ガラス壁に新たな弾痕が刻まれる。そしてその方角に横顔を向けていた波留は、大きく上体を揺らした。 彼はまるで吹き飛ばされたように足元をふらつかせ、車椅子にその身をぶつける。右手が揺れ、メモリースティックから外れた。そして彼は片膝を突く。その場に屈み込んだ。 衝撃に解けたのか、後頭部で結ばれていた長い黒髪がばさりと広がる。それが肩口まで落ちてきて、彼の横顔を隠した。その足元に白い液体がぽつりと数滴落ちる。 眼前で波留が倒れ込むのに、ミナモは短い悲鳴を挙げた。しかしそれは続かない。その彼女を遮るようにレッドが踏み込んできたからである。 覆面のリーダーは波留が銃弾を受けメモリースティックから手を離したのを見計らい、すぐに動いていた。撃たれた衝撃でその場に座り込むように倒れた交渉相手の左腕を取る。 状況から、確実に頭を撃ち抜かれたはずである。いくら全身義体でも、こうなれば絶息しているだろう。久島部長の義体は波留に全てを委ねて機能停止している以上、その脳核を取り出すのに最早波留の手を借りなくても良いはずだった。 少し手間取ったようだったが、イエローは結果的には確実に仕事をこなしてくれた――レッドがそう安堵した時だった。 不意にレッドは、その腕を掴まれたのを感じた。そんな事をする相手は、彼の視界には存在しないはずだった。彼は視線を落とす。 そこには、波留の左手がしっかりと、彼の腕を掴む光景が広がっていた。指が食い込むまでにレッドのシャツを握っている。 レッドは一瞬、何が起こっているのか把握しかねていた。豪胆なリーダーであっても、明らかに思考の埒外であるはずの事態にはすぐに対応出来ない。 そこに、乱れた黒髪を持つ顔が、ゆっくりと持ち上がってきた。動かないはずのその頭部が上がり、覆面を見据えてくる。その瞳は無感動ながらもしっかりと開いており、焦点をレッドの顔に合わせて来ていた。 その光景には、流石にレッドも事態を把握した。 ――死んでいない。殺していない。 彼にとって、それは信じ難い現実だった。確かに頭部に着弾したはず――。彼はそれを確認すべく、波留を注視する。黒髪に紛れるように垂れている、一筋の頬の白い液体に視線をやった。 液体は確かに流れているが、そこに勢いはない。何より頭部を撃ち抜いたならば、義体の循環液だけではなく生身の脳に保持され流れている紅い血液も溢れてきているはずだった。 ふと、足元が視界に入る。そこに、天井からの照明灯を淡く弾く金属片が存在していた。それは先端が潰れ、ひしゃげた状態で転がっている。それを銃弾だと悟るのに、レッドは時間を要しなかった。 ――銃弾は確かに側頭部に命中したが、それは頭部を貫通せず、フレーム内にすら侵入を果たしていない。その事実を悟る。そして彼は、そこから瞬時に事情を理解した。次の瞬間、驚愕が駆け抜ける。 ――頭部フレーム強化型!?こいつ、軍用義体か! 全身義体化した人間は、生身であった頃には脅威だった存在に身を晒しても生存が可能である。頭部以外の外科的損傷は全く意に介する事はなく、脳核に直接生命維持装置が備わっている以上、多少の薬物の吸引や酸素の欠乏にも影響を受けない。 逆に言えば、如何に頭部を外傷から守り抜くか。それは生身だろうが義体だろうが同じ悩みである。そこが義体化した人間が、生身以上に長生きするために考慮すべき点だった。 義体化した人間の場合、生身とは違い単純な方法を取る事が出来る。頭部フレームを強化するのである。一般的に使用される口径の銃弾では貫通出来ない硬度を持つ素材を一定の厚みでフレームに用いるのが一般的だった。 しかし、普通の人生を歩む場合、銃撃を受ける事を考慮する必要などない。だから頭部フレームを強化する手段は、軍用義体の範疇だった。それ自体は違法ではないが、使用者は所属する国家などにその申請を行う必要があり、煩雑となる。そのために基本的にそれは、軍人が使用する義体だった。 もっとも軍人崩れがそのまま犯罪者となって軍用義体を使用し続けていたり、軍用義体が横流しされて全くの別人が使用している事も少なくない。その辺は、他の義体技術と同様だった。 以上のように、頭部フレーム強化型義体はそれなりに有り触れた機構ではあるが、それが今ここで使用されているとは、レッドとしては予想していなかった。まさか、一般人の義体がそんなものを装備しているとは思わなかったのである。荒事などやりようもない、単なるメタルダイバーが――。 レッドが思考を巡らせていたのは、ほんの数秒である。そこに、義体を起動させたままの波留が、冷徹な視線を送ってきた。その唇が動く。大きくはないが、確かな言葉を発した。 「――あなた方の言い分は、これで良く判りました」 瞳に感情を浮かべないまま、波留が抑揚のない口調でその台詞を口にしたのをレッドは間近に見ていた。その底知れない印象に、レッドは不覚にも恐怖めいた感情を覚える。 瞬間、彼のその頭に、壮絶な痛みが走った。 |