ける。言葉を掛け、そして義体に軽く頭を下げた。挨拶を経て、ソウタの方へと歩み始めた。
 義体は無言でそれを見送っていた。胸の前には拳を作り出したままである。視界に光がちらつく。彼はその右腕をゆっくりと突き出していた。その先には遠ざかってゆく波留の背中がある。
 届く訳もない拳が、義体から波留に向けられる。肘まで軽く伸ばされたその腕は、拳をくいと下に向けた後に、ゆっくりと戻されてゆく。静かに肘掛けに肘を置き、彼はそのまま再び俯き加減に収まっていた。
 沈黙を保ったままの義体の瞳には、相変わらず感情らしきものは映し出されていない。
 
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