イエローの聴覚には、レッドの命令と同時にシルバーの叫びが届いていた。 現場に居る当人であるレッドはともかく、シルバーもレッドの目を借りてその現場を見ているとイエローは知っていた。だから、全員が同じ光景を見ているはずである。その上での、この反応だった。 ――いいか、生身なんだから、頭撃たなくていいんだからな! 少年はそんな叫びを残し、すぐさま電通を切る。自分の意見は主張しつつも、あくまでも相手の仕事の邪魔はするつもりはないようだった。シルバーも、今の状況は悪いと気付いているのだろう。波留を阻止するに越した事はないと思っているのだろう。その上での、発言である。 しかし――甘い子だとイエローは思う。どうやって波留が生身だという結論に至ったのかは知らないが、あの分ではレッドには知らせていないのだろうと推測する。 ――状況は見ての通りだ。波留を狙撃して阻止しろ。 彼女が受けた指示は上記の通りである。おそらくレッド自身の言う「阻止」とは、射殺命令なのだろうと彼女は解釈する。そもそも、生身だろうと全身義体だろうと頭を撃ち抜けば全ての行動が停止するのは明白である。眼前の状況においてキャスティングボードを強引に奪ったのは波留の方なのだから、それを逆転させるにはまた相応の手段を用いるべきだった。 しかし、シルバーの言葉が気に掛かる。 仮にも仲間だ。その言い分は、何処か利いてやりたい気分になる。確かに不用意に人を殺すのは無意味な行為だ。スマートではない。 ましてや、81歳であの外見を生身で維持している人間など、一般には存在しないはずだった。 若返りとは人類の究極の夢のひとつと一般的に言われ、多数の人々に望まれている。だから、様々な研究機関で「老いない人間」――或いは「老いた肉体を若返らせる」実験が行われている事は、門外漢でも想像がつく。しかし芳しい成果の話は聴いた事がない。少なくとも、一般報道ベースには勿論、裏社会ですら眉唾物の信憑性がないレベルの噂話でしか出回っていないのが実情である。 そう言った研究が内密に結実したものが、あの肉体なのだろうか。電理研の技術力は医療面でも高いと訊く。「久島部長の親友」が人柱になったとしてもおかしくはない。彼らは年齢的にも手頃だろうし、久島部長当人は既に全身義体化済みで生身の肉体を持たない以上、その手の実験の当事者にはなり得ない。仮に久島部長が未だ生身の老人であったとしても、彼の立場上「実験」と言う名目で前人未到の危険に晒す事など人工島や電理研が認めなかっただろう。 ならば、貴重な検体である。その意味は電理研に留まらず、人類全体に普遍的に広がるのだから。 そんな検体を、今ここで殺してしまうのは、惜しい。彼が死んだ時点で実験は終了してしまうのだ。成果を横取りするならば、生きている肉体を得るに越した事はない。 今回は久島部長の脳核の奪取だけで手一杯にせよ、若返った肉体を持つ彼にも、その存在の発覚により相応な商品価値が生まれた事になる。その情報を高く売る事は可能だ。そしてその情報の結果、今度は彼を拉致する依頼を受ける事になるかもしれない――。 その論理の起点は、シルバーに対する情だと言えた。しかし彼女はそれを、打算として発展させた。そんな思いを抱え、スコープを覗く。望遠プログラムを駆使して波留の右手を見やった。 ――あのメモリースティックから手を離させれば良い訳だ。そうすればあいつは何も出来なくなる。そのまま現場に居るレッド辺りが取り押さえたらいい。レッドもきっとそれに対応するはずだ。 かと言って、メモリースティックそのものや右手を狙撃するのは、リスクが大き過ぎる。しかし誤射する可能性は彼女の念頭にはない。微かな発破の衝撃でも至近距離に存在する久島の脳核を傷付ける可能性を考慮しているに過ぎない。 となると――彼女は考えつつ、銃口を微かに動かす。 右肩を撃てばいいか。そして神経系を切断すれば、右手は利かなくなるはずだ。 悪くても痛みと衝撃で右腕の筋肉は収縮し、その右手は反射的に身体側に引かれる。メモリースティックを掴んだまま拳が硬直したならそのままスティックは脳核から抜かれるだろうし、そうでなければ手が離れた状態で突き立てているだけだ。どちらにせよ波留の支配下から久島部長の脳核は離れる。 ともかく、生身ならば肉体の不随意状態は阻止出来ないはずだった。義体と違う点がそこにある。 イエローの中で方針は固まっていた。それは冷静な思考の元に下された選択ではある。 しかし、端的に表現するならば、彼女は確かにシルバーに絆されていた。そうでなければ殺さない選択肢を選ぶ事はあり得なかった。それは、レッドが明確な言葉を用いて射殺命令を出していなかった事にも起因する。彼女はその曖昧な箇所を突いたのだ。 しかしそれでも、彼女はその全てを良かれと思ってやっている。新たな商品価値を見い出してしまった以上、生かしておくに越した事はないのだから。 イエローは僅かに照準を移動させる。スコープの中でも豆粒のような存在である波留の姿に合わせられた十字の照準が微かにずれた。背中を向けた状態で、右肩に行き当たっている。 ――ここだ。 狙撃主の技能を持つ人間のみが理解し得るポイントに、イエローは行き着いた。既に狙撃命令を受けている以上、それを何時成すかは彼女の裁量に拠る。そしてこの瞬間、彼女はその確信を得た。 そしてイエローは右手の引き金を引く。消音装置と弾丸射出武器には物理的に付き物である反動を殺すためのマズル・ブレーキが装備されたその狙撃銃は、驚くほど静かに銃口から弾丸を放っていた。 |