メンテナンスルームは奇妙な沈黙に至っている。占拠組も人質達も、その全員が処置室で勃発している事件を注視していた。
 その内部では、独りの青年が直立不動の姿勢を取っている。白手袋を着用したその右手は伸ばされ、車椅子に腰掛けたまま頭部フレームを展開している義体のその頭部に差し込まれていた。その手には遠目から確認するにはあまりにも小さいパーツが握られている。
 そんな様子を狼狽するかのように見ているのは、覆面の男達である。それは今までにない事態だった。場の支配者は明らかに、占拠者達からこの黒髪の青年に委譲されている。
 しかし、根本的な状況は一切変化していないように、誰もが思った。黒髪の青年もまた、久島部長の脳核を人質に取った事には変わりはない。そしてその他の人質達を危険に晒す事も、厭わない様子だったからである。
 実際に、処置室の外に残されている白衣の人質達に同じく残留組だった覆面の男が銃を向けていても、ガラス壁の向こうの青年は一向に気にしていない。人質達にとっては好ましくない状況は、相変わらず継続していた。
 ――これは駆け引きであり、彼の本心ではない。
 波留の暴挙に対し、誰もがそう信じたかった。こうやって犯人を動揺させ、他に打つ手段があるのだと。まさか久島部長の脳核を本気で焼き切ろうなどとは思ってはいない――。
 彼らはそう信じたかったのだが、ガラス越しに見えるその表情の冷静さが、やけに恐ろしかった。本気で何も感じていないと思わせるまでに、無表情だったのである。その横顔には、感情がまるで見えない。
 そんな感覚は、波留の傍らに居るミナモには顕著に受け止められていた。波留が纏うそのあまりの冷たい雰囲気に、彼女は何も言えないでいた。
 ミナモの知る波留真理とは、朗らかで優しい、笑顔が似合う人物である。それが今は、絶対零度を思わせる凍り付いた態度を見せていた。彼女が見つめる先にある顔は整ってはいるが、それを強調するかのような無表情だった。
 ――あなたは僕が守ります。
 波留さんは私にそう言ってくれた。でもまさか、こんな手段を考えていたなんて――。
 そして今は、波留はミナモに一瞥もくれようとはしていなかった。交渉相手たるレッドを只見据えるばかりである。
 そしてレッドも沈黙していた。この予想外の事態には、さしものこのリーダーも長考せざるを得ないのか。人質達がそう判断していた時だった。
 大きくはないが確実に耳に届く炸裂音と共に、ガラス壁にひびが走った。
 それとほぼ同時に、ガラス壁の向こうに立っていた波留が顔を揺らした。彼は軽くよろけ、足元をふらつかせる。その状況に、短い悲鳴とどよめきが広がっていった。
 そして全ての人々がガラス壁を注視する。そこには小さな穴が空き、そこを中心としてひび割れが走っていた。そしてその向こうでは波留がよろめいている。
 ――波留が外部から狙撃された。人々がそれを確信するのに、大した時間は掛からなかった。
 レッドはその瞬間、一歩を踏み出した。動かなくなるはずの波留を排除して、メモリースティックを奪おうとする。
 しかし、彼はすぐにそれを思い留まっていた。
 状況は変化していない事に気付いたからだ。
 波留が纏う白いシャツの右肩口からは液体が染み出してきている。それはじわじわと広がっていた。
 しかし波留は、その場に倒れこもうとはしなかった。足元を覚束無くさせたものの、すぐに立ち直っている。その場に両方の足の裏をしっかりとつけたまま、立った。
 その右手はあくまでも義体の頭部に差し込まれたままで、メモリースティックを握っている。その手にも、右肩から流れる液体が垂れて来ていた。
 ――イエローが狙いを外したのか!?
 レッドの心中にはその叫びがある。彼は狙撃主たるイエローには、あくまでも波留の射殺を命じたつもりだった。ならば確実に頭を撃ち抜くはずである。
 それが、実際に着弾したのは右肩だった。イエローの思考を知らない彼は、それを打ち損じと判断していた。彼女の仕事のために射線が通るように人員配置したと言うのに、何と言うザマか!――彼がそう考えるだけの充分な理由は、眼前に提示されている。
 狙撃された衝撃で弾けた肩口からは液体が飛び散り、波留の足元に水滴を落下させていた。そして今、彼の右手には液体が垂れ落ちてきている。
 彼が流す液体は、血のような赤ではなく、白かった。
 それは明らかに、生体部品を用いた義体がその肉体に循環させている、生体維持のための液体だった。
 
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