頭を撃たれたはずの波留がレッドの腕を掴んでいる。そしてそのうちにレッドが逆に、その場にうずくまるように崩れ落ちていた。 覆面の男は銃を取り落とし、両腕で頭を抱え込むように倒れ込む。そのままのた打ち回る事すら出来ないのか、微かな呻き声を上げて頭を押さえ込んでいた。 そんな情景を、人々は呆然と見ていた。何が起こったのか、波留以外の誰も理解出来ていなかった。 すると、周辺から立て続けにがしゃりと言う音が立つ。その音に、彼らが見渡すと、レッド以外の覆面男達が続々とその場に倒れ込んでいた。その男達もレッド同様に頭を押さえ、苦しむ様子を見せていた。 気付いた頃には、ガラス壁や窓が光を発して明滅を繰り返している。それはまるで、人質達が昼下がりに電脳に一撃を喰らった際に周辺に巻き起こった光景にも似ていた。 「――皆さんの首筋のジャマーを、彼らにつけて下さい」 その最中、波留の冷静な声がメンテナンスルームに響く。言いながら彼は、左手を上げて首筋に装着されていた金属製のデバイスを掴んでいた。黒髪に紛れつつもそのまま後ろに引っ張り、容易く取り外す。 彼は間近に居る義体技師とその傍らに倒れたブラックを一瞥した。その技師に視線で指示を送りつつ、周りの人間全員に状況を淡々とした口調で説明する。 「皆さんの認証コードを除外した上で、この一帯のメタルをジャミングしました。現在の彼らは電脳を麻痺させられて動けない状態です。何時までもこれを続ける訳にもいきませんので、ひとまず彼らにジャマーを装着した上で、衣服などで縛って拘束して下さい」 つまり波留は、彼ら人質達が拘束されるに至った状況をそのまま占拠側に意趣返ししたような状況を作り出したらしい。状況に若干の違いはあるものの、大まかに考えたならばそう表現する事が出来た。 とは言え、波留は首筋のデバイスに拠り、メタルへの接続を制限されているはずである。だと言うのに、どう言った仕組みでそれを実行しているのか。そこは未だ理解出来ないが、発生している状況自体は理解出来る。 そしてそこさえ理解すれば、白衣組の行動も素早かった。自分達がされた事をそのままやり返せばいいだけである。彼らが装着させられていたデバイスを外し、そのままの設定で覆面の男達に着け返す。その上で男達の衣服の袖口を引き、拘束着のように縛って自由を奪っていた。 その間、好き勝手に扱われた覆面の男達は一切抵抗出来ていない。電脳化した人間にとって、電脳を完全に落とされるという事はそれ程までに大きな負担となるのである。それは数時間前に人質達が受けた攻撃であるために、眺める各人は実感をもって捉えていた。 波留も悠然と立ち上がり、目の前に倒れているレッドの首筋にデバイスをしっかりと装着させる。ぎこちなくも右手を動かして、レッドの衣服を引いてそのまま拘束していった。その度に肩口から白い液体が溢れてくるが、彼自身は一向に気にする様子を見せない。 「――…波留さん」 ミナモはその様子に、呆然と声を上げていた。目の前で巻き起こる事態に、彼女は全くついて行けていない。 波留さんが撃たれたと思ったら血ではなく白い液体を流していて、もう1回撃たれたら髪が解けて座り込んで、でもそうこうしているうちに犯人さん達が倒れてしまった――そんな風にしか彼女は理解出来ていなかった。 そんな少女の方を、波留はちらりと見やる。やはりそこに微笑みは浮かんでいなかった。 「…ミナモさん。少々お待ち頂けますか?ちょっと余裕がないもので」 「え?」 波留の言葉にミナモはぽかんとした。どう言う意味だろうと思う。今の台詞の内容自体は、普段の波留そのものだと彼女は感じていた。何処までも少女の事を気遣ってくれている。 しかし、その台詞に、口調と表情が全くついて来ていない。そこに込められているものは相変わらず何もなく、それなりに均整の取れた顔立ちのみが印象強かった。感情と言うものがまるで感じられなかったのだ。 波留はミナモから視線を外す。ブラックの拘束を終えた義体技師に向き直り、何事か告げていた。技師の元に歩みを進めてゆくと、それを追うように床には白い液体が垂れて行った。右腕を伝い、右肩の傷からまだまだ液体が流出している。しかしそれは血ではないようなので、ミナモには実感が湧かない。傷を負って痛そうとかそう言う考えに全く至らず、床に転々と続く白い水滴をぼんやりと見つめているだけだった。 義体技師と話し合った末に、技師が波留と共に車椅子の傍に歩み寄ってくる。そして波留は、白手袋に覆われた左手を義体の頭部に伸ばす。 慎重そうにゆっくりと指を向け、そこに収まっている脳核に突き刺さったままのメモリースティックを、摘むように掴んだ。その指に軽く力を込め、引き抜く。脳核の外殻が分泌する保護液を僅かに付着させつつもメモリースティックは抜き取られ、その先端に露出していた極小のプラグは自動的にスティック内に収まった。 そして、続く技師がそこに沈黙している久島の義体に触れ、何らかの操作を行ってゆく。すると展開していた義体の頭部フレームが自動的に収まっていき、元の状態へと戻っていった。ゆっくりと確実な操作を経て、首筋に差し込まれていた何本ものケーブルも取り外されてゆく。 やがて、久島の義体は人間としての姿を取り戻す。彼からは人工物が全て取り外され、それを接続する箇所も偽装され覆い隠された。波留は白手袋を外して左手で義体のうなじに触れると、そこに紋様が浮かび上がる。しかしそれもすぐに消失した。 その直後に、上体を倒して俯いたままだった久島の瞼がぴくりと震える。睫毛を震わせ、その瞼がゆっくりと上がっていった。義眼の深い紫が露わになってゆく。 「――AIさん!」 その様子に気付いたミナモは、急ぎ駆け寄る。俯いた義体の瞳に徐々に焦点が合ってくるのを眺めつつ、ミナモはその彼の肩を取った。ゆっくりと丁寧に押し上げる。上体を車椅子の背もたれに寄りかかるようにした。普通に座らせる。 「大丈夫ですか!?」 車椅子の傍らに座り込み、久島の顔を覗き込みながらミナモはそう呼び掛ける。そんな彼女に、久島は視線を向けた。ぼんやりとした視線が彼女を見つめる。そこにある物を確認するように、じっと焦点を定めていた。 「…蒼井ミナモ。私に不具合は発生していないから安心しろ」 やがて義体の口から、そのような淡々とした述懐が発せられていた。ケーブル類を首筋に接続していたためにシャツの襟元を開けられ、ネクタイも解いてそこに掛ける状態にしていた姿のまま、彼はミナモを見ている。 彼の背後には首筋に覆うように触れたままの波留が立っている。そこから声が降って来た。 「――設定を閲覧しましたが、お変わりありませんね?」 「ああ…」 波留の問いに、久島の義体は首肯した。ゆっくりと視線を上向かせ、そこに立つ黒髪の青年を見やる。そしてその姿を確認するように見上げた後に、言葉を発した。 「…やはり、その義体を使用したか」 「――義体?波留さんが?」 その久島の台詞に疑問を発したのは、ミナモだった。怪訝そうな声を上げる。 彼女にとって波留真理と言う人物は、紛れもない生身の人間である。それが何故義体と言われなくてはならないのかと思う。とは言え、確かに彼女の目の前に立っている波留が負傷箇所から流しているものは、紅い血ではなく白い循環液だった。 そんな少女からの態度に、波留はようやく口許を綻ばせた。左手を挙げ、胸に当てる。自らを指し示すような態度を見せた。そして彼は口を開く。 「――彼が言うように、今の僕は義体ですよ」 「え?だって波留さん、久島さんと違って生身じゃないですか。脳核の載せ換えなんか出来ないでしょ?」 ミナモは波留の台詞に首を捻る。彼が言っている意味が良く判らない。その疑問をそのまま口に出す。すると、波留はミナモを覗き込むようにして言葉を続ける。 「ええ。ですから、僕はこの義体をメタル経由で遠隔操作しているんです」 この台詞にもミナモはまだ理解を示さない。未電脳化者であり未成年である彼女には、義体やメタルの知識は浅い。理解出来ない事は多かった。 そこに、傍らから声がした。両手を打ち鳴らす音を伴う。 「――あなた、リモート義体ですか!道理でこんな事が出来る訳だ」 彼らの傍に居た義体技師が、納得したようにそう述べていた。それに波留は頷いた。 そして、相変わらず疑問符を頭上に浮かべまくっているとおぼしきミナモを見やった。僅かに微笑みつつ、波留は彼女に視線を送る。 「詳しい説明は、皆さんがお待ちのあちらで行いましょう」 彼はそう言ってガラス壁の向こうを左手で指し示した。そこでは元人質達が覆面の男達をジャマーデバイスと衣服とですっかり拘束してしまい、壁際に纏めてしまっていた。 |