託体ベッドの天蓋がゆっくりと持ち上がってゆく。
 脳内でメタルダイブ用の接続プログラムが正常終了するのを追認しつつ、波留はゆっくりと瞼を開けた。今までメタルの海を見ていたその視界には、青色の半透明の素材であるベッドのフードが開き、その先には無骨な灰色の天井が広がってゆく。顔に感じる空気は気温が適度にコントロールされていて、ひんやりとしていて心地良い。
「――波留さん」
 ベッドの縁に手を掛けて、彼の名を呼びつつ黒髪の若者が覗き込んでいる。僅かに眉を寄せ、心配そうな顔をしていた。  その態度に、名を呼ばれた側は薄く微笑む。横たえていた両腕をベッドに突き、そのまま上体を持ち上げた。軽く顔を降ると、伸ばしたままの前髪が額に当たってくすぐったい心地がする。
「ソウタ君。ホロンから連絡はありましたか?」
「はい。先程ダイバーの拘束を完了したそうです」
「そうですか」
 頷くソウタに、波留は微笑んで前髪を掻き上げた。
 彼は先程のセキュリティシステムのハッキングを行い、その場で遭遇したシルバーから接続情報を抜き、リアルでの場所を特定した。その情報をホロンに流し、彼女をその現場へと拘束に向かわせたのである。そしてその命令は成功したらしい。
「それでは、僕達も向かいましょうか」
 波留はそう言い、ベッドに座り、その足を床に下ろす。立っているソウタの邪魔にならないような位置から立ち上がった。
「判りました」
 ソウタも波留に向き直る。突いている杖の位置を変え、身体を支えた。床に渡されているコード類に気を遣いつつ、歩こうとする。
「――…あの」
 その時、近くから声を掛けられていた。その方向にふたりは視線を向ける。
 そこには義体技師が曖昧な笑みを浮かべていた。そしてその背後には看護用アンドロイドが制服を纏って控えている。
 ここは電理研付属メディカルセンターの本棟に存在するメンテナンスルームである。今まで波留が使用していた託体ベッドの隣には義体メンテナンス用の装置が配置されているが、現在そこには誰も繋がれていない。
 本来ならば義体のメンテナンスのために設置されているこの部屋を、彼らはそうではない単なるメタルダイブに使用していた。それも、数時間を越えるダイブである。電理研関係者の眼前で行ったダイブだと言うのに、安全性を鑑みれば阻止されてもおかしくない程の長時間だった。
 一応はダイバー自身は安全性を確保してダイブしていたらしい。それにしても何も知らされないまま眺めているだけの立場では、やきもきさせられた。医療関係者として、目の前で行われているダイブで危険な目に遭うのを見過ごすのは、流石に寝覚めが悪いものがある。
 更に、メタルダイブを行う波留以外にも、ソウタがどうにも挙動不審だった。何せ彼は、メンテナンス途中だったタイプ・ホロンに看護用アンドロイドの衣装を借りて着せ、退室させたのである。
 かと言ってそれを咎めるなり単に質問するのも、この義体技師としては気が引けた。相手は統括部長代理と、それに付き従うメタルダイバーである。何らかの極秘任務を抱えていたのかもしれないとも思われる。
 とすると、そこを突っ込む事は避けるべきだと、彼は思わざるを得ない。それがもし電理研最高機密に関わるような事ならば、不用意に触れては火傷する羽目になる。そんな事態を避けたいのが、小市民たる彼だった。
 そんな義体技師を値踏みするように見やっていたソウタは、ふっと微笑む。やけに爽やかな笑顔を煌かせ、以下のような台詞を告げていた。
「――ああ。出来れば、今日の我々の行動は忘れて貰えたら嬉しいです。統括部長代理としてのお願いです」
 ソウタのその台詞は、この小心者の義体技師にとっては殺し文句となった。彼はその言葉を心に留め、今日の出来事を「忘れてしまう」事にした。それが全てを丸く収める秘訣だと信じた。
 
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