迂闊だった。
 この時レッドの心中に木霊したのは、その言葉だった。
 波留がこの病棟を訪れた際に身体検査は、やったはずだった。しかしそれも簡素なものである。衣服に何かを仕込んでないかとか、その程度だった。
 元々占拠する予定もなかったのだから、ボディチェック用の探査機材も持ち込んでいなかった。それに、メタルに依存しているこの島の人間ならば、そのメタルから遮断すれば何もやりようがないと高をくくっていたのかもしれない。
 それが――まさか、その長髪の髪留め部分に、小型のメモリースティックを仕込んでいたとは――確かにそれは工作員に類する人間の常套手段のひとつではあるが、こんな素人がそんな事をやってくるとは。これは彼にとって、思考の埒外だった。
 そして、通常ならば、その程度のメモリースティックにはその大きさに値するだけの容量しかない。メタルのサポートがない状況下において、そこに入るだけのプログラムで、果たして何が出来るのか?
 ――そういう理由からもレッドは外部記憶装置に気を配っていなかったのだが、そのメモリースティックを用いられるのは、占拠側への攻撃や人質側への安全確保のためではなかった。波留はそれを、久島の脳核に差し込んだのだ。つまり、プログラムはそこに用いられるのだ。
 そのプログラムとは何か。レッドにはすぐに理解出来た。犯罪に手を染める立場として、それはごく当然の帰越だった。
 そして波留は静かに語る。レッドが導き出した結論に対し、答え合わせを行ってくる。
「このメモリースティックには、ごく単純な脳死プログラムがインストールされています。メタルから高圧電流をフィードバックするだけの、ほんの数行のソースコードで構成されるプログラムがね」
 その言葉に、レッドは思わず銃把に手を掛けた。しかしそれは反射的なものであり、彼自身愚かな行為である事は理解していた。彼の行動に対応したように、傍に居るブラックも波留に向けて銃を向けようとする。しかしレッドはそれに対し、首を横に振った。
 周囲が銃を持つ手に動きを見せようとも、波留は一向に動揺しない。只静かにレッドを見据えていた。
「その発動も、僕が電脳で試行すればすぐです。あなたが僕に発砲して仕留めるのと、どちらが速いか試してみますか?」
 それは脅しではなく、根拠のある台詞だった。それをレッドは理解したために、仲間を制止したのである。
 波留はメモリースティックを指で挟み込んでいる。つまり、接触電通の状態にあると考えられる。そして思考の伝達速度は他の行動よりも圧倒的に速い。仮にレッドが波留に発砲したとしても、その動作を見極めた瞬間――最悪でもその音を聴いた瞬間に波留が躊躇なくプログラムを発動させれば、波留はそのまま射殺されたにせよ久島の脳核を道連れにしている事だろう。それはレッドにとって、最悪の展開だった。
「このまま皆さんが立ち去って下さるなら、作動させません。皆さんは捲土重来を計って撤退してまたの機会を狙うなり、潔く諦めるなりすればいいでしょう。しかし、これ以上居座るなら、あなた方がその危険を冒すべき対象そのものを抹殺します」
 メモリースティックを絡めた指先に力を込めたまま、波留は静かに宣言する。そこに交渉の余地は垣間見えない。
 人質とは、交渉する側がそれを守ろうとするからこそ意味を持つ。逆に言うと、交渉相手から見捨てられた時点で、人質は交渉材料ではなくなる。犯人側にとって、単なるお荷物と化す。だから犯人側にはある意味、人質の価値を下げないように努力する必要が生じるのである。
 そこを、この波留は、久島の脳核と言う人質を見捨てるばかりか、能動的に破壊しようとしている。撤収しようが居残ろうが絶対に要求は呑まないと、犯人側を逆に脅迫しているのだ。
 ここまで冷徹な判断を下す以上、他の生きた人質を殺すと脅しても「ああそうですかお好きにおやりなさい」と流すだろう。おそらく「そちらがひとり殺した時点で、久島の脳核を焼きます」と、波留の方針は転換される事はない。そこまで彼は冷静に、ある種の狂気に包まれているとレッドは判断していた。
 ――そうなると、自分の側が取るべき選択肢は狭まってくる。相手に交渉する気がなくなった以上、こちらも何時までもそのテーブルに着いている必要はないのだ。
 彼はそう思い、覆面の下でゆっくりと瞼を伏せた。そして電脳内に電通ダイアログを展開させ、コールを送り始める。
 そのダイアログに記されているのは、イエローの認証コードだった。
 
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