不意に、彼の視界に淡い光が射す。 そして眼前に広がる手は、ダイバーグローブには包まれておらず、肌色の素肌となっていた。 その手が彼の顔をがしりと掴む。指先が彼の顔の皮膚に喰い込み、その感覚で彼の意識はメタルからリアルへと引き戻されていた。 突然の復帰に、息が詰まるような圧力を覚える。思わず咳き込んだ。しかし両眼はその掌にしっかりと覆われ、何も見えない。 そこに、肩を掴まれた。そこにも指が喰い込み、今度は痛みを覚えるまでとなる。彼は顔を顰める。口許が歪んだのを自覚した。そのままその肩を引かれる。横に勢い良く掴まれて引っ張られると、唐突に浮遊感を覚えた。 そのまま身体がずり下がり、落ちる。当初彼はこの状況が判らなかったが、すぐに託体ベッドから引きずり出されたのだと理解した。メタルの意識体からリアルの肉体へと視点が転換されてゆく。 理論上では、人工島においてはメタルへの常時接続が可能で、託体ベッドを用いなくともダイブは可能である。しかし荒っぽく引きずり出された事でダイブ用の接続プログラムの安全装置が作動し、彼はその接続を強制解除されていた。 彼の身体を支えるべき顔の手を外される。落ちた身体はそのまま床に叩き付けられた。うつ伏せに落ちてまともに胸を打ち、彼は呻き声を上げる。そこまで高い位置からの落下ではなかったために肋骨などに異常はないらしい。それでも数秒間息が詰まった。 動作を停止せざるを得ない彼に対し、肩を掴んだ人物は背中に馬乗りになる。膝を立てて彼の背中を押さえ込み、動きを封じた。右腕を掴み、肘を決める。腱を痛めない程度に捻り上げた。 格闘の素養を持つ人間ならば、その一連の動作はあくまでも相手を傷付けない事を念頭に置いていると気付くだろう。端的に言うならば、手加減している。しかし素人である彼は、その暴力を前にして怯んでいた。 メタルからの唐突な帰還により朦朧とした意識に、その痛みが響く。押し付けられた床の冷たさと埃っぽさが、顔に伝わってきていた。最早、彼に抵抗の意思はない。後ろ手に手錠で拘束されるがままだった。 「――マスターの命により、あなたを拘束させて頂きます」 作業が落ち着いた頃に、女性が発する静かな声が上から降って来た。突っ伏す形で拘束された彼は、どうにか首を捻って振り返り、その正体を確認しようとする。 天井に存在する小さな室内灯を背後にして彼の背に跨っているのは、黒髪の女性だった。 その長い黒髪を結い上げ、顔に掛けられた透明なレンズの眼鏡は格闘動作を経ても鼻筋からずれてもいない。ブラウスにスカーフをネクタイ上に巻いている上体が彼の視界に入る。その顔立ちは、注視すれば公的アンドロイドのそれと気付く。 ジャック・シルバーは、その彼女はホロンと呼称されているアンドロイドであり、統括部長代理に仕える秘書にして形式上は波留をマスターとしている存在だと知っていた。その彼女のリアルからの襲来が、彼を更に敗北感へと誘う事となった。 |